50代主婦の就活からみえるもの

2014年07月31日 | 日記

長いあいだ専業主婦だった40~50代の女性が、仕事に就くのは至難の業らしい。ただ単に40~50代ってだけで難しいかんじがするが…なにも正規雇用のはなしをしてるんじゃないですよ。パートやアルバイトでもですよ!

『主婦が、仕事を、探すということ。~高学歴40代妻たち、涙と笑いの再就職戦線~』

著者:ウイメンズ望月恭子と就活中の主婦たち

を、真面目な気持ちで真摯な態度で読もうと思ったのに、できなかったです!

桃子さんとりんこさんという2人の50代の女性の就活奮闘記なのですが、読んでいてそのあまりのノー天気ぶりに悶絶しました。2人とも就職したのはバブル全盛期、完全腰掛け気分でOLをやり(OLって今じゃ死語ですが)そこそこの男をゲットし結婚。出産・育児を専門としていたが、子供の教育費の高騰にだんなの給料が追いつかず、「働いてくれ」と懇願され、いざパート探しへ、となるのですが…

事務経験あり得意です、と言いながらワープロしか使ったことがない、「タッチパネル」のコピー機が使えない…

接客なら自信あります、といいつつ販売は立ちっぱなしだからといって嫌がる…

コピー・お茶くみ(これ差別用語になったんでしたっけ?)の派遣で時給1800円という経験があるので、時給700~800円の仕事の存在をスムーズに理解できない…

こどもの影響なのか、言葉遣いが異常にキタナイ…

社会常識の欠如が著しい…

おばさんには、介護・サービスの仕事しかないとひがむ。今は若い子にもそんな仕事しかないの!!

と悪いところを並べ立てたが、いいところだってある。

信じられないくらい強気。今日明日食べるものに困ってるわけじゃないので、当然かもしれないが

若い人はそうじゃない。その仕事じゃなくたって、生きる死ぬに関係ないはずなのに、就活で失敗したからって死んでみたり、オバハンには理解不能な心理・行動だ。

彼女たちはバブルで甘やかされた人たちかもしれないが、だんなの月給が100万じゃないから自分が働きにでなきゃいけないといいつつ、自分が100万男に釣り合う女ではないことをわかっている。

物心ついたときから不況で、そこそこなんでも揃っていてぬるい幸せに浸かっている今の若い人たちとの違いは、ガッツかもしれない…

書類選考で落ちまくり、やっと面接までこぎつけても、和やかに談笑したはずなのに、やはり落ちまくる。

2年ほど就活した後、ようやく自分が好きな縫い物の仕事である「縫製業」をみつける。きちんと習ったことはないが、趣味でミシンを使い続けていて得意だったそうだ。あっさり決まったのは最低賃金のため、他に応募者がいなかったかららしい。そうだろうと思う。彼女が就職した会社も、当然ながら中国人研修生がほとんどであった。研修生といったって、元々中国でミシンを使っていたプロである。最賃法も適用にならないほどの恐ろしく低い賃金で働く中国人「研修生」の腕前は相当なものである。もうひとり日本人が採用されたが、その人は素人だった。なぜって、最低賃金しか払う気がないのでプロだと困るからだ。会社は「経験者はかえってやりにくい。変なプライドがあってこっちの言うことをきかない」という理由をあげていたが、そういいつつ、うまくできないのでイラつき、「休憩時間も練習しない」からという理由でその人は退職に追い込まれた。

いまどきミシンがうまく使えるからって、それが何?縫製業なんて斜陽産業じゃないの。時代のニーズに合わない技術なんてなんの価値もないじゃない。そう思う人は多いだろうね。

私はそう思わないけど。本当に必要がないなら、なんで中国人にやらせるわけ?高い技術を利用しといて、その仕事が最低賃金やそれ以下なら、それは搾取・泥棒でしょ。価格は需要と供給で決まるだの、不要なものは市場で淘汰されるだの、経済の教科書に書かれているのか、インチキコンサルタントが吹聴しているのか知らないけど、それで自分が買いたたかれたり、淘汰されたりしてもそれは「仕方がない」ということなんでしょうか?経営者の方はよく権利ばかり主張する云々と言われますが、権利ばかり主張する労働者に振り回されている一方で、何も主張しない労働者に、自分たちの無能から発生した損失まで押し付けているように見えます。雇用されている人は、自分がそれほど価値がないのか、経営者が言うほど能力に欠ける人間なのか、その経営者(や上司)の価値をみながら、冷静に考えてみるべきだと思います。

ノー天気な、バブルの負の遺産のような50代女性の就活奮闘記でしたが、それゆえに日本の仕事の裏事情がはっきりと映し出されていて面白かったです。こんな彼女たちは、人を完全に「モノ・コスト」としか扱わないファーストフード業界には見向きもしません。

オバケット(東京オバさんマーケット)

 

 

 

 

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取れそうで取れない有給休暇を取ってみよう!

