対等の立場じゃないんです!

2014年03月09日 | 日記
人事・労務専門誌『ビジネスガイド3月号』に、求人広告の法的リスクについての記事がでていました。
求人票に記載されている労働条件とは異なる内容の契約を締結した場合の裁判事例、求人票の記載内容をめぐる裁判事例が10以上紹介されていました。
いずれの裁判も、会社側の落ち度をある程度認めながらも、原告である労働者側が負けていたり、全面的には言い分が通らなかったりしています。
どの裁判事例も共通していることは
1 採用時、求人広告内容と条件が異なるにもかかわらず、労働者側は何も言っていない。(異議を唱えていない)
2 求人広告とは異なる条件のまま、黙って働いている。
3 退職時になって、会社に賃金の差額を請求するなど、訴えを起こしている
ということです。
日本人らしいといえばそうかもしれません。
会社側の弁護士や社労士からすれば、
今さら何言うとるん?アホか…ってかんじかもしれませんね。
でも長い間雇用されて働いてきた私には
他人事とは思えないです。
採用決定時点で、求人広告と労働条件の内容が違うと気づいても
そのことについて、会社の人に尋ねる人は少ないと思います。
なぜなら、そんなことを聞いたら採用が取り消されるかもしれないし、
あるいは、働きもしないうちから労働条件云々いうヤツとしてマーク
されるかもしれない…などなど心配してしまうからです。
「契約」という概念で採用をとらえている人はそう多くないと思います。
でも実際問題として、意識しようがしまいが、契約である以上、
だまっていたら「合意した」とみなされるわけです。
弱い立場にある労働者を守るために、労働基準法などの法律があるわけですが
じゃあ、法律を厳しくして労働者をもっと保護すればいいかというと
保護ばかりしていてもきりがないし、またどれだけ厳しくしても保護には
限界があると思います。
労働契約法によれば、労働条件は、会社と労働者が対等の立場において合意の下で
決めるものとなっています。この「対等」という部分について、絵に描いた餅、
きれいごとという見方もあります。
でも私はこう思います。
本来人間は神(仏などなんでもいいですが)や法の下では平等です。少なくとも
文明国においてはそういうものとされています。
でも実際にはそうではない。
誰もが知っていることです…と言いたいところですが、
知らない人が多いように思います。
便宜上の対等、平等というものを真に受けている人が多いと思います。
「対等」であるためには、闘わなければならないし、お金と同様に
天から降ってくるものではないということです。
ひとりの人間としては対等かもしれませんが、
様々な条件が付随することで立場に強弱の差ができてくるのです。
でも多くの働く人は
生まれたときから対等というものを天から授かっていると思ってしまっているのです。
なんででしょうね。
戦後の教育云々かもしれませんが、それはともかく
ただ労働者に
「ちゃんと言うべきことは言わないとダメだ」とか
「交渉力を持て」とか言ったって
それこそ絵に描いた餅だと思います。
交渉力がなく、言うべきことが言えないから困ったことになっているのですから。
労働法の整備や産業別の労働組合の整備などはもちろんですが
同時に、自分の持つ権利がどういうものなのか、権利を行使する方法とか
自分を守る法律がどうものなのかとか、そういう教育が必要だと思います。
そういうと必ず出てくるのが
義務も果たさず権利ばかり主張するってやつです
義務と権利は対をなすときもあれば、対立するときもあるし
入れ替わるときもあります。義務だとばかり思って、面倒くさい
テキトーにやってしまえと考えていたら、権利の行使にもってこいだったとか…
私なんて、4歳の娘の世話をだんなから押し付けられて
なぜ私ばかりが…と恨めしく思ったりするが、
これも親権という言葉が表すように権利なのだ。
と言っても、義務的要素やはり強い…
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『ブラック企業VSモンスター消費者』

2014年03月05日 | 日記
NPO法人POSSE(若者の労働相談を中心に活動)代表の
今野晴貴と理事の坂倉昇平の共著

ブラック企業VSモンスター消費
の紹介と感想です。
一見、ブラック企業のものを買う消費者が悪い!
   店員などに過剰なサービスを要求するモンスター消費者が悪い!
   ととれるタイトルだが…

内容はそれほど単純明快ではなく
やや複雑な構成となっています。

ブラック関係の著書が他にもある今野晴貴は5章のうち第2章の
「ブラック企業は消費者を食い殺す」のみ執筆しています。

消費者の高度な要求が会社をブラック化させている面もある
として、しかしながら、その要求に応えるため
従業員の待遇が悪くなり、結果として事故などが多発し、
消費者自身にはねかえってきていると指摘しています。

興味深かったのは坂倉昇平が執筆している
第3章「消費者はいつから神様だったのか」と
第4章「24時間年中無休の特殊性を考える」です。
(第1章は「極悪クレーマーが会社をブラック化する」のタイトルでしまむら土下座事件などが紹介されている)

元々戦後の消費者運動は、労働組合の活動のひとつであった
というのが意外だった。労働組合がGHQや日本政府によって鎮圧され
賃上げが落ち着いたときに、組合員に限って安く品物を購入できる
生活協同組合(生協)ができたそうだ。だが次第に、労働組合に
加入している人だけが安く買えるのはおかしいという声がでてきて
労働組合とは分裂していったということだ。
労働者と消費者が別々に歩みだしたのである。
1970~1971年に「カラーテレビ不買運動」なるものが
起きたそうだ。メーカーの価格に不満を持つ消費者が、1年間
カラーテレビを買うことを控えたため、メーカーは売り上げが激減し
生産がストップしたため、下請けの労働組合が不買運動をやめさせるよう
要請し、価格を下げたというものだ。

消費者運動は、労働者の生活を脅かし、失業の不安に直面させるという
かたちで、定価価格を実現したとも考えられる(坂倉)
消費者優先の思想は、低成長とサービス産業拡大の時代を背景に
低価格によって労働条件を悪化させていった(坂倉)

社会学者の古市憲寿さんは
牛丼やファーストフードなどを、日本型の福祉とか言って
ほうぼうで非難されていましたが、
安さの後ろに何があるかを考えると
冗談は顔だけにしてくださいって思います…
こころのノートに関するコメントとかはあまりにもおもしろいのでが…)

ところで
「お客様は神様です」というフレーズ
あまりに有名ですが
間違って広がっていて、三波春夫さんの遺族は
抗議されているそうです。
「常にお客様を神様だと思い、心を無心にして歌いたい」
という意味であり、決して
「お客様がどん無理を言っても従え」という意味ではないということです。
サービスする人を見下すような人はお客様ではないと憤っているそうです。

第5章では、都市社会学者の五十嵐さんを交えて3人で対談をしています。

五十嵐さんは、
「ブラック企業が生まれるのは消費者も悪い」
という側面はあるが、じゃあ、そんな企業の商品は買うなでは解決しない
と言っています。安いものを買う人には、そもそも選択肢がないことがほとんど。
労働ダンピングで安くなった商品を買うことで、自らの首も絞めているのだが
そこから簡単に抜け出すことはできないのだと。
労働法規の整備や正常な運用、まずそれがあって、そのうえで
消費者の選択により、ブラック企業が淘汰される、決して逆ではないのだと。

この対談については労働政策研究所の浜口桂一郎さんも
hamachanブログで一読の価値ありとされていますが
ここに落ち着いてホッとしました。

浜口さんによると、欧米でも産業のサービス化により、労働者への
ハラスメントが問題になっているということです。もっとも
日本と違い、労働問題として扱われていることに大きな隔たりを
感じるとのことでした
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