おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

「ヒトラーへのメディア取材記録」

2024-08-06 18:37:03 | 読書三昧

 「「訳者あとがき」より抜粋

そもそもナチスは、ヒトラーに取材するフランス人を厳選していた。自国の世論において、かなりの発言力と影響力をもっていた退役軍人たちを利用したのだ。フランスの場合、第二次世界大戦での死者(約二一万人、市民約四〇万人、計約六〇万人)よりも第一次世界大戦の死者(一三六万人)のほうがはるかに多い。悲惨な戦いを経験したフランス人にとって、戦争を二度と繰り返したくないと願うのは自然だろう。それゆえに、ヴェルサイユ条約でドイツを追い詰めることを危惧する向きすらあった。こうした切なる平和への願いをもとに、フランス人退役軍人とナチスのフランス通が友好関係を築き上げた結果誕生した仏独委員会が、フランス人に対するナチスドイツの窓口になる。ヒトラーにお目通りがかなうのは、ナチス側のもはやいいなりだった仏独委員会を通して厳選された親独派フランス人となった。このようにヒトラーに面会できる人々は「厳選される」のだから、選ばれたほうは悪い気がするどころか、優越感すら感じたのではないだろうか? 招かれる先はヒトラーの優雅な別荘のあるベルヒテスガーテンかベルリンの首相府。インタビューからは、いかに「厳選された」記者たちが舞い上がっていたのかが実によく伝わってくる。なかなか会えない総統に招待されるという特別扱いを受けてしまえば、いざ取材するときに、気まずくなるような質問をしつこく投げかけることなどできなくても当然だと、自己を正当化してしまうのだろう。私が本書を初めて読んだときに頭に浮かんだのがほかでもない「忖度」という言葉だった。ジャーナリストにとって、時の権力者が自分を「厳選し」、「例外的に」自分のために時間を割いてくれるという前提ならば、それだけでじゅうぶんに「特別扱い」されていることになる。だとしたら、自分の書く記事はいわばその待遇への恩返しとして、権力者の意向を反映して手心を加えてしまうのは大いにありえることだ。本来記者がもつべき批判精神の入る余地がなくなってしまう。私自身、首相が大手メディア各社の記者を集めて会食し、記者側もスクープを得るためならそれに応じるのが当然だと自己正当化するような国に暮らしているからこそ、本書で著者が示唆したことが他人事に思えなかった。実際、ヒトラーに「特別扱い」されたフランス人記者たちは、冷静に国際情勢を分析すればゆゆしき事態になっていたことは明らかなのに、自分の信じたいことを、すなわち「ヒトラーは国内においても国外においても対立を好まず、平和主義者である」と信じようとした。ナチスドイツの異常性の兆候、たとえば、「水晶の夜」のようなユダヤ人に対する暴動や迫害は見て見ぬふりをした。ヒトラーは平和主義者であると信じたいがために、彼(ら)の意向に斟酌した質問しかできず、自国民に懸念を抱かせるような情報は提供しなかった結果、気がついたら国の北半分はナチスドイツに占領され、南半分は親独派フランス人がつくった形だけの独立政府の管轄下というありさまになった。ただでさえ人間は、自分の都合のいいことしか信じようとしない。メディアが時の権力者に懐柔されて、都合の悪い情報をシャットダウンしてしまったら、身の回りで何か異常なことが起きていたとしても、国民の側からすれば気のせいだと正常性バイアスがかかっても当然だろう。本書で著者が採り上げたヒトラーへのインタビューは、日本に限らず現代社会に通じる普遍的な問題提起をしている。なにせここでのヒトラーの発言は、論理的に雑な部分があったとしても、ほとんどがもっともらしいことだからだ。それでもぎりぎりのところで危機感を抱き、警鐘を鳴らせるかどうか、それこそが今の私たちにも問われている。」((https://www.amazon.co.jp/ヒトラーへのメディア取材記録-インタビュー1923-1940-エリック・ブランカ/dp/4562057432 参照 2024年8月5日))