2014年07月25日 | 日記

先日「103万と130万、この2つの壁をのりこえたその先にあるのは…?女性の働き方が変わる!かも…」のタイトルでセミナーを開催しました。配偶者控除の廃止・縮小を視野に入れ、夫の扶養の範囲内で働くことの限界と、労働時間を長くするには賃金アップが必須であるとの観点から、雇用されて働くなら最低限知っておくべき労働法の知識と、会社との交渉方法について話をしました。セミナー終了後受講者の方から、有給休暇はパートとかでも取れるのか?社長は取れないようなことを言っていたが…、会社によって違うのか?という質問がありました。有給休暇は正社員・パート関係なく取ることができます。短時間の方の場合、比例付与といって、フルタイムに比べ日数は若干減りますが、取れることにかわりはありません。会社によって取れたり取れなかったりするものではないのです。労働基準法に規程されており、当然に発生する権利であり、会社は与えなければならないのです。つまり、「取ってもいいですか?」と許可を求めるたぐいのものではないということです。こういった知識を得ることは雇用されている労働者にとって大切なことですが、これから先が難関なのです。有給が当然の権利であると知っていながら一度も取得したことがないという人は多いと思います。あるいは、子供の病気などでやむを得ず遅刻・早退・欠勤になり、頭を下げて有給にしてもらった、上司の顔色を伺い親の介護や子供の行事などを理由に許可を得てようやくもらえた…などなど、これのどこが権利なのかという状況が普通ではないかと思います。

若者の労働問題に取り組むNPO法人POSSE(ポッセ)の事務局長・川村遼平さんの『NOと言えない若者がブラック企業に負けずに働く方法』という本があります。川村さんはまだ20代の大学院生ですが、地に足の着いた活動をされているようです。焦らず力まず着実に労働相談をこなしています。

川村さんは、「法律や制度は弱い人を助けるものではない。上手に使ったときに初めて役に立つ」「法律や制度を使ってなんらかのアクションを起こした人が、初めて法律によって自分の身を守るチャンスを得る」「法律の内容が社会で実現されるには、当事者のアクションが必要」と訴えています。

労基法なんて絵に描いた餅、どうせ言っても無駄、やるだけ損……理由はいくらでもあると思いますが、行動を起こさない人が圧倒的に多いです。(自分だってそうでしたし…)でもそれだと本当に絵に描いた餅を眺めているだけです。それが嫌だと思うなら、後は野となれ山となれでやってみたらいいと思います。無責任ですが、後のことを考えていたらできないです。

長時間労働や不払い賃金のように深刻なものじゃなくても、有給休暇を取るという比較的大丈夫そうなものでも、とにかく行動を起こしてみるのがいいと思います。ひとりよりも2人、2人よりも3人で行動を起こすほうが有利です。誰かを出し抜いたり、犠牲にして好条件を得ると一時的には得かもしれませんが、小さな会社であっても組織を相手にするときは、従業員が協力し合ったほうが圧倒的に有利です。ダメ元でもとにかくやってみる。小さな勇気ですが、これがないとなにも始まらないです。

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駒崎さん、「品質管理」って、人間に使う言葉ですか?

2014年07月21日 | 日記

病児保育サービス「NPO法人フローレンス」の代表理事である駒崎弘樹さんの、ある教育雑誌に連載されているエッセイの中に、とても気にかかる表現がありました。3月に神奈川県で起きたベビーシッターによる幼児殺害事件について、その背景に目を向けるという趣旨の内容でした。企業がベビーシッターを登録・研修して派遣する形態と、個人ベビーシッターが直接請け負う形態があること、そしてその料金の違いを説明し、料金の安い個人ベビーシッターを利用せざるを得ない人が増えているという説明でした。そこまではうんうんと頷けるのですが、そのあと、「今回の事件で親御さんが利用したサイトでは、”品質管理等”は行われていなかった」とあるのです。資格や経験などをきちんとサイト運営者が確認していないということなのでしょうが、それにしても、保育者の質について使う言葉なのかと、記載されている駒崎さんのプロフィール写真をまじまじと見つめてしまいました。保護者が保育(保育者)のことで、園に苦情を言う際、「おたくは”品質管理”がなってないよ」などと言えば、園長などの管理者は、保育者の言動はともかく、「保育職員は商品じゃありませんよ」と腹が立たないだろうか。駒崎さんはどうしちゃったんでしょうか。社会企業家のはしりとして若くしてフローレンスを立ち上げたときは、こんなことを言う人ではなかったはずです。最近では子ども子育て会議の委員になっていたり、ずいぶん政治にも貢献しているみたいですが、政権与党の支持母体である団体の雑誌で、その政策をすばらしいと褒めるなど、なんか良識を疑うかんじのことが増えてます。

