ヘマドパントはこの章を祈りで締めくくっている。「ああ、サイ・サドグルよ、バクタたちの願いを叶えてくれる木よ、私たちは祈ります。あなたの御足を忘れることがありませんように。このサンサールで私たちは終始誕生と死の困難に見舞われてきました。今、私たちを誕生と死のこの輪から解放して下さい。私たちの感覚が対象物へ向かうのを抑え、私たちを内側へ向け、アートマ(自己)と向き合わせて下さい。感覚と心が外へ向かうこの性癖が抑制されない限り、自己認識に到達する見込みはありません。息子も妻も友人も、最後には何の役にも立ちません。
救いと至福を与えてくださるのはあなただけなのです。議論をしたり、他の悪い事柄に向かう性癖を完全に壊し、あなたの名前を唱える情熱を私たちの舌に与えて下さい。私たちの思考を追い出し、肉体のことを忘れさせ、エゴイズムを取り去って下さい。あなたの名前だけを思い、他の事は全て忘れさせて下さい。心の不安を取り除いて、穏やかに安定させて下さい。
あなたが私たちを掴んでいてくだされば、夜の闇も無知の闇も消えて、あなたの光の元で幸せに暮らせるでしょう。あなたがリーラの甘露を飲ませ、私たちを眠りから起こしてくださるのは、あなたの恩寵と私たちの過去世での功徳のお陰なのです」
注意:この物語に関し、以下にダム・アンナの発言の抜粋が掲載されており、熟読するに価する内容である(“Devotees’ Experiences’ Part II”, 76項)。
「ある時私が他の大勢と共にババの足元に座っていた時、私には2つの疑問が心に浮かんだが、彼はその両方に答えてくれた。
(1)こんなに大勢の人々がサイババに会いにきているのだ。皆が彼から恩恵を受けることができるのだろうか?
これに対して、ババは言葉にして答えた、「花を開いたマンゴーの木を見るがよい。もしも全ての花が果実になるなら、なんと素晴らしい収穫になるだろう。だが全てが果実になるだろうか?ほとんどが、風や何かで花のうちに、または未熟な果実のうちに落ちてしまい、残るのはほんのわずかだ」
(2)2つ目の疑問は私自身についてだった。もしババが亡くなってしまったら、どれほど私は絶望して彷徨うことだろう。それからどうやってやってゆけばよいのだろう?これに対してババは、私が彼のことを思うときはいつでも、どこにいようとも、彼は私と共にいると答えた。1918年以前にも彼はこの約束を守り、1918年以降もずっと守ってくれている。彼は今も私と共にある。彼は今も私を導いている。これは1910年か1911年の頃のことで、私の兄弟は別れ別れになり、姉妹は亡くなって、盗みにあって警察の取調べを受け、私は心をかき乱されていたときのことだった。
姉妹が亡くなった時、私の心はひどく動転した。私は人生のことも楽しみのことも考えられなくなっていた。私がババの処へ行くと、彼はウパデシュで私をなだめ、アッパ・クルカルニの家でプーラン・ポリの御馳走を食べさせてくれた。
家には強盗が入っていた。30年来の私の友人が幸運のナス(鼻輪)も入っていた妻の宝石箱を盗んだのだ。私はババの写真の前で泣いた。翌日、彼は宝石箱を返してくれ、許しを求めてきたのだった」
スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように