先週の土曜日、日本FP(ファイナンシャル・プランナー)協会富山支部主催の継続教育『FPとして知っておきたいリタイアメントプランにおける年金知識』を受講してきました。講師は富山市内で社会保険労務士事務所を開業しており、年金事務所などで年金相談もしていらっしゃる中島幸治先生でした。受け取ったレジメをパラパラとみて、退屈かもしれない…とややうんざりした気持ちになってしまいました。先に結果を言ってしまうと、中島先生ごめんなさい、とってもわかりやすく、おもしろくためになる研修でした!!私はここで、一つの法則を発見しました。レジメがおもしろいと、講義はつまらなく、レジメが退屈だと講義はおもしろいということです。レジメはたいてい直前になって手渡されるものなので、お客さんは逃げようもないです。だから退屈でもいいんです!中島先生はまず、ご自分の両親と娘さんを例に挙げて年金の話をされました。身近なところから年金の話をするのはひとつのポイントだなと思いました。他人ごとで話をすすめると過激な意見に流れるので…年金というと、世代間格差がよく問題とされます。今の年寄りは年金をもらいすぎている、自分たち現役のお金がどんどん年寄りに流れている、今の若い人たちは年を取ってもほとんどもらえない…ってなかんじでしょうか。はたして、本当にそうなのか、ですね。介護の仕事を通して多くの高齢者と接して思ったのは、「今の年寄りは年金多くていいな~」ではありません。なかにはそういう人もいらっしゃいますが、極めて少数派です。そして、そういう人はお金はあるのに、なぜか古びた特養の相部屋で私物もほとんどなく、会いにくる家族もおらず…って、話がどんどんそれていくので戻しますが、多くの高齢者の方が、「年を取ったってだけで、こんな目にあうなんて…」というような状況でした。年金なんてほとんどもらってないです。そして若い人たちは、年金少ないからかわいそうかっていったら、私はそうは思いません。今若い、年取ったら年金少ない、のどこがかわいそうなん?というのが正直な気持ちです。中島先生は、「男なら年金なんかもらわんでもやってけるほど稼げばいいがいや」とおっしゃってましたが、若い人も同じだと思います。将来の年金なんかどうでもいいとは言いませんが、保険料をちゃんとおさめつつも、まずは仕事やろ、と思います。
人が幸福かどうかなんて、調査でわかることなんだろうか。
ブータン国民の9割以上が幸福であるとか、福井県は幸福度ランキング第一位であるとか、話題としては面白いけれども、だからブータンは素晴らしいとか、福井県に住むのがよいとか、真面目に議論するのはどうかと思う。調査方法に問題ありとかの反論もあるが、調査結果をへ~そうなんだぁと軽く受け流さないところがむしろ問題ではないか。ブータン国王夫妻が来日した際の、メディアの幸福騒ぎぶりは特に面白かった。それにしても、幸福がそんなに人気のあるものなら、なんで売り出す会社がないんだろう?私はへそがひん曲がっているのか、幸福・幸せという言葉は常に不幸・不幸せ・薄倖などとワンセットで脳裏に浮かぶ。自分が幸せかどうかなんて、あまり考えたこともない。世間の多くの人もそうではないかと密かに思っている。なぜって、衣食住がなんとか足りているなら、ただもうそれだけで「幸せ」に違いないでしょ。(決めつけ)みんなが気にしているのは、ひょっとして「他人からみた自分の幸福かげん」じゃないのか?幸福な人、満ち足りた人と思われるのは、不幸な人、かわいそうな人と思われるよりも、自尊心や虚栄心の具合がよい。やっぱり、私は根性がねじ曲がってるわ…
ところで、私は子供向けの本をよく読む。特に中高生を対象にしたもの。大人向けのものに決して劣らない素晴らしい作品が多い。イギリスの作家プルマンの作品に、幸せについての記述がある。舞台はビクトリア朝時代(日本では明治の頃)のロンドン、投資会社を運営している進取の気性に富む20代の女性サリー・ロックハートが主人公です。サリーは、自分は幸せになどなりたくない、と言うのです。幸福なんてものは、もろくて受身のものでしかない。自分は生きがいをみつけて活動したい、自分がなすべき仕事をしたい。漠然と、幸せってなんだろうと考えていた私に明快な解答を示したのが、このサリーです。サリーの仲間、ジム・テイラーの言い草ではないが、これぞ「スピリット・精神」ではないですか。
幸せかどうかなんてどうでもよい!なすべき仕事があるかないか、それが問題なのです!!