ベビーシッター事件についての今後の課題についても、政府の子ども子育て支援法の理解促進を担っているかのような内容です。

「質の高いベビーシッターを安価で利用できるようにするのが重要。」「無資格でもベビーシッターができることや、」知らない人に子供を預けることへの批判に終始するのではなく、子供を安心・安全に預けることができるように、仕組みそのものをアップグレードしていく必要がある、と締めくくっています。

質の高さに必ずしも資格は必要ないということでしょうか。資格というわかりやすい基準以上にわかりやすいものってなんでしょうか。経営者が恣意的に選べると「質の高い」保育者が集まるのでしょうか。資格はなくても、人間力だか人間的魅力だかがあればよし、ということでしょうか。どうやってその能力の有無を確認するのかは知りませんが。

 

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介護といえば、感謝・感激・感動って、それしかないからか?

2014年07月16日 | 日記

月刊社労士6月号で香川県の社労士・林哲也さんが

「介護事業所における労務管理と社労士としての支援策」

というテーマで2015年度の介護保険制度改正について書いています。

著書に「実例で見る介護事業所の経営と労務管理」(日本法令)などがある、介護・医療周辺に詳しい方です。

在宅サービスでの主な改正点として

⑴ 要支援者の訪問介護・通所介護サービスを介護保険給付から外し、地域支援事業に移行

⑵ 総合事業の生活支援・介護予防サービス事業のみ利用する場合、「基本チェックリスト」に回答し、該当すれば介護認定を受けなくても利用できる制度の導入

⑶ 小規模デイは、市町村の許認可制となる予定

⑷ デイサービスは、サービス内容によって、類型化さて、これに応じた報酬額となる

⑸ 一定以上の所得のある人は、2割の自己負担

⑹ 介護職員の処遇改善加算制度は、2015年4月までに、「財源の確保も含め検討を加え、必要のあると認めるときは必要な措置を講ずる」との内容で、処遇改善法案が成立予定。とりあえずなくなるってことか…

の6点をふまえ、事業所に与える影響として、

量的には、利用抑制の強化による収益構造の変化、

質的には、中重度者対応に力点が置かれるため、

介護職員の専門性と人間性の高さが求められるとして

職員の質の強化をあげています。

基本的な労務管理の解決策として3つの問題点があげられています。

1 採用方針の問題

「とにかく有資格者」とばかりに、人柄を見ないで採用

面接で人柄がわかるのか…とも思うが、林さんが言っているのは

「採用するべきではない」と知りつつ、採用してしまい、後に職員間のトラブルを頻発させ、大量退職となるケースだとか…

2 管理者の資質の問題

「とりあえず管理者」問題。力量を見極めず、「有資格だから」の理由で登用し、人間関係の不調の原因になっているとか…

とりあえず起業した人などは、どうすればいいのだろうか?

なんか林さんは難しいことを言っているな…

3 処遇改善加算の終了・減額への対応

最後に社労士としての支援策をあげています

⑴ 介護職員の処遇とキャリア確立を支援

⑵ 元気な高齢者の介護事業への就労を支援

(元気な高齢者が元気をなくすような目に合わないように監視する必要もあるぞ)

⑶ ボランティア活用の知識と技術を支援

ときて、最後が

介護は感謝、感激、感動の仕事と理解し、介護への誇りと憧れを広げる支援も大切と締めくくっておられました。

残念!(いつの流行りや!!)

