上・1927年4月2日朝日新聞夕刊記事
1927年労働者の状態(読書メモ)
参照「日本労働年鑑第9集/1928年版」大原社研編
「日本現代史5」ねず・まさし 三一書房
「わが経済界の上層を形成せる独占的牙城いわゆる『財閥』の勝ち誇る喊声(かんせい)を反響するものに他ならなかったのである。」(日本労働年鑑第9集の「緒言」より)
1、大金融恐慌と空前な大量解雇
中国革命を妨害し、中国侵略をたくらむ支配者側、1927年春、国内では大金融恐慌が勃発した。これを奇禍として安田、三井、三菱、住友、第一の五大財閥銀行による独占支配が一気に確立した。一方で神戸の川崎造船所の3,500人の大量解雇をはじめ、大企業による労働者への大量解雇攻撃の嵐が吹き荒れた。それはそのまま日本中の中小の工場における膨大な解雇や倒産へと波及し、街には失業者があふれた。大量解雇の主な企業と解雇数は以下のとおり。
東洋紡績知多工場140人(愛知県)
行田足袋諸工場200人(埼玉県)
三菱新入坑2,000人(福岡)
日本製麻会社工場2,500人(北海道)
三菱長崎兵器製作所900人(長崎県)
帝国マッチ株式会社368人(兵庫県)
武州紡績株式会社100人(埼玉県)
日本金属株式会社119人(山口県)
大日本セルロイド株式会社100人(堺市)
山村製壜所176人(兵庫県)
帝国炭業株式会社小松鉱業所600人(福岡県)
平山炭坑株式会社500人(福岡)
川崎造船所3,500人(兵庫県)
富士紡績小名木川工場1,000人(東京)
日本窒素肥料株式会社鏡工場400人(熊本県)
八幡製鉄所700人(福岡県)
神戸製鋼所門司工場100人(福岡県)
等
2、労働者数
工場労働者 2,109,131人(1927年12月末社会局調べ)
鉱山労働者 292,915人(同上)
交通労働者 782,355人
鉄道軌道労働者 236,881人(1926年鉄道省調べ)
船舶労働者 489,100人(1927年7月逓信省調べ)
通信労働者 56,374人(同上)
自由労働者 810,647人(1922年内務省調べ)
大工左官労働者 688,262人(1922年内務省調べ)
人夫、沖仕 122,485人(同上)
農業労働者 3,117,582人(1920年10月1日農商務省調べ)
漁業労働者 455,230人(1925年農林省調べ)
林業労働者 329,891人(1926年農林省調べ)
商業労働者 1,109,000人(第一回国勢調査)
3、すさまじい長時間労働・労働者虐待・酷使社会
労働時間・全国5564工場の調査結果(大正14年度工場監督年報・昭和2年10月発行)
9時間30分 451(8.1%)
10時間 1633(29.3%)
10時間30分 299(5.4%)
11時間 520(9.3%)
11時間30分 151(2.7%)
12時間 1585(28.5%)
12時間30分 50(0.9%)
13時間 178(3.2%)
13時間30分 3(0.1%)
14時間 4(0.1%)
15時間 3(0.1%)
不定 113(2.0%)
4、鉱山(大正15年度鉱山監督状況報告概要・昭和2年9月)
石炭山は12時間及10時間の2交替制が一般である。坑内採炭労働者の在平均時間は11時間前後。坑外の選炭は11時間または12時間2交替制を普通としている。
休憩時間は、坑内では均一的には行わないため、規律的にはほとんど行われていない。坑外では午前、正午及び午後に15分、30分、15分と分割して行うのが普通。
公休日は金鉱山では月2回、石炭山では月4日が多い。
5、労働災害
①工場
1925年(大正14年)中の工場法適用工場における労災と死傷者数195,805人(前年比10.6%の増加)。そのうち重傷者数(死亡者含む)の合計は1,540人。前年比で実数448人、40%の増加となっている。
②鉱山
1927年中に発生した鉱山災害を挙げれば、
磐城炭鉱町田竪坑出火事故 死者136人
福岡県宮尾炭坑ガス爆発事故 負傷20人
北海道中澤炭坑ガス爆発事故 死者16人
佐賀県岩屋炭坑出火事故 死者20人
福岡県上三緒炭坑ガス爆発 死傷22人
北海道美唄常磐竪坑ガス爆発 死傷約30人