ブータン国民の9割以上が幸福であるとか、福井県は幸福度ランキング第一位であるとか、話題としては面白いけれども、だからブータンは素晴らしいとか、福井県に住むのがよいとか、真面目に議論するのはどうかと思う。調査方法に問題ありとかの反論もあるが、調査結果をへ~そうなんだぁと軽く受け流さないところがむしろ問題ではないか。ブータン国王夫妻が来日した際の、メディアの幸福騒ぎぶりは特に面白かった。それにしても、幸福がそんなに人気のあるものなら、なんで売り出す会社がないんだろう?私はへそがひん曲がっているのか、幸福・幸せという言葉は常に不幸・不幸せ・薄倖などとワンセットで脳裏に浮かぶ。自分が幸せかどうかなんて、あまり考えたこともない。世間の多くの人もそうではないかと密かに思っている。なぜって、衣食住がなんとか足りているなら、ただもうそれだけで「幸せ」に違いないでしょ。(決めつけ)みんなが気にしているのは、ひょっとして「他人からみた自分の幸福かげん」じゃないのか?幸福な人、満ち足りた人と思われるのは、不幸な人、かわいそうな人と思われるよりも、自尊心や虚栄心の具合がよい。やっぱり、私は根性がねじ曲がってるわ…
ところで、私は子供向けの本をよく読む。特に中高生を対象にしたもの。大人向けのものに決して劣らない素晴らしい作品が多い。イギリスの作家プルマンの作品に、幸せについての記述がある。舞台はビクトリア朝時代(日本では明治の頃)のロンドン、投資会社を運営している進取の気性に富む20代の女性サリー・ロックハートが主人公です。サリーは、自分は幸せになどなりたくない、と言うのです。幸福なんてものは、もろくて受身のものでしかない。自分は生きがいをみつけて活動したい、自分がなすべき仕事をしたい。漠然と、幸せってなんだろうと考えていた私に明快な解答を示したのが、このサリーです。サリーの仲間、ジム・テイラーの言い草ではないが、これぞ「スピリット・精神」ではないですか。
幸せかどうかなんてどうでもよい!なすべき仕事があるかないか、それが問題なのです!!
「しゃかりきになって働くのもなんかね~」
大手ファーストフードチェーン店でアルバイトしていたときに、同僚の主婦の方が言っていた言葉です。自分の希望する時間を提出して、マネジャーが1週間ごとにシフトを作成するお店で、彼女は毎日午後3時までしか働いていませんでした。小学校低学年の子どもが帰ってくるときに家にいてやりたいということでした。その理由は納得できるのですが、その後に言ったのが冒頭の言葉だったので、私は少し考えました。これは彼女の本音だろうか。なんだか違うような気がしてなりませんでした。私と彼女は同じ時期に採用され、いっしょにオリエンテーションを受けました。私は裏方の製造、彼女はカウンターの接客に配属されました。私は20代後半の頃一度同じチェーン店で働いたことがあり、だいたいの業務内容はわかっていました。なので、比較的スムーズに業務に入ることができました。一方彼女は…覚えることが多くそうとう難儀していたようです。どんな仕事でも最初のうちは大変なのです。サルでも訓練すればできるようになる、などと揶揄されているファーストフードの仕事だって例外ではありません。繰り返しますが、最初のうちは覚えることが山ほどあって、ほんとに大変なんです!これまたマニュアルだらけと揶揄されるほどマニュアルが完備されている会社でしたが、そのマニュアルをみながみなこなせるわけではありません。マネージャーが彼女に機関銃のように説明するのを横で聞いていて、内心「これ伝わってないわ、右から左だわ」と思っていました。覚えられない彼女はつらかったと思います。でも年齢もけっこういってて、今さら謙虚な態度もできなくて…というところかわかりませんが、彼女の学ぶ態度はなっていませんでした。トレーニングにあたるマネジャーと彼女の関係は日に日に悪くなっていきました。仕事ができないのに、どこかふてぶてしい彼女の態度にマネジャーはさぞや腹が立ったことだろうと思います。しかし、腹立ち以上に焦りがあったと思います。なにしろきちんとマニュアル通りに教えているのに、通用しないのですから。