おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その5。茶どころ通り。霞川。金子駅。

2023-01-29 13:37:25 | 都県境を探る

都県境になっている茶畑内の農道を歩きます。

入間市側の茶畑。

青梅市側の茶畑。

「茶どころ通り」を横切ります。

昭和61年、市制施行20周年記念事業の一環として市民より愛称の募集を行い、「茶どころ通り」と名づけられました。
一面の茶畑の中を続くこの道からは、冬の真っ白な富士山、奥多摩、丹沢の山並みが展望でき、空の広さを感じさせます。

(「」HPより)

茶どころ通りは、茶畑の中を通る約6キロメートルの一本道。

                           (「入間市観光協会」HPより)

今回歩いたところは、西のはずれに当たります。

集落に近づきます。

                     左手、茶畑内に都県境。

左に「東京都水道局北部中継ポンプ場」。その施設の東の小川が都県境になっています。

この先の集落が東京都と埼玉県になります。

この住宅地は、入間市木蓮寺地区。

都県境になっている道。右が青梅市、左が入間市。

この先、右が「入間市木蓮寺」、左が「青梅市今井」となります。

P入間木蓮寺-01。

   「多摩ナンバー」の車。

一部、都県境となる広い道(「豊岡街道」)に出ます。

                「埼玉県 入間市」。

            「霞川」に架かる「金子橋」。

振り返ると、「東京都 青梅市」。

霞川下流。上流。

霞川

東京都多摩地域及び埼玉県西部を流れる荒川水系入間川の支流で、一級河川である。延長15.8キロメートル、流域面積26.8平方キロメートル。

霞川は、東京都青梅市根ヶ布天寧寺裏にある霞池を水源として都内では青梅市に流域を持ち、青梅市中央部加治丘陵の南麓を東に流れ、入間市を流下して狭山市広瀬地先で入間川豊水橋下流右岸に注ぐ荒川水系の一級河川である。上流域は桂川もしくは葛川とも称する霞川は不老川柳瀬川黒目川白子川石神井川に並ぶ古多摩川の名残川の一つであると思われる。
かつて多摩川は、青梅を扇頂とする扇状地を、蛇行しながら主に北東方向に流れていた。その後、1万3千年から2万年前に逆断層である箱根ヶ崎断層の活動により隆起したため、流路を遮られた本流は断層に沿って南東方向に流路を変え、現在に近い流路となる

第二次世界大戦以前は、何度も水害を引き起こしており1945年(昭和20年)には堤防が決壊して死者も出た。戦後は堤防の整備が進められた。2016年(平成28年)8月に台風9号が首都圏に接近した際には、集中豪雨により流域内で床上浸水や護岸崩壊などの被害が出ている。 ・・・(「Wikipedia」参照)

相変わらず上空には飛行機。

この先、都県境は北に進みます。左手奥。

今回はここまで。霞川沿いに、金子駅に向かいます。

霞川。

JR八高線「金子駅」。

地図で見ると、この先、都県境は、一部市街地もありますが、そのほとんどが山間部となり、東京都の最高峰・雲取山(東京都、埼玉県、山梨県との境界点)に。

そこから南に転じ、三頭山、陣馬山、小仏峠等を経るように続きます。そのかん、山梨県、神奈川県と都県境を接します。

足腰と冬場のことで、軟弱路線で、この区間は省略します(機会があれば、低いところは歩いてみようと思いますが)。

以前歩いたところも含め、江戸川(千葉県との都県境)の河口から青梅市と入間市の都県境までなんとかつなぐことが出来ました。

交通機関の関係で、けっこう日にちがかかりました(一日に歩く距離が少ないことが多かった)が、何とか、東のはずれから西のはずれの途中まで歩くことができました。

次回は、南側、市街地となる神奈川県との都県境を歩こうと思います。

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西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その4。狭山茶。

2023-01-28 13:23:49 | 都県境を探る

「青梅市自立センター就労支援事業所」の前の道を西に向かいます。

              

青梅市自立センター就労支援事業所     

関係する法律に基づき、原則として18歳以上で雇用されることの困難な障害者の方に対して、社会生活に必要な支援および訓練を行い、就労に結びつけることを目的とします。
就労支援事業所にあっては、就労移行支援と就労継続支援(B型)の二つを兼ね備えた多機能型とし、それぞれの事業にあった内容で進めていきます。(「」HPより)

 ※昨年春、この施設ではありませんが、青梅市内の「自立支援施設(青梅市新町3丁目)」で、職員による日常的な暴力・虐待があり、入所者(当時30)が死亡したことが報道されました。

