仕事と育児は両立しなくていい?

2015年02月28日 | 日記
・中国では最近、全寮制の幼稚園・保育園が増えている
・中国人の子育てでは、3歳くらいまで田舎の両親に預けっぱなしにしてしまうというケースが多い
・中国では、育児と仕事の両立という発想自体を持たない人が多い

博報堂の原田曜平さんのアジアの子育て事情(月刊誌「潮」3月号)に書かれていたものです。

私は世界各国の子育て事情にはけっこう関心があり、書籍もまあまあ読んでいるほうだとは思っていたのですが…世界は広いです!中国は広いです!

原田さんが記事で指摘しているとおり、これを日本でやったら育児放棄だ、子どもがかわいそうだと非難ごうごうになるようなことが、中国ではフツ~に行われていたりします。

日本では、家政婦さんを雇うのはかなり裕福な家庭に限られますが、中国では、格差が激しいこともあり、普通の庶民が家政婦さんを雇って家事をアウトソーシングする例がよくあるそうです。

食事は屋台で買って家族全員がそれを食べるとか。

これなどは、食文化の違いが大きいと思います。日本では、お母さんの手作り料理信仰みたいなものがありますが、国や地域によっては、家事も含めて「仕事」はみなで役割分担するというところがあります。

家の中で調理する習慣がないところもあります。食べ物は外で調達するものという文化の元では、お母さんが家の中で調理するなんて「趣味」になっちゃいますよね。

香港やシンガポールの女性は家事なんてしないそうです。もちろん既婚女性もですよ。昨年わが町で国際交流員だった人に、その話をしたら「でも、ぼくのお母さんはちゃんと料理を作ってくれました」と言っていました。すごく珍しいことみたいです。

日本の専業主婦率は、先進諸国に比べ高く38%だそうです。一番低いスウェーデンが2%です。一番高いのは韓国で、インドもかなり高い率ですが、専業主婦という存在自体が非常に限られた国の話であるということ。

専業主婦になりた~い、という日本女子が多いと聞きますが、世界的には流行らないようです。狭き門かもしれません…

中国の例は、日本人から見ると極端すぎて、子育ての参考にはならないかもしれないけれど、日本人が「子育ての当たり前」と捉えていることが、世界的に見れば必ずしもスタンダードではないことに気づくきっかけにはなるでしょう、との原田さんの言葉が印象的です。

全寮制とまではいわないが、5歳の娘を1~2か月お泊り保育させれないかな~

母親失格かな~
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小学生だってがんのこと学べます!がん教育は必要です。

2015年02月27日 | 日記
小学生からのがん教育を考える

という見出しで、UICC(国際対がん連合)日本委員会の北川知行さんのお話が新聞に載っていました。

私はちょっと前まで、日本人の2人に1人ががんにかかるといわれているなんて知りませんでした。がんになるのはすごく運の悪い人、がんになったら最後ほぼ確実に死ぬ。生還するのはごくごく稀な運のいい人、と思っていました。

たまたま自分ががんになっていなかったり、身内や知人友人にもいなかったせいで、完全に他人事と思っていました。

北川さんは、がん教育を交通事故や風邪、食中毒、虫歯の予防を教えるのと同じ次元で考えています。

つまり、がんについて難しい知識を教えるのではなく、日頃の生活習慣を守ることで効果を発揮することを教えるのだそうです。

健康に気を付けていたのにがんになった…
鍛えに鍛えてがんで死ぬ…
同じように不摂生をして自分だけががんになるなんて…

ということもあるでしょうけど、どうせなるときはなる、運次第だ、と言って自堕落に生きるのも刹那的であまり楽しくありません。

私は40年以上生きてきましたが、身近な人がいろんな原因で亡くなりました。がんで亡くなる人こそいなかったものの、母やその兄弟はほとんどが心臓発作で亡くなっています。
20歳になる前に、デート中に交通事故で亡くなった友人もいます。
30歳前に心筋梗塞で亡くなった知人もいます。
子どものころ、近所のおばちゃんが牛舎の仕事中におがくずの山に落ちて窒息死してしまったこともありました。
児童養護施設に勤務していたときは、退所した赤ちゃんが「なぜだか」亡くなってしまいました。
少し前まで元気だった中学生の女の子が、けいれんを起こして救急搬送され、あっという間に脳死状態となり、数日後に亡くなってしまったこともありました。

