うつ病や依存症は他人事ではない。リワークセミナーから学ぶ。

2014年10月24日 | 日記

先日、市が主催する職場復帰支援推進セミナーに行ってきました。うつ病に罹患した労働者の職場復帰についての取り組み事例の発表と、精神科医によるメンタルヘルスのお話でした。

業界を問わず若年者によるうつ病の軽症化・慢性化が予想よりも多く、復職できないケースが急増しているようです。治療費などの直接費用だけではなく、休職と業務の能率低下による生産性の損失といった間接費用も大きく、企業とくに中小零細企業にとって痛手となっています。企業にとってというよりも社会全体にとって大きな損失だと思います。

うつ病はもはやとてもポピュラーな病気だと思いますが、それでもまだ「精神的に弱い人」が罹患する病気、あるいは「相当の過重労働」で発病すると思われていないでしょうか。

現代社会は変化が激しくストレスが多い、…とか言うと、「いつの時代だって変化はある。ストレスだって同じことだ」と反論される方が、たぶん年配の方に多いと思うのです。それはそれで確かに正論なのだけども、一方で認識があまりにも甘く不十分だと思うのです。自分の経験でしか考えられないのは誰もが同じです。だからこそ、異なる世代、異なる性、異なる文化などから学ばなければいけないのではないでしょうか。

「現代社会の構造と環境・ストレスの変化」はとても興味深い内容でした。自由主義経済に基づく限りない生産性向上、経済優先政治による市場原理や超顧客優先主義に基づく非寛容な社会、といった話は、「弱者切り捨て」批判として「福祉」関連の物語とでも思われていないでしょうか。弱者だからこれらの時代の変化についてこられない、そう思っていませんか。自分が時代の変化についていけるのは優秀で強いからだと思っていませんか。

私は今現在心身共にまずまず良好です。幸い家族も同じです。でもいつどんな病気になるかわからない、どんな病気にでもかかる恐れがあると感じています。外へ出れば7人の敵と言いますが、全くそのとおりで、油断ができません。私たちは風の前の塵に等しくとても弱い存在だと思います。自分たちが暮らすこの世界を侮っていては簡単に命が奪われてしまいます。生命を脅かすものに対しては敢然と立ち向かわなければなりません。

アルコールやたばこのコマーシャルに対して、ギャンブルに対して、ドラッグに対して、きっぱり「規制」の方向でいくべきです。「規制」はなくせばいいというものではありません。規制すれば済む話か、などという人は悪しき楽観主義といえます。「依存症」というものを甘く見過ぎていると思います。自分自身でどうにかできるもの、その人次第だ、などと思っていないでしょうか。

危険ドラッグなどのように、規制そのものが難しいものがあります。それでも、苦しんでいる人がいる以上、なんらかの規制のうえで解決に取り組むべきです。

セミナーの内容は、病気の従業員を抱えて困っている会社にとって、今すぐどうすればいいか、といったものを示すものではありませんでしたが、決して他人事ではない、いつ自分の身に降りかかってもおかしくない、といったことが認識できるものでした。

 

 

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人手不足だからってどんぶりの「外」までつゆだくはないでしょ

2014年10月23日 | 日記

すき家がひどい人手不足であることは知っていた。新規オープンもできないほどらしいが、知るかそんなもん、私には関係ないことだ、と思っていた。すき家はごくたまに利用するが、200~300円の牛丼だか豚丼だかにうまいもまずいもいいも悪いもないし、接客だって同じだ。会計が松屋や吉牛にくらべてちょっと面倒くさい程度だ、と思っていた。先日ある店に入るまでは。