等がある。
1926年の落盤事故が55,256回(死亡者数437人)、坑車事故が17,885回(死亡104人)と、すさまじい数。当時の鉱山労働がいかに危険な労働であったか。
6、女性労働者
「女性労働者の8割余(811,344人)が紡績染織工場で労働し、そのうち約60万人が寄宿舎に収容され、殆ど自由を奪われている。しかも過労のために甚だしく健康が害されている。・・・いかに女性労働者が酷使されているかを想像するに苦しまない」(日本労働年鑑第9集)。
1927年12月末現在工場・鉱山等で働く女性労働者総数は1,545,025人であって男性労働者の48.9%にあたり前年比で3,564人増加している。その内、16歳未満の女性労働者は23%もいる。男性の16歳未満が5%であることに比べても女性の年少者がいかに多いことか。また坑内労働者の18.6%は20歳未満の女性である。
女性労働者の賃金は、男性の平均賃金の4割2分弱でしかない。しかも男性は60歳まで年と取るにつれ賃金が上がるが、女性労働者は30歳を過ぎると逆に賃金は安くなってくる。
7、昼夜労働
女性労働者を2組以上に分けて交替させ、昼夜労働させている工場は675工場(1925年末現在)で、昼夜労働に従事している女性労働者は251,910人(前年比で27,109人の増加)で、その内、紡績と織物業の昼夜労働についている女性は242,423人である。12時間制の昼夜労働制が一般的であるが、11時間、10時間、9時間の交替制もある。化学工場においては12時間2交替、11時間2交替が通例とし、8時間3交替制はすこぶる少ない。交替の転換方法は、通常一週間または10日間毎に行う。その上、1時間2時間の残業がある。
8、児童労働
15才未満の労働者は、1926年には145,444人で、労働者総数の8.5%にあたっているが、その内、女性は132,267人で男児の10倍を数える。
9、朝鮮人労働者
1926年12月現在、移住朝鮮人は143,796人で、1927年の神戸市社会課の調査では、神戸の朝鮮人独身者の労働は、沖仕21.1%、人夫17.1%、土方12.2%などどれも肉体的にきつい仕事である。その上賃金も日本人より大幅に低くされていた。
10、まとめと感想
1927年の大金融恐慌、大失業について日本労働年鑑第9集は、冒頭の「緒言」で「わが経済界の上層を形成せる独占的牙城いわゆる『財閥』の勝ち誇る喊声(かんせい)を反響するものに他ならなかったのである。」と書いています。この時の大金融恐慌も大失業も、またこのわずか数年後に勃発する世界大恐慌による民衆の悲惨な不幸は、支配者に取っての最大のチャンスであり、支配権力強化とさらなる搾取の時なのです。賃金は低下し、女性搾取や差別、長時間労働・酷使など労働条件は悪化し、労災事故は多発します。そして戦争と侵略はその最大の手段となります。
かつて2011年のあの東北大震災と原発事故で日本中が怯え、泣きくずれていた、まさにそのまっ最中に、今こそ株で儲けるチャンスだとうそぶく投資家をみて僕は怒り狂ったことを思いだします。その数年前、つい最近廃刊となった週刊朝日の表紙に「株暴落をチャンスに」の大見出しにも心底あきれ怒りました。忘れもしない2008年は、食料・原油価格が高騰、米国のリーマン・ショックなどを契機とした金融危機が深刻化し、世界中に失業者があふれ、日本でも多数の非正規労働者や派遣労働者が、突然解雇され路頭に放り出されます。日比谷公園の「年越し派遣村」がこの年の12月31日です。私たち東部労組にも深刻な労働相談が連日殺到していました。そのさなかの「株暴落をチャンスに」です。
民衆が苦しんでいる時、民衆の側から物事を見るのか、それとも資本家階級の側に立つのか。昔も今も避けては通れない大切な問題です。ウクライナ戦争が拡大すればするほど喊声(かんせい)を挙げて喜んでいる階級がいます。本当に今も昔もろくでもない資本家階級と、もだえ苦しむ民衆の姿は変わりません。
1927年中国侵略の山東出兵、国内では大金融恐慌と大失業と弾圧、その中で先輩労働者の闘いはどうだったのでしょう。いずれにしても1927年は画期的歴史的な年です。
以上