サーダナ(霊性修行の工程)をきちんと行ったにもかかわらず、まだ何も与えられていない生徒達も少数います。まだその成果が出ていないのです。私にはそれを終わらせる用意がとっくに出来ています。私を通して、彼らは何かを得なければなりません。私はシャクティーパット(シャクティはマザーディバイン=自然の女神でその時々で姿を変えて現れる神・シャクティパットとは、そのシャクティやスピリチュアルなエネルギーを人を介して伝達させる事)でも、何でも彼らに与える用意が出来ているのに、ババが最後の瞬間に変えてしまいます。
ババはアヴァドゥター(最高の段階にいる悟りを開いた人)として予定を変更してしまうのです。だから私はババと喧嘩します。口論をします。ババが解放してくれなければならないのです。ババのサインなしで私が直に承認する事も出来ます。
しかし、私はババを尊敬しています。ババの為すがままに任せているのです。私にはババがどの方向から来るのか分かりません。まったく見当がつきません。北から来ると思っていると、もう南西にいます。東西南北を見張っていると、上からやって来ます。
あらゆる方向を満遍なく監視していると、とっくに到着しています。いつの間にか来ているのです。それを「スンヤ・スティーティ」と言います。サンスクリット語でスンヤ・スティーティとは、「無の中に全てがあり、すべての中に無がある」という意味です。
とにかくババのエネルギーが流れている時は、驚異的です。絶対に絶対にビッグ・ボスを侮ってはなりません。これは私の個人的な体験から思う事です。
霊障から来る病気の改善法を研究する小屋になるのですが、その方法は吸収しつつあります。霊障とは、一体何なのでしょうか?霊の障りと書きますから、目に見えないエネルギーが原因していると解釈できます。スピリチュアルな行とは、何なのでしょうか?日本語に訳すと、霊性修行になります。ほれ、霊が出て来ましたね。要するに目に見えないエネルギーがこの世を形成しているという事になり、その霊の存在を勉強し理解する事が霊性修行と言う事になります。霊と言うと一歩引く人がいますが、霊性修行には興味を持っているのが人間とも言えます。魂が分かっているからなのです。魂は5万年前にも存在し、5万年後にも存在する不思議なエネルギーであります。
「無の中に全てがあり、すべての中に無がある」で説明されています。あると思えばあるが、無いと思えば無い、世界とも言えます。その中に生かされているので混乱し、エネルギーを低下させ病気となって行くのです。何も分からない老後を心配する・・・・・無いかも知れない事を思う・・・・・あの人に、ああ言ったから絶対仕返しが来るだろう・・・・・来ないかも知れない事を心配する・・・・・ああ、この病気で私は死んで行くのだ・・・・単なる警告のシグナルかも知れないのに・・・・これらの思考にエネルギーを使うから、エネルギーの低下が起こるのです。「下手な考え休むに似たり」で無駄な時間と無駄なエネルギーを浪費しているのです。
それが長時間続くと邪気が発生し、その邪気を中和除去する通路が塞がれます。その通路が塞がれると邪気は留まります。どこに留まるか?脳内に留まると、自分が自分で悪霊を生み出すことになるのです。ですから悪霊払いの研究とは、塞がれた通路を解放する方法を模索する研究するという事になります。一つのヒントは首ですね。首とは魂でもあり、喉に影響を与え、仏教では喉仏(のごぼとけ)と言う大事な器官がある所に注目しなければなりません。お金がない時は、首が回らないと言います。そうなんです。心配事が増えると、首と肩に症状が出るのです。その原因は、何もない事をあると錯覚した自分なのです。あったら、あった時に考えれば良いのです。幽霊が出たら、出た時に対処法を考えれば良いのです。そのためには、日ごろからイメージトレーニングをする必要があるかも知れません。井上尚弥は倒れた時の対象法をイメージで練習し、本当に倒れた時8秒間ゆっくり間を作り、すぐに反撃に転じました。もし万が一幽霊が出た時には、こう対処するとイメージトレーニングを積んでおけば、何事にも対処できるのではないでしょうか?