オフィス街と繁華街の中間あたりにその店はある。夕方4時という中途半端な時間ではあった。客は私一人だった。60代ぐらいに見えるおじさんのワンオペだった。なんとなくやなかんじはした。元気に笑顔であいさつでもなければ、柔和な笑顔でいらっしゃいませでもなく、ニヤついた顔でふにゃふにゃといらっしゃいませのようなことを言われた。胸騒ぎがした。だが、たかがすき家だ。牛丼程度で一旦入った飲食店を注文もせずに出るのは大げさな気もした。くどいようだが、たかが300円程度の(300円はしていなかったような…)牛丼である。ごはんに具をのっけるしかやることがないのはわかっている。何を恐れることがあろうか。ハンバーガーの組み立てよりも簡単なのだから、おじさんにできないわけがない。素手でやったからって、パンではなくごはんなのだ、おにぎりじゃないんだから大丈夫!そう自分に言い聞かせて、ミニサイズの牛丼を注文した。スピード具合は普通だった。マニュアルをクリアしていると思った。だがでてきた牛丼は、うちの5歳の娘だってもっときれいに盛り付けられるだろうというような汚さだった…頼んでもいないのに、どんぶりの中も「外」もすごいつゆだくだった。ペーパーナプキンを何枚も使ってなんとか食べきった。ショックで味はよくわからなかった。他に客はいないので、おじさんは手持無沙汰な様子で私の動向を伺っていた。会計を済ませて逃げるように店を出た。

だから60代のおじさんはダメなんだ、などと言うつもりはない。だが、人手不足の恐ろしさをひしひしと感じた。おじさんは全く(店に立つための)教育を受けていないとみた。ネットでは、牛鍋にゲロ吐いただの、メニューはヤフーの知恵袋で確認しながら作っただのとでているが、真実かもしれない…あのおじさんも、知恵袋その他で牛丼を少しはこぎれいに盛り付ける方法を勉強してほしい。悪夢ではあったが、おじさんに腹は立てていない。すき家で働こうとしない学生やフリーターや主婦や、逃げ出したバイトにも怒ってない。

すき家の社長は元革命家だかなんだかで、社会事業のつもりだか慈善事業だかのつもりですき家をやってるらしいが、慈善事業だからってキタナイ牛丼出していいわけじゃないでしょ!ごたく並べてないで、この人手不足をなんとかしなさいよ!労働者でも個人所業主でも勝手に好きなことを言ってればいいけど、自慢のリーダーシップはどこいったのよ!引っ張っていけないならさっさと民主主義にしてとにかくこの人手不足解消しなさいよね!!っていうか、もう二度とすき家は行く気になれない…松屋もっと店出してくれないかな…

 

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優子&みどりのダブル辞任ほどの一大事はありませんよ!

2014年10月22日 | 日記

居間に読売新聞がうっちゃってあった。1面が小渕・松島氏閣僚辞任で二人の顔が載っていたのでパラパラとめくってみた。2~3面も女性閣僚のダブル辞任について。4面も。7面は関連して新閣僚。10~11面も小渕・松島。38~39面の三面も。おまけに社説と1面のコラムも。面倒くさいので調べていないが、読売以外の新聞も女性閣僚のダブル辞任にこんなバカ騒ぎで応じているのだろうか?

小渕氏は歯切れも悪く、始終硬い表情であり、松島氏はひょうひょうとしており、サバサバした表情だったのが対照的…

これが読売にとっての一大事であるようだ。

コラムでは舞台風を引き合いに出して両閣僚を批判しているが、風どころか、シルバー川柳じゃあないが「つまづいて 足元見れば 何もなし」で読売は勝手に自滅するつもりだろうか?朝日の見事なこけっぷりで勢いづいたはいいが、勢い余ってけつまずいている産経よりはマシと思っていたが、このバカ騒ぎぶりはひどい。

<嬉しかったは、たった半時>

女性閣僚の活躍に期待を寄せていた世間の人々の落胆を歌舞伎のセリフで代弁してみせているが、自身の身の上にも重ねているのだろうか?そもそも「女性閣僚」の活躍に期待していた世間の人たちってどんな人たちなんだろな。読売に言われると頭を抱えたくなる。

女性への期待低下懸念として、「女性の議員だからダメだ、と議論がすり替えられ女性への期待感が弱まることが心配」という声が紹介されているが、子どもが産めりゃぁ、オレだって大臣になれるぜ、とか言ってる男やそれに賛同する人はともかく、今回の辞任で「だから女は~」なんて正々堂々という人っているのだろうか?(蔭では盛大に言うだろうけど。)

1面のコラムニスト?は文学好きとみえる。安倍総理にシェイクスピアのリア王からのセリフをプレゼントしている。

<忍耐だ。我々は泣きながらここにやってきたのだ>

逆風に耐えて、政権を立て直すしかない、と締めくくっている。バカ騒ぎしといてよく言うよ。私が総理なら同じセリフを返します。そして、ご自愛くださいと付け加えます。

 

 

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子連れ出勤ってそんなにダメか?