人って、死ぬんだな。漠然と不思議な気持ちに包まれました。

「死」を回避する傾向がありますが、どれだけ避けても避けきれるものではないし、子どもの頃から、折に触れて話題にしたらいいと思います。

がん教育も、自分の健康は自分で守るという予防の観点と、「死」について考えるという死の観点からの学びがあると思います。

北川さんも、がんを教えることを通じて、1生きる力を養う 2人生や死を考えさせる 3科学的な興味を引き出す 4医学的知識を与えるなど、さまざまな教育効果があると言います。

社会的重要性から考えると、第一の目標は、がん予防の姿勢を子どもたちに身につけさせること、だそうです。

英語ばかりがやんややんや言われていますが、がん教育だって大事です
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いろんな分野で専門分化が進むなか、専門性の穴を埋める何でも屋も必要

2015年02月26日 | 日記
看護師の宮子あずささんが、5年前の中日新聞(東京新聞)のコラムで医療の専門性について書いていました。

宮子さんは、東京都内の総合病院で22年間働いていました。内科病棟、精神科病棟、緩和ケア病棟を経験しており、緩和ケア病棟の5年間は、看護師長として精神科病棟も兼務していたそうです。

病院で働く看護師は同じ部署にとどまらず、たいていの場合時期が来れば異動するということです。専門性という点ではマイナスだが、一方で幅広い知識を授けてくれると宮子さんは言います。

内科病棟に勤務していたころ、夜中に患者さんの意識が低下し、宮子さんは血圧その他の既往歴から脳卒中を疑いました。実際その通りだったのですが、その晩の当直医は初め肝性脳症を疑いました。その医師は大学病院から来たばかりで専門は肝臓でした。しかし、医師は柔軟な人で看護師の指摘をすぐに受け入れてくれたそうです。

突発的な変化があった時、誰もが自分の知識に照らし、それを解釈する。これ自体は責められるべきではない。大事なのは、別の視点からの指摘を受け入れるかどうか。

宮子さんは、専門性と専門性の間には穴があると言います。高度医療のもとで医師や看護師の専門分化が進むことは素敵なことだが、専門性と専門性の穴を埋める何でも屋的役割も高度医療には不可欠なのだと。

医療に限らずです。

とても大事な視点であると思います。

日本には様々な社会制度が整っていますが、制度には狭間というか、隙間というか、宮子さん風に言えば穴があります。重なっている部分もあります。それぞれの分野の担当者はその分野のことには詳しいかもしれませんが、他のことはよく知らないというか無頓着なことが多いと思います。行政機関では、同じ建物・同じフロア内にあっても、課が違うと市民の依頼に応えて問い合わせると言うこともあまりなく、縦割りといってしまえばそれまでですが、なんかもったいないかんじがします。

そこでようやく思いました。

社会保険労務士が社会保険・労働保険の何でも屋にならないとだめなんだって
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子育ては「識者」「専門家」よりもおばあちゃんの知恵です

2015年02月25日 | 日記
 「識者」「専門家」と呼ばれる方々のアドバイスを唯一の正解と思い込んでしまうのは不幸の元です。

詩人・エッセイストの浜文子さんが、新聞紙上でNHKの子育て番組について書いていました。

ひな段に並ぶ子連れのパパ・ママが、子育てについて「識者」「専門家」と呼ばれる方々からのアドバイスを聞くという形式の番組です。

その日のテーマは「ママのイライラをどうする?」でした。ある一家にカメラが入り、ママが赤ちゃんを寝かしつけようとしているのに3歳のお姉ちゃんが床に寝転んで「ピアノが弾きたい」と駄々をこねている姿が映し出されていました。

浜さんはすぐに、この女の子はお母さんにかまってもらいたいのだな、とピンときたそうです。お姉ちゃんを上手におだてて赤ちゃんの寝かしつけに引き込んだらいいのだ。下の子にかかりっきりになるときは、かまってほしい上の子を手持無沙汰の失業状態にしてはいけない。たとえば「赤ちゃんがねんねできるように小さくやさしいお歌を弾いてね。さあ、どんなお歌がいいかな」というように、うまく誘わなければならないと言います。

