ある特養施設長のブログに、気になる訴訟事案があるとして、佐賀県のグループホームが町に損害賠償を求めている訴訟について書いてあった。(masaの介護福祉情報裏版)
町がグループホームの虐待を認定し、保険者がホームから聞き取りを行った上で、指定取り消し処分を行ったのだが、それに対し、ホーム側は「処分を決めた資料はずさん」であるとして、「事実誤認」を主張し、処分の取り消しを求める訴訟を起こし、併せて処分の効力停止を申し立てていた。そして、佐賀地裁は今年1月、一審判決が出るまでの間効力を停止する決定をしたということである。
ブログを書いている施設長は、何が真実なのか、被害を受けたのは利用者か、グループホームか?加害者は町なのか、グループホームなのか?新聞報道を読んでも真実は伝わってこないという。
私がこの訴訟に関心を持ったのは、グループホーム全体の実態に気になるところがあるからだ。グループホームは、現在地域密着型サービスとなっているが、介護保険ができた当初は「在宅サービス」としてスタートしている。サービス付き高齢者住宅や有料老人ホームなどもそうだが、介護保険では、「在宅」や「施設」などの概念そのものを問うような不思議なくくりとなっている。もっとも、「施設」の設立は自治体と社会福祉法人、医療法人しかできないので、グループホームを増やすには、上記以外の法人に頼らなければならず、「在宅」とするしかないのだが、現在のサ高住同様、雨後の竹の子のように増え、数の確保はできたようである。2006年の改正時に地域密着型サービスが創設され、指定や監督などの権限が都道府県から市町村に移っている。
さて、町を訴えている原告のグループホームだが、その実態は…
・ 虐待を受けていた6人のうち、4人にケアプランがなかった
・ 容体急変で受診した入所者の状態に対し、医師より「肺炎がかなり進行している。栄養状態も 悪い。なぜ受診がこんなにも遅くなあるのか」と指摘されている。
・ 2年間のうち、21か月間は人員基準を下回る職員配置だったにもかかわらず、必要な減額措置をせず、介護報酬を不正に請求している
・ 入所者の骨折や救急搬送などの事故を保険者に通報していない
などである。
適切な介護を行っていない、重篤な入所者を放置しているとしてこのグループホームは、「介護放棄・ネグレクト」の虐待認定をされている。
ホーム側は、顧問医師による定期的な診察など、グループホームに求められている以上の介護をしてきた、入所時に無用の延命治療はしないよう、看取りの合意書も交わしている、と反論しているが…
日本人の感覚として、積極的に暴力をふるうのは虐待だが、「なにもしない・放置」がはたして虐待か?という疑問はあるかもしれない。静観していた、様子を見ていたとも取れるじゃないかと言う人もいるかもしれない。
だが、「なにもしない」というのは「自由」や「意志の尊重」という大義名分のもと、正当化されることが非常に多く、義務を果たしたくない、ラクをしたい人間にとっては都合のよい方便となっているのが実態ではないのか。看取りという名目で重篤な入所者を放置し亡くなったら「看取った」ことにはならない。グループホームは「家庭的」とされるが、家という建物があり、居間やキッチンがあるのが家庭であると思われていないか。グループホームに入所すれば家庭的なケアが自動的に受けられるわけではない。また、下手な介護、未熟な介護、無知な介護が家庭的という名のもとに正当化されていないか。地域住民としても関心を持つべきところである。
グループホームに勤務する知人から話を聞く機会があったのだが、特養で働いた経験が長いため、何を言っても「ここは特養じゃない。グループホームは家庭だ。特養の集団ケアのやり方を持ち込むな」と相手にされず困っていた。明らかに未熟な介護で、入所者はそのために苦痛を強いられていても、ここは家庭だからと、取り合ってもらえないということだ。転倒を防ぐ方法を提案したら、そのせいで行動が制限されるのはおかしい、家庭なんだから転倒もあり得る、と反対され憤慨していた。転倒で骨折したら、「家庭的」な生活が送れなくなる、「家庭的」なグループホームを退所することになってしまうかもしれないからだ。そのグループホームでは、入所者やその家族にケアプランの同意をもらっておらず、渡してもいなかった。5年間勤務している職員に、「そうしなければならない」ことを伝えるが、「一度も渡したことがない」し「そんなこと知らない、聞いたことがない」と言われ、困り果てていた。グループホームイコール介護レベルが低いと言っているわけではない。しかし、5~6年に一度しか調査が入らない事業所の場合、間違いに気づくのが遅れるし、自らの介護の質を振り返ることもできない。
地域密着と言うのなら、地域住民によるチェックがあってもいいのかもしれないと思った。