とうとうカウンター業務はあきらめて、製造業務をやることになりました。そしてなぜかトレーニング係りは同じ新人の私に当てられました。よほど手を焼いていたのでしょう。「彼女に覚えさせることなど、私にできるのか…」不安は大きかったのですが、なんとか「わかりやすく」「簡単に」「怒らないで」教えようと努力しました。彼女から「すごくわかりやすい。覚えやすい」という言葉が聞かれ、手ごたえを感じた矢先、マネジャーから彼女が辞めたことを聞かされました。フロアチェックを命じたところ、反抗的な態度だったため、思わず怒鳴りつけたら辞めてしまったということでした。ホッとした、というのがマネジャーたちの正直偽らざる気持ちだったのではないかと思います。適性のなさや彼女の態度の悪さ、能力の低さだけを問題にするのは簡単ですが、この事例は会社と従業員、あるいは上司と部下の関係を考えるうえで、良い勉強になります。もしも彼女がもっとスムーズに仕事をこなせていたら、しゃかりきになって働くのも悪くはないと思ったかもしれません。一見無責任でお気楽な発言に思えますが、うまくできない自分への弁解だったかもしれない…とも思ったりします。
大手ファーストフードチェーン店でアルバイトしていたときに、同僚の主婦の方が言っていた言葉です。自分の希望する時間を提出して、マネジャーが1週間ごとにシフトを作成するお店で、彼女は毎日午後3時までしか働いていませんでした。小学校低学年の子どもが帰ってくるときに家にいてやりたいということでした。その理由は納得できるのですが、その後に言ったのが冒頭の言葉だったので、私は少し考えました。これは彼女の本音だろうか。なんだか違うような気がしてなりませんでした。私と彼女は同じ時期に採用され、いっしょにオリエンテーションを受けました。私は裏方の製造、彼女はカウンターの接客に配属されました。私は20代後半の頃一度同じチェーン店で働いたことがあり、だいたいの業務内容はわかっていました。なので、比較的スムーズに業務に入ることができました。一方彼女は…覚えることが多くそうとう難儀していたようです。どんな仕事でも最初のうちは大変なのです。サルでも訓練すればできるようになる、などと揶揄されているファーストフードの仕事だって例外ではありません。繰り返しますが、最初のうちは覚えることが山ほどあって、ほんとに大変なんです!これまたマニュアルだらけと揶揄されるほどマニュアルが完備されている会社でしたが、そのマニュアルをみながみなこなせるわけではありません。マネージャーが彼女に機関銃のように説明するのを横で聞いていて、内心「これ伝わってないわ、右から左だわ」と思っていました。覚えられない彼女はつらかったと思います。でも年齢もけっこういってて、今さら謙虚な態度もできなくて…というところかわかりませんが、彼女の学ぶ態度はなっていませんでした。トレーニングにあたるマネジャーと彼女の関係は日に日に悪くなっていきました。仕事ができないのに、どこかふてぶてしい彼女の態度にマネジャーはさぞや腹が立ったことだろうと思います。しかし、腹立ち以上に焦りがあったと思います。なにしろきちんとマニュアル通りに教えているのに、通用しないのですから。とうとうカウンター業務はあきらめて、製造業務をやることになりました。そしてなぜかトレーニング係りは同じ新人の私に当てられました。よほど手を焼いていたのでしょう。「彼女に覚えさせることなど、私にできるのか…」不安は大きかったのですが、なんとか「わかりやすく」「簡単に」「怒らないで」教えようと努力しました。彼女から「すごくわかりやすい。覚えやすい」という言葉が聞かれ、手ごたえを感じた矢先、マネジャーから彼女が辞めたことを聞かされました。フロアチェックを命じたところ、反抗的な態度だったため、思わず怒鳴りつけたら辞めてしまったということでした。ホッとした、というのがマネジャーたちの正直偽らざる気持ちだったのではないかと思います。適性のなさや彼女の態度の悪さ、能力の低さだけを問題にするのは簡単ですが、この事例は会社と従業員、あるいは上司と部下の関係を考えるうえで、良い勉強になります。もしも彼女がもっとスムーズに仕事をこなせていたら、しゃかりきになって働くのも悪くはないと思ったかもしれません。一見無責任でお気楽な発言に思えますが、うまくできない自分への弁解だったかもしれない…とも思ったりします。
20代の中頃、ミスタードーナツで朝のアルバイトをしていました。10代20代の学生やフリーターが多く働く、活気のあるお店でした。結婚はしていたけれども、子どももおらず、主婦の自覚ゼロの私は彼らとよく遊び歩いていました。高校生の頃は学校の友達と遊ぶこともめったになく、本を読んだり映画をみたり、電車に乗って遠出をしたりと、一人で過ごすことが多かったので、バイト仲間とのつきあいは、新鮮でした。仕事ができる人できない人、仕事熱心な人いいかげんな人、ルールを守る人守らない人、いろんな人が働いていました。好きになれない人もいたけれど、私は他のアルバイトの子よりちょっとだけ年上だったので、大人意識でそつなくこなしていたように思います。10代の女の子たちは、表面上は仲良しでも交友関係は複雑そうでした。最初のうちは、年が近い・学校が同じ・音楽の好みがいっしょなどの理由で仲良くできていても、徐々に関係に変化がでてくるのです。それは、言った言わないなどのささいな行き違いや、男の子をめぐってのこともあったと思います。でも私は、一番大きく影響していたのは仕事に対する姿勢ではなかったかと思います。忙しいピーク時をマックスでがんばってやりとげた時の達成感は、仲間との連帯感と完全にセットでした。カウンターでバンバン注文を受けることができるのは、バックのランナーががんばってくれるから、キッチンのベーカーがよどみなく商品を出してくれるから。トラブルなくお店が回転するのはカウンター係りがお客さんをうまくさばいてくれるから、バックの仕事がしやすいようにわかりやすくオーダーを通してくれるから。働く場、職場では仕事という大きな共通の目標があるからみんながひとつになれるのです。そしてひとつになるからこそ仕事という大きな目標が達成できるのです。自分だけラクしよう、自分がしんどいのはイヤという態度は、店長や経営者以上に同じ職場の仲間が敏感に察知します。
ミスタードーナツでは、アルバイト店員のことを「働きさん」と呼んでいました。はた(かたわら・傍ら)の人を楽(ラク)にするから「はたラク」つまり「はたらきさん」というわけです。この言葉自体は昔からあるようですが、ミスタードーナで初めて聞いたときは、なるほどな~と思いました。自分が動くことで周りの人(傍の人)がラクになる、それこそが「働く」ということ。昔昔は当たり前のことだったのかもしれない。今はどうだろう?20年近く経った今、過去の職場を振り返ってみると…人はともかく、私は全然「働きさん」じゃなかったです。今は「働く」ことの意味が問われています。就カツの学生は面接ノウハウ本とかだけじゃなく、「働くことの意味」を考えるような本もよく読んでいるということです。働くのは当たり前!意味を考える前に動け!とおっしゃる方もいるかもしれませんが、レールに乗っかる前になんで乗るのか、乗ってどうするのか考えてみるのも悪くないと思います。
ミスタードーナツでは、アルバイト店員のことを「働きさん」と呼んでいました。はた(かたわら・傍ら)の人を楽(ラク)にするから「はたラク」つまり「はたらきさん」というわけです。この言葉自体は昔からあるようですが、ミスタードーナで初めて聞いたときは、なるほどな~と思いました。自分が動くことで周りの人(傍の人)がラクになる、それこそが「働く」ということ。昔昔は当たり前のことだったのかもしれない。今はどうだろう?20年近く経った今、過去の職場を振り返ってみると…人はともかく、私は全然「働きさん」じゃなかったです。今は「働く」ことの意味が問われています。就カツの学生は面接ノウハウ本とかだけじゃなく、「働くことの意味」を考えるような本もよく読んでいるということです。働くのは当たり前!意味を考える前に動け!とおっしゃる方もいるかもしれませんが、レールに乗っかる前になんで乗るのか、乗ってどうするのか考えてみるのも悪くないと思います。