なるほど、先輩ママ・おばあちゃんの知恵です。

ところが、「識者」「専門家」の先生方は、こんなときこそ託児を利用しましょう!とアドバイスをしており、浜さんはテレビの前でただただ驚愕したそうです。

子どもが3人になったらどうするのか?きょうだいのかかわりは?託児の送り迎えの時間の捻出は?寝かしつけのたびに託児を利用していたら日常が回らないわ…

と思ったそうです。

アドバイスを受けたお母さんが「(子どもを預けても)いいんですか?」と問うと、先生方は「いいですとも」と答え、上の子と下の子どちらを預けるかに話は移っていったとのこと…

浜さんの驚愕、釈然としない思いに同感です。

私は仕事が忙しいときや自分のことをしたいとき、つい娘に向かって「お母さん大事なお仕事あるの。邪魔しないで」みたいなことを言ってしまいますが、うまくいったためしはありません。怒ってグズって泣いて余計に時間を取られるばかりでした。あるとき、「いっしょにお仕事しようか。ノート持っておいで。」という作戦でいったら、娘はおとなしくお絵かきをしてくれました。

託児は当然必要なものです。知恵と工夫、根性で子育てを乗り切るべし、とも思いません。病児保育だって必要です。保育所だって当然。待機児童は放置されていいわけがありません。

けれども、子育て支援は子育て番組の先生方のアドバイスと同様の考え方で進められているように思います。

社会化という言葉のはきちがえでしかありません。

介護も同様。
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出産はなんで保険適用じゃないんだろう

2015年02月24日 | 日記
出産にかかる費用には原則保険適用がない。

なぜだろう?と疑問に思いつつも、病気じゃないからか…とか適当に想像してお茶を濁してすましていた。

療養給付という現物給付はないが、いつのまにか出産育児一時金という現金給付ができている。現在42万円だが、このうちの1.6万円(昨年までは3万円で、1万4千円の減額)は「産科医療保障制度」の保険料に充てられている。

「産科医療保障制度」とは、出産時の医療事故で重い脳性麻痺になった子どもに300万円を補償するものである。出産事故がなくても脳性麻痺のリスクが高い低体重児を除外するため、妊娠33週以上が対象となっている。医師らの学会や患者団体が31週以上に条件を緩和して対象者を広げるよう求めたが、厚労省は32週以上とした。

33週以上でスタートしたが、予想よりも対象者が少なく、余剰金が出たことから保険料が減額となっている。しかし、出産育児一時金は42万円に据え置かれている。

出産にも保険を適用し、産科医療の内容と価格を透明化するべき、と主張しているのは、「患者の視点で医療安全を考える連絡協議会」世話人の勝村久司さんである。

出産が美容整形などと同じ自由診療となっているため、価格を国がコントロールできず、医療機関により大きな差があるということだ。

出産育児一時金も医療費も公的医療保険から支出されるので、出産を保険診療にしても健保組合などの財政負担は変わらない。しかも国民にとってむしろメリットが大きいと藤井さんは言います。

保険適用とすることで、設備や人員配置の条件に応じて医療機関が診療報酬を受け取る仕組みになり、助産所を含めた医療機関の機能分化や集約化などの体制整備、産科医療のレベルアップにつながるということだ。

出産の保険適用はこれまでもたびたび議論されては消えてきたそうだ。

なんでだろう?

出産は怪我・病気ではない、という考えだろうか。普通分娩であれば、子どもを出産するのは本人の自由意思なので、美容整形と変わらないということか。

だが、出産はそもそも母体に大きな負担となるし、危険も大きい。出産なんてたいしたことない、死ぬのはよほど運の悪い人、藪医者に当たった人、医者のミス…と思われていないだろうか。皇室の女性が出産するとき、これでもかというくらい万全体制を取っているが、これは出産が非常に危険を伴うもので、万が一にも皇室の女性にもしものことがあってはいけないからではないのか。

定期的に病院に行かない人が救急搬送されてきて、母子を救えなくて医療ミスとされ訴えられたんでは誰も産科医にはなりたがらないだろう。

出産は病気ではないが、危険を伴う手術(みたいなもの)という認識が必要ではないか。

ついでに、日本では乳幼児の死亡率が低いが、そもそも乳幼児は死にやすい。医療体制が整っているので病気ではそんなに亡くなっていないが、不慮の事故(溺死や転落死)は多い。安全も水もタダではないことは広く知られるようにはなったが、今一度、自分たちの社会は自分たち自身の責任で守るという意識をもたなければならない。

ということで、出産に保険適用、賛成です。産む予定ないけど
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