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「ジャック・デロシュの日記」。「ショアーの歴史」。

2024-08-04 13:34:39 | 読書三昧

q。

 「物語は、「今日、また食べ物を吐いた。でもこれが最後だ。」という主人公エマの言葉に始まり、同じ言葉で終わる。主人公であるエマ・ラシュナルは、17歳。祖母マムーシュカのことが大好きで、心から尊敬していたが、祖母の死後、祖母の部屋で古い日記を見つけたことで、祖父母にまつわる恐ろしい事実を知り、摂食障害が日ごとに悪化していくことに・・・。その古い日記は、ポーランドのゾビブルという収容所でユダヤ人の「処理」にかかわっていた青年ジャック・デロシュの日記。読む権利などないと思いつつ、どうしようもなく惹きつけられて開いてしまった日記には、ナチの武装SS、ヒトラー、ユダヤ人の隔離、排除、強制退去、絶滅収容所、鉄条網、監視塔、ガス室、エヴァ・ヒルシュバウムとその息子シモン・・・。嘔吐と過食を繰り返し、身も心もぼろぼろになりながら、エマはジャック・デロシュの日記を読み続けた。まるで、日記の中の出来事が、自分の人生の一部となってしまったかのように、エマの人生の記憶と重なってゆく。13歳という思春期の入り口でダイエットを思い立ったエマが、自分の無と向き合い、無を消化するために、ますます食べることへの嫌悪感を抱き、食べないということを通して、自分を隔離することを覚えていく。食べないことは、自分にとってのゲットーなのだ。日記を繰り返し読むうちに、偶然、表紙を補強している厚紙をはがして見た写真にエヴァ・ヒルシュバウムの名が記されていた。そして、裏表紙をはがして見たジャック・デロシュの写真にエマは正気を失う。生死をさまよった末に、エマが「今日、また食べ物を吐いた。でもこれが最後だ。」と言う。そのエマが最後に選択した行動とは・・・。摂食障害とホロコーストの歴史と、何の関わりがあるのかと問われれば、単純な答えは出ないであろうが、その一つは、人間という存在の虚無、もしくは、ブラックホールではないだろうか。ホロコーストの歴史と祖父母の関わりを知った主人公エマが摂食障害を悪化させてゆく過程は、人間の歴史の暗部と自らの暗部を知る過程と重なる。エマの摂食障害によるおぞましい心身の衰弱を目の当たりにして、読者はひるむであろうが、ホロコーストとは、それ程の過程を経なければ知り得ないのかもしれない。エマの選択をどのように受けとめるのか。それは、作者から読者への問題提起ではないだろうか。衝撃的な問いを突き付けられ、読者は自ずとホロコーストについて考え続けることを余儀なくされる。ホロコーストを若い世代に伝える秀逸の新作物語として、高学年以上の子どもたち、そして、大人の読者にお勧めしたい。」((http://mothergoose-0510jp.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-b637.html 参照 2024年8月2日))

 

 

 