2014年10月21日 | 日記

月刊誌『潮』11月号に、「アグネス論争から27年、いま再びフェミニスト宣言」のタイトルで歌手:アグネス・チャン氏と社会学者:上野千鶴子氏の対談がのっていました。

「アグネス論争」ってなんのこと?と思われる方もいるでしょうから、簡単に説明します。1987年、アグネスさんが乳児を連れてテレビ番組の収録スタジオにやってきたことで、芸能界の大御所:淡谷のり子さんに「芸能人は私生活を見せるものではない。仕事の現場に乳飲み子を連れてくるとは何事か」と叱られたことが発端となり、作家の林真理子さんやコラムニストの中野翠さんがアグネスさんを批判し、その批判に上野千鶴子さんなどが反論し、批判派・擁護派入り乱れてあらゆるメディアで賛否両論が繰り広げられたのです。約2年間続いたそうです。翌年の新語流行語大賞では流行語部門大衆賞を受賞したとのことですから大した騒ぎだったわけですね。

私は当時高校生でしたので、全くの他人事として見ていました。印象に残っているのは、林真理子さんがアグネスさんに対して心底うんざりしてムカついていることでした。アグネスさんが、林さんたち批判派に「いじめられている」というような発言をしていることに対する苛立ちでした。「いい加減にしてよ、アグネス!」のタイトルで週刊誌に反論というか愚痴めいたものを書いていました。笑いごとではないのですが、なにせ他人事ですからすごく可笑しかったことを覚えています。林さんがまるで独り相撲をしているみたいだったからです。林さんは最近の著書『野心のすすめ』のなかで、「アグネスさんの、「子どもを連れて行ったことで、職場の雰囲気が和やかになりました」発言はいくらなんでも鈍感すぎるのではないかと、自分が子どもを持った今でも同じことを思う」と書いています。

林さんのこの気持ち、小さな子供のいる私でもわかります。正直に告白すると、我が物顔に振る舞う乳幼児を見て、かわいいよりもむしろ苦々しく思うことがあります。なのに当の親は、皆がむりやり作っている笑顔やお世辞にも気づかず、目を細めていたりすれば苛立ちます。この気持ちはさて置くとして、子どもを連れて行ってみんなハッピ~みたいな発言をするアグネスさんは鈍感なのでしょうか?

鈍感なのかもしれません。林さんたちからすれば。でも、アグネスさんが生まれ育った香港では「普通のこと」ではないのでしょうか。香港の芸能界では子連れ出勤が普通らしいです…日本も昔は普通でしたよね。高度経済成長期に男は外で働き女は家庭で子守と飯炊きが一般化するまでは女と(男の場合もあり)子どもはセットでしたよね。アジアでは今でもそういうところ多いです。文化が違うことが理解できれば、「鈍感」と断罪することもないと思うのです。

林さんの苛立ちは、アグネスさんが特殊な立場にありながら、あたかも「働くお母さんの代表」のように振る舞っているように見えたことも原因ではないかと思います。アグネスさんは出産当初子育てに専念するつもりでしたが、レギュラー番組を何本も抱える超売れっ子タレントだったので、現場から、「子どもでもなんでも連れてきていいから戻ってきてくれ」と懇願されての復帰でした。欧米の人ならベビーシッターなどに任せるのでしょうが(アグネスさんはお金はあったのですから)、日本人や中国人は母子密着で子育てをするのが伝統ですから、アグネスさんも自分のお母さんがしたのと同様に他人に任せるのではなく、職場に連れて行ったのです。でも、日本はもはやそういうことが許される国ではなくなっていたのですね。

