先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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東京ベルベット株式会社東京工場労働争議②―1927年の労働争議

2025年01月17日 07時00分00秒 | 1927年の労働運動

東京ベルベット株式会社東京工場労働争議②―1927年の労働争議
参照・協調会史料

東京ベルベット株式会社東京工場 「ビロード」の織物工場
創業 1922(大正11)年
場所 南葛飾郡本田村渋江149
全労働者   55名(女性11名)
争議参加者  34名(女性9名)

労働組合 関東合同労働組合本田(南葛)支部 南葛飾郡本田村渋江50
応援   組合同盟、関東合同労組と日労党
争議発生日 1927(昭和2)年10月27日

1927年10月22日、労働組合を嫌う会社が関東合同労働組合本田(南葛)支部のリーダー4名を職場のつまらないケンカを理由に解雇してきた。本当のねらいは組合つぶしだった。組合はただちに解雇撤回を申し入れた。10月27日会社側全面拒絶。
要求
一、賃金値上げ
二、被解雇者の復職

1927年10月27日34名はストライキを決行した !

(演説会)
1927年10月27日、ストライキを敢行した東京ベルベット争議団34名は、争議団本部を本田村渋江50番地支部事務所に置き、10月29日地域ビラを本田村村民に広く配布した。10月30日本田村四ツ木観音座で争議真相発表演説会を開催し、応援組合員約100名と本田村村民約400名の計約500名が押しよせた。東京ベルベット争議団と組合同盟の政治部長加藤勘十、同役員の細谷松太など13名が登壇した。

(スト参加者全員に解雇攻撃)
会社は他の工場から職工10数名を臨時に呼び寄せ、ストに参加していない非組合員と工場の操業を続けた。10月31日会社は争議団のスト参加者全員を解雇してきた。

(本田村村民むけビラ)
東京ベルベット罷業に際し村民諸君に訴ふ !!
不景気不景気で、どこの工場も経営困難の声が高い今日、東京ベルベットは儲けつづけている。見よ会社は創立以来何等増資もなく五倍大の盛況を今日示しているではないか。この不景気に毎年一割平均の配当を続けているではないか。その盛況な儲かる会社の従業員はどうだ。賃金の安いこと、待遇の悪いこと天下一品だ。
 男 最高 二円四二銭(これは二人だけ)      女 最高 〇円九〇銭
 男 最低 一円〇〇銭(これは一人前の大人だ)   女 最低 〇円七〇銭
 男 平均 一円二〇銭(これが一家主人の日給)   女 平均 〇円八〇銭弱
これだから会社は、創立より一厘の増資もなく工場が五倍も大きくなったのだ。

なぜ賃金値上を要求したか ! 私たち従業員は十