「ショアーとは、災厄、破壊、悲嘆を意味するユダヤ教の祭儀用語である。ゲットーという呼び名は、1516年のイタリアはヴェネチアが最初である。第一次世界大戦が終わったとき、ヨーロッパには900万人から1000万人のユダヤ人が暮らしていた。その中にはポーランドの300万人、ルーマニアの100万人がいた。ソ連にも300万人がいた。1920年代から30年代にかけて、ヨーロッパ全域で、ユダヤ人排斥の勢いが高まっていた。ドイツにおける反ユダヤ教主義の伝統は古く、厳しいものがあった。1933年、ドイツの国会議事堂の火災を口実としてドイツ共産党は禁止となり、4000人の幹部が逮捕され、ダッハウの強制収容所に入れられた。ドイツのユダヤ系公務員が解雇されるのは1933年4月から。ユダヤ人弁護士は所属する弁護士会から除名された。1934年末、弁護士の7割、公職人の6割が職務遂行不能に陥った。1939年にはユダヤ人の運転免許証が取りあげられた。1933年に50万人いたユダヤ系ドイツ人のうち、15万人が1938年までにドイツを出た。1939年9月、ナチス・ドイツはポーランドを占領した。数ヶ月のあいだは、ユダヤ系住民はまだ一過性の嵐にすぎないと考えていた。ワルシャワのゲットーには、1941年に47万人のユダヤ人が住んでいた。学校などの教育組織があり、舞台劇が演じられ、地下新聞が47紙も発行された。ユダヤ人評議会は罠にはまった。自分たちの殺戮までも引き受けることになった。そして、評議会制度は、利権と腐敗の温床ともなった。「T4作戦」は、1939年1月に占領下のポーランドで始まった。ポーランドでも、ドイツ本国でも、精神痛者が大量に殺害された。ヒトラーは、反対勢力の結集を危険とみて、処分目標を達していたこともあり、1941年8月、「T4作戦」の続行を断念した。アメリカのユダヤ人指導者には、ユダヤ人殺戮の情報は伝えられていた。1942年に犠牲者は100万人だとされていたとき、実際には300万人が殺されていた。アメリカ政府は、1944年春にはアウシュヴィッツの詳細な航空写真をもっていたのに、収容所への空爆を拒んだ。同じく、イギリスのほうも空爆することはなかった。それぞれ、国内に反ユダヤ主義があったことと、何十万人という難民が入国するのを危惧したことによる。ドイツの銀行はユダヤ系市民の口座を閉め、一般市民はユダヤ人の商店や会社、アパート、家財を買いたたいた。ドイツのデグザ社は、被害者から奪った、死体の歯から搾取した金冠を溶かして純金のインゴットをつくり、ナチスはそれを国家資産とした。ナチスの犯罪は、ごく少数の酷薄な変質者によるものではない。「勤め人の犯罪」、つまり普通の人間、民間あるいは軍人、ナチス党員などによる犯罪である。元ナチの大多数は、身元を隠そうともしなかった。戦後のドイツやオーストリアにおいて、隠健な勤め人や企業主として豊かな暮らしを取り戻していた。法律家で元ナチスの高級官僚であるハンスは、戦後は、アーヘン市財政部長、1953年にはアデナウアー首相の官僚長となった。ナチス・ドイツを今日なお賛美する人がいるのに驚きます。しかも、ヒトラーが軽蔑していた日本人のなかにヒトラーを賛美する人がいるなんて、まさにマンガ的な状況です。」((https://www.fben.jp/bookcolumn/2014/06/post_3993.php 参照 2024年8月2日))

 

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記事がない時のソウタ頼み。その2。

2024-08-03 18:34:53 | 我が家の猫たち

何を見つけたのか? 

それも飽きて、今度はジジをくわえ(お気に入りの獲物? )、うなり声を上げて歩き回る。

     

         

                      

          

※ジジ 魔女の宅急便の主人公キキの相棒の黒猫

よくキキの話し相手をしている(これは、キキの数少ない能力の1つ)。

どこか人間臭いネコで、ある届け物の受取人の少女の不機嫌そうな「あたしこのパイ嫌いなのよね」発言に「感じ悪い」と非難し、あかんべーをしていたりする。

キキの相棒だが、その信頼ゆえか、ぬいぐるみの身代わりにされたり、ピンチになる場面もあった。この時ばかりはキキに愚痴を漏らしている。

しかしある日、白猫のリリーに一目惚れした結果、キキのもとにあまり居付かなくなる(尚、リリーはおソノさん夫婦が経営するパン屋の常連の女性の飼い猫で、当初はすました態度を見て「いけ好かない」と発言していた)。エンディングでは、その白猫リリーとの間に子猫達(白3匹と黒1匹)が生まれていた。

また、物語の中盤で喋らなくなり、最後まで人語を発しなかった(原作では途中で一時的に喋らなくなってしまう展開は起きたが、最後まで会話ができている)。

(この項「ピクシブ百科事典」HPより)

新しい段ボール箱が届くと、さっそく。

しばらくおやすみ。

    

ということで、当方が振り回されたひとときでした。

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記事がない時のソウタ頼み。

2024-08-01 18:33:20 | 我が家の猫たち

ということで、ソウタ君。

「ソウタ」と「あんず」。

あんずはパッといなくなるので、写真がなかなか撮れない。

暑さでぐったり。

そこへ大きな箱の届け物が。さっそく、

                                ところが、意外に最初に入ったのは、あんず。

                        においをかぐソウタ。

    ソウタに譲って、あんずは、遠目で。

                       

飽きたと見えて、ゴロンと。

今度は窓から暑い日差しの外を眺め、

それも飽きて、テーブルの下でゴロン。

そのまま静かにしているかと思ったら、

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