最後の最後、これですかい。

「キツイ」「キタナイ」「クルシイ」は本質ではないそうです。確かに。

仕事がキツイかって言ったら、キツクないでしょ。私は特養勤務経験ありますが、「仕事はキツクないんです」キツイのは他のもろもろです。特養時代の同僚がグループホームに職場を変え、「信じらんないくらいラク」と言ってました。ラクな特養よりもっとラクらしいです。キタナイが排泄物とかだったら、排泄物を排出しない人いないでしょうし、人様のこと言うのは…でもキタナイのは排泄物ではないのです。クルシイならいろんな意味で本当に苦しい。私は、小さいころから祖父母に、現世での行いによって、死んだら地獄に堕ちると聞いていたので、特養での体験は今でも恐ろしい。天罰が下るかもしれないという恐怖の苦しみがある。

以前、介護労働安定センター主催のセミナーに参加したのだが、そこでもある社労士が林さんのようなことを言っていた。そういうことを言わないとダメな業界なんだとつくづく思った。

ちなみに、社会学者の古市憲寿が『だから日本はヅレている』のなかで、このままでは2040年の日本はこうなる、と予測している。絶望の国という言葉が真実味を帯びるようになり、階級社会は固定化され、ゆえに「まあ、こんなもんだろう」と、幸福度が逆に上がった社会。アジア諸国の経済水準が上昇し、日本へ移住するメリットもなく、AEAN諸国は極東の没落国に興味をなくしてしまう。なので、低賃金労働を移民に任せるという選択は取れず、貧困層の日本人が移民担当職に従事することになるのだが、それがファーストフード店員や介護職である。

外国人が賃金低下をもたらすとか、人手不足だからって安易に外国人に頼るなとか、移民の就労にはみんな正論で抗議していますが、古市バージョンが笑い話であってほしいと心の底から願う。

 

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自爆営業は普通で当たり前なのか

2014年07月11日 | 日記

樫田秀樹氏の『自爆営業~そのおそるべき実態と対策』(ポプラ新書)を書店でパラ読みし、即購入して読んでみた。

全国の郵便局にはびこる自爆営業の実態や他業種にも広がる自爆営業とその背景、自爆営業を拒否するにはどうしたらよいか、自爆営業は必要ないといった内容で大変興味深く、かつ心強い新書である。

私は以前から郵便配達の人のことが気になっていた。家にいることが多いので、書留の類や小包などの受け取りで配達員さんとよく顔を合わせる。配達のほとんどが非正規雇用でまかなわれ、その労働条件が非常に厳しいということは知っていた。なので、ある配達員さんからかもめ~るの購入をすすめられたときは、「非正規なのに大変だな」と気の毒に思った。注文用紙に名前が書いてあったので、きっとノルマとして決まった枚数を売らなければいけないのだろうと察した。局によって違いはあるのだろうが、この本を読んで、想像をはるかに超えたものであることがわかった。

程度の差はあるが、自社製品を「売上アップのために」つまり、「売り上げが少ないことの責任を問われないようにするために」、自腹を切って購入することを、働く人はわりとフツーに受け取っているようだ。本書でも、「そんなのよくある話」「自分もたまにやってる」といった言葉が紹介されている。

私は以前知人から「自社商品の買取りをしなくてはいけない。これって違法ではないのか。」との相談を受けた。自社商品が欲しい人は従業員割引で購入することができるのだが、知人はよく定価で購入し、売り上げに貢献していた。それでもいよいよ苦しくなり、購入量を増やさねばならなくなったのだ。詳しく話を聞くと、ノルマらしきものはあるが、明文化はされておらず、本社から直接購入を強制するような言葉はないとのことだった。だが売り上げは個人別に管理され、上司も同僚も(知人を含め全員非正規)定価での購入で売り上げを補っており、売り上げ減によるシフト減を恐れているということである。相談にのっていて、なにかズレている、おかしいという気がしてもどかしかった。なぜなら知人は、「売れない(売る能力がない)のなら、自分で責任をとるべし」「でもさすがに、ある程度の金額を超えるとキツイ」「売れないのに自分で購入しないのはおかしい」「でももしこれが違法だったらこわい」と言うのである。ちょっと違うんじゃないかと意見を言ってはみるが、溝は埋まらなかった、というか深くなるばかりだった。手持ちの札では、違法とは言い切れない。実態をもっと知る必要があると伝えると、知人は「違法ではないんですね!それならいいんです」とホッとした様子であった。

自社製品を自腹で購入することの他に、会社が負担すべき経費を自分が支払うことや、サービス残業なども自爆営業といえるのではないか。だが、これらのことを多くの人が「当然」と思っていれば、労働規制を強めたところで、絵に描いた餅となってしまう。労働法規の整備は当然なくてはならないが、労使ともにそれらを軽んじるなら、なくてもいいということである。働く人の多くは、規制などないほうが、自由でいいということなのか。私は自由という言葉そのものがインチキくさく、都合よく使われることが多いのでいけ好かないが。

 

 

 

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