4月1日(土)。快晴。
前回、最寄り駅だった小田急線「黒川駅」から歩き、尾根道まで上がって「真光寺公園」まで歩こうと思いましたが、上り坂をまた上がるのは、と・・・。
小田急線「鶴川駅」から「真光寺公園」までバスで向かうことにします。
「真光寺公園」。
大きな公園。満開の桜の下、スロープの芝生で親子連れが走り回っています。
正面の森の向こうに都県境があります。
付近の案内図。東側(上)が川崎市、西側(下)が町田市。
公園を回り込んで、都県境に向かいます。「川崎市麻生区」。
振り返ると、「東京都 町田市」。
山道から「真光寺公園」へ続いた都県境は、道路を横断して進みます。
町田市側を望む。
急な階段を下ると、
大きな墓苑が広がります。
「町田いずみ浄苑」。
広大な敷地。町田市と川崎市の境にある。
桜の園らしく満開の桜。
北側の道が都県境となっています。
「布田道」解説板 。
川崎市黒川と真光寺町の境目にある尾根の道は「布田道」と呼ばれていました。布田道は布田五宿(現調布市布田)と小野路(現町田市小野路町)の宿を結んでいたのです。
小野路村は、鎌倉時代、鎌倉と府中を結ぶ鎌倉道の上道の宿場でしたが、江戸時代になると府中・小野路・厚木・伊勢原・大山を結ぶ大山街道の宿として栄え、布田道は小野路宿からは甲州街道を経由して江戸に向かう一番の近道として重宝されました。
またのちに新撰組を結成する近藤勇は天然理心流4代宗家として、同流の稽古場を提供していた小野路村の小島家へと、しばしばこの布田道を通って剣術を教えに来たと伝えられています。そして、時には近藤の代理として土方歳三や沖田総司、山南敬介なども布田道を通り小野路へ訪れたといいます。
近藤勇・・・剣術出稽古を通じて多摩の豪農と交流し、特に小野路村の名主小島為政や日野宿の名主佐藤彦五郎等と親交を深めた。小野路の小島家同上には嘉永5年(1852)以来、出稽古に通ったという。
※「布田五宿」=かつての甲州街道にあった国領宿・下布田宿・上布田宿・下石原宿・上石原宿の宿場を指す。
この後、「都県境」は、黒川広町緑地、石神谷戸緑地を通り、その後、電源開発・西東京発電所さらに、国士館大キャンパス内を通っていきます。
この先は途中までしかたどることができないので、戻って、「黒川入り谷戸」へ迂回します。
小さな集落へ。
谷戸。田畑が広がります。
左手奥に「明大黒川農場」。
田んぼを眺めながらのんびりと。
川崎市のマンホール。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/9f/b00d93f2227f6b8c5970727ce67c3592.jpg">明治大学黒川農場。
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