右手の道を進むと、都県境になるようですが、

この先に、牧場があります。

         

正面にある「圏央道」の方向に進みます。

「青梅スタジアム」。

そこを左折し、圏央道に。

青梅市のマンホール。

市章の輪郭の中に 市の鳥・ウグイスを描き、周りに市の花・ウメを描いている。

地下道を抜け、茶畑や畑地が広がる丘陵地帯へ出ます。

右手が「圏央道」。

      

右手に都県境となる道。

茶畑。今の時期は、くすんだ深緑色。新鮮な緑色ではないのが、残念。

     

        

それでも、一面に広がる茶畑の景観に見とれてしまいます。

         

狭山茶のはなし

全国にはいくつかのお茶の産地がありますが、その中で狭山茶を産する埼玉県は緑茶生産の経済的北限です。

《歴史》

日本で茶の木が育てられるようになったのは、今から800年ぐらい前のことです。中国へ行っていたお坊さんが、茶の木の種を持ちかえり畑に蒔いたのが、その始まりと言われています。
それからしばらく時がたって、今の川越(「河越」)に茶の木を植えたのが、もとになったと言われています。これが今の「狭山茶」の始まりです。

埼玉県で今のように盛んにお茶の栽培が行われるようになったのは江戸時代の中頃からで、地域の特産物として栽培が普及し、産地も拡大していきました。

《特徴》

“色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす”

と謡われるように、狭山茶の特徴である深い味わいは、寒い冬を乗り越えることでいっそう深まり、また“狭山火入”という独特の仕上げ技術により、甘くて濃厚なお茶になるのです。

"火入れ"とは、お茶の仕上げ段階で熱を加えることにより、乾燥を十分に行って貯蔵性を高めるとともに、加熱香気を生成させて味や香りを向上させる工程です。

《産地》

埼玉県の茶の主産地は、県西部の入間市、所沢市、狭山市を中心とする狭山丘陵地域ですが、その他、秩父地方でも産地化が進められています。また、県東部、県南部の都市地域においても茶の栽培が行われています。

令和3年産の埼玉県のお茶の栽培面積は783ヘクタールで全国第8位に位置しています。荒茶生産量は728トンで全国第10位となっています。これは、埼玉県が他の茶産地に比べて寒い場所にあるため、年2回しかお茶を摘まないことによるものです。 

(この項、「彩の国 埼玉県」HPより)

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西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その3。

2023-01-26 18:40:29 | 都県境を探る

この道が都県境。来た道を振り返る。

                左が埼玉県入間市、右が東京都瑞穂町。

       「埼玉県入間市大字寺林字表山」。

都県境は、正面のゴルフ場方向へ。

    

頭上には相変わらず飛行機の騒音が。

左に折れて進みます。

ゴルフ場の縁が都県境のようです。

奥がゴルフ場。

栗原新田交差点。

              ここを右折します。

右手奥に都県境。

 

JR八高線の手前、龍泉寺脇の道を入ると、

ゴルフ場からの都県境の道に。

壁沿いの道。

都県境になっている細道。左に進むと、

八高線をくぐり抜けるトンネルが現れます。

                    屈んで歩くしかない、きわめて天井の低いトンネル。

頭上が八高線。

振り返る。都県境歩きでは貴重な体験をします。

   八高線、飯能方面に行く電車が通過中。

抜けると、畑が広がります。

雑木林や竹が続く道。            

                  農作業の道なのでしょうか? 轍の跡が。

都県境は、この先、南西に折れ、すぐ鋭角で北西に進みますが、このまま小道を歩きます。 

直線の道をしばらく進むと、都県境となります。

都県境はそのまま正面を進んでいきます。

当方は左に折れ、すぐ右に折れて「青梅フレンドシップゴルフ」の前を行くと、「青梅市社会福祉事業団」の建物。ここは、もう青梅市になります。

           <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/c3/545b05e3029289391beb4fd1436de120.jpg">

 

 

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西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その2。国道16号線。梅の古木。二本木上宿の道標。

2023-01-25 18:31:05 | 都県境を探る

「国道16号線」の手前に、瓦屋さん。

鬼瓦。

小学生の頃、家の近所に大きな瓦製造業がありました。社会科見学で訪問したことがありますが、今ではどこにあったかも定かではありません。

瑞穂町大字駒形富士山88。

三州瓦(さんしゅうがわら)

愛知県(旧・三河国)で生産されている粘土瓦石州瓦淡路瓦と並ぶ「日本三大瓦」の一つ。

現在は西三河が生産の中心となっているが、20世紀半ばまでは東三河でも生産が盛んであった。三州瓦の日本国内シェアはトップであり、日本の年間瓦生産総数の約60%を占めている良質の三河粘土が産出され、東日本の需要地に近いという利点もあって、全国の瓦に占める三州瓦のシェアは1965年(昭和40年)の24.5%から1980年(昭和55年)には34.4%、1995年(平成7年)には47.9%まで上昇している三州瓦の中心産地である高浜市碧南市は、矢作川三角州の末端に位置する。矢作川の上流には花崗岩によって形成される三河高原があり、そこからカオリナイトを主体とする粘土鉱物が流下して下流に堆積している。このため、岡崎平野の南西部では高台や低地を問わず、田園の表土の下に陶磁器原料として適した粘土が豊富に存在している日本国内の他の瓦産地の粘土と比較すると、西三河の粘土はきめが細かく、高品位なものではカオリンが31%と含有比率が高い事が特徴で、これらが「三州瓦は肌がきれいである」という評価の基になっている。・・・

(この項、「Wikipedia」参照)

   

「国道16号線」。この幹線道路は街道歩きで何回も遭遇しています。

東京方向。「東京都瑞穂町」。

埼玉方向。「埼玉県入間市」。

渡った先で、右折して行きますが、途中、迷ってしまい、「日光街道(八王子千人同心街道)」に出てしまいます。

○付近をうろうろ。途中から都県境となっている道路になります。かつて街道歩きで歩いた道筋と一部重なります。

道端の庭に白梅が一枝。

「二本木上宿の道標」。

解説板。

入間市二本木の森。

                 道路の左手が「瑞穂町二本木」。

「ドラッグセイムス 瑞穂二本木店」のところを右に折れた道が都県境となります。

入間市側にある畑。

突き当たりを左折します。

           左が瑞穂町、右が入間市。

頭上から飛行機の騒音が響きます。何機も行き来する飛行機。横田基地のものと思われます。

しばらく進み、右の坂を上がります。

                       この道が都県境。マンホールは、瑞穂町のもの。

振り返る。

頭上に米軍の飛行機。

 

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西武バス「宮寺西」~JR八高線「金子駅」。その1。めだか屋。不老川。

2023-01-23 18:41:50 | 都県境を探る

今回は、西武線「小手指駅」から西武バスに乗り、終点の「宮寺西」から歩き始めます。

○が「宮寺西」バス停付近。左の大きい道路は「国道16号線」。西に向かって進みます。

狭山丘陵から西、平地をジグザクに進んだ都県境と、この付近で合流します。

入間市宮寺。

           この右手奥が都県境。

「めだか屋」(入間市宮寺)。

大岳山が正面遠くに(↓)。

茶畑の向こうに富士山(↓)。

左手は、東京都瑞穂町。右は、入間市。

不老川。上流方向。

下流方向。<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/a9/b957ee3ce7eba4003a0e20a5b0ad3c87.jpg">

不老川(としとらずがわ、ふろうがわ)

東京都及び埼玉県の主に武蔵野台地上を流れる一級河川荒川水系新河岸川の支流である。

東京都西多摩郡瑞穂町狭山池伏流水が水源とされる。瑞穂町二本木の国道16号付近に水路が見られる。そこから北東へ向かって流れ、埼玉県入間市宮寺と藤沢、所沢市林、狭山市入曽(不老川が北入曽と南入曽の境界になっている)と堀兼、川越市今福などを流れ、林川、今福川、久保川などを合わせ、川越市岸町と川越市砂の境界で新河岸川に合流する。流域には河岸段丘が形成されている。高低差があるため、ところどころに落差工がある。

霞川柳瀬川黒目川白子川石神井川などと並び、かつての古多摩川の名残の一つとされている 。周囲は武蔵野台地に位置し、地下水も低く、水に恵まれないため畑作(狭山茶など)が行われていた。貴重な河川であったことから親しみを込めて「大川」(おおかわ)と呼ばれることもあった。大雨の際には水がすべて不老川に集まるため、しばしば氾濫を起こし、2000年代以降にも河道の拡張工事が行われている。 1983年から3年間連続で「日本一汚い川」になるという不名誉な記録を作った時期もあったが、現在ではその汚名を返上している。市民団体や行政により浄化の取り組みが続いており、小魚や水生昆虫カルガモなどが生息する程度まで回復している。狭山市の流域においてはしばしば鯉が泳ぐ姿も確認されている。週末になると釣り人も多い。

元々の読みは「としとらずがわ」であり、江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』では「年不取川」の表記を用いている。近代以降「不老川」の表記となったことから音読みの「ふろうがわ」という読みが広まり、現在、一般化している。

(この項、「Wikipedia」より)

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