超売れっ子のタレントだからできたことなのに、テレビ関係者のなかには面白く思わない人もいただろうに、アグネスさんはそのことがしっかり認識できていなかったのだと思います。

上野千鶴子さんの反論は「アグネスさんが世の中に示して見せたのは働く母親の背後には子どもがいること、子どもはほうっておいては育たないこと、その子どもを見る人が誰もいなければ連れ歩いてでも面倒見るよりほかにない」です。ここまではいいのですが、「連れ歩いてでも面倒見るよりほかにない差し迫った必要にふつうの女たちがせまられている。」ときたので、それは違うだろうとなるのです。アグネスさんは「ふつうの女」ではなく、超売れっ子のタレントです。面倒見てくれる人は金を出せばいくらでも都合がつくのです。でもそのあとの「いったい男たちが子連れ出勤せずにすんでいるのは誰のおかげであろうか」はよい指摘だと思います。

ところで、上野千鶴子さんは作家の曾野綾子さんが「女性は出産後に会社に迷惑をかけてまで働くべきではない、仕事を辞めなさい」と言ったことに対し、曾野さんは作家という特殊な職業だからそんなことが言えるのだと反論していました。

フェミニストらしい品のある反論ですが、こう言ってやればよかったのに、と思います。「あなたのような高齢の方が持論をまきちらすのは老害なので、いいかげんにおやめなさいな」って。

 

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自分の子どもが要介護状態になったらどうしますか!!

2014年10月17日 | 日記

ロコモティブ症候群とは、運動器の衰えや障害によって要介護になるリスクが高まる状態のことである。高齢者に特有のもの、少なくとも中高年以降の人に生じるもの、と思っていたのだが、子どもたちがこのロコモティブ症候群の予備軍として注目されているというのである。

最近の子どもたちの運動能力が昔と比べて相当低下しているのは、かなり前から言われていることである。うまくしゃがめない(しゃがむ機会がそもそも今はないような…)しっかりと片足立ちができない、万歳の恰好ができない(両手を真上に上げることができない…まさか!!?と思うのだが…)とか…昭和の時代に比べれば、そりゃ便利な時代になったもの、体力が低下するのも当然でしょ、と思いつつ、こうやって例を挙げられるとショックを受ける。

このままの状態で大人になると、間違いなく日常生活に支障を来すようになると警告しているのは、日体大総合研究所所長の武藤芳照さんである。

運動機能低下の原因は「運動不足」と「運動過多」にあるとのことです。運動不足は予想どおりだが、意外なのは運動過多だ。

運動をするうえで大事なことは、「質と量」で、質とは種類のこと、量とは強さ・時間・頻度のことであり、この質と量に問題があるそうだ。

運動不足の原因は大人と同じで、普段の生活の中で体を動かす機会が少なくなっているせいだ。それに加え、外遊びができる時間や空間が少なくなっていること、学校への登下校の際スクールバスを使用したり、家族の車で送迎してもらっている子が増えていることが挙げられている。

運動過多とは、幼いころから特定のスポーツ種目に取り組み、指導者が教えすぎることで生じる肩・肘・腰・ひざなどの故障です。よかれと思ってやらせているダンスやテニス、サッカーや野球で子どもの体が要介護のリスクにさらされるなんて…

また、一つの種目に偏るのもよくないそうです。いろいろな種類の種目を実践していれば、その分怪我や故障のリスクが分散されるようです。そして運動を実践する際は、量が多すぎず、強度が強すぎないことを心がけるべし!とのことです。

これからオリンピックに向けて子どもへの期待がふくらみ、ぜひわが子をアスリートに!なんて、夢を託す親が増えそうだが、無理をさせて子どもの将来を台無しにするのだけはやめてほしいな。

勉強でもスポーツでもトップを目指すのはいいが、夢破れる人のほうが現実には圧倒的大多数なのだから、そのフォローこそしっかりやらないといけませんよ!

ものにならない、パッとしないなどと言ってわが子を切り捨てるのはいけませんよ。

武藤さんは、教育とは「子どもが本来持っている能力や感性を引き出すこと」と言ってます。

自分の果たせなかった夢を子どもに託すのが教育ではないみたいですよ!!

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