山手のほうの郊外に用事があって車で出かけた。15~16年ほど前は、学生用のアパートの他はぽつぽつ住宅があるくらいの視界の開けた場所であった。
今では幹線道路沿いにびっしり商店が並び、宅地開発も進んで真新しいしゃれた住宅が広がっている。
どの家も幸せそうな装いをしており、アパート住まいの若い夫婦が見れば、いつか自分たちもこのような家を手に入れたいなぁと思うのではないだろうか。
だが、平均寿命の半分を過ぎた年齢になると、装いを変えたからといって中身までが変わるわけではないということがわかってくる。しばらくは装いを新たにした効果もあるだろうが、じきに消滅し、古い装いのときと同じかそれ以上の不満がでてくるのである。
そう思うと、幸せそうな小さな新しい住宅にも別の顔が見えて来るような気がする。
我が家も数年前に家を新築したが、当然ながら華やいだ気分はじきに消え、購入した途端価値の下がる住宅の様々な不備・瑕疵が見え始め、それを防ぐため躍起になって抗い、それゆえ家族間に軋轢が生まれている。また、住宅購入という庶民にとってはかなりの大金を消費したことによって、物への異様な執着も生まれ、それぞれの生活を息苦しくさせている。
幸せの象徴であるマイホームが人生の地獄を描き出す好材料であるにもかかわらず、相も変わらず新築政策は続いている。一方で空き家が大きな問題となっているのだが、各自治体で対応はしているものの、国が大きく動く気もないようだ。
一旦マイホーム熱に取りつかれると、手に入れるまで幸せを感じることは不可能で、つかの間の幸福を感じた後は下り坂のように不幸に向かっていくようだ。
今では幹線道路沿いにびっしり商店が並び、宅地開発も進んで真新しいしゃれた住宅が広がっている。
どの家も幸せそうな装いをしており、アパート住まいの若い夫婦が見れば、いつか自分たちもこのような家を手に入れたいなぁと思うのではないだろうか。
だが、平均寿命の半分を過ぎた年齢になると、装いを変えたからといって中身までが変わるわけではないということがわかってくる。しばらくは装いを新たにした効果もあるだろうが、じきに消滅し、古い装いのときと同じかそれ以上の不満がでてくるのである。
そう思うと、幸せそうな小さな新しい住宅にも別の顔が見えて来るような気がする。
我が家も数年前に家を新築したが、当然ながら華やいだ気分はじきに消え、購入した途端価値の下がる住宅の様々な不備・瑕疵が見え始め、それを防ぐため躍起になって抗い、それゆえ家族間に軋轢が生まれている。また、住宅購入という庶民にとってはかなりの大金を消費したことによって、物への異様な執着も生まれ、それぞれの生活を息苦しくさせている。
幸せの象徴であるマイホームが人生の地獄を描き出す好材料であるにもかかわらず、相も変わらず新築政策は続いている。一方で空き家が大きな問題となっているのだが、各自治体で対応はしているものの、国が大きく動く気もないようだ。
一旦マイホーム熱に取りつかれると、手に入れるまで幸せを感じることは不可能で、つかの間の幸福を感じた後は下り坂のように不幸に向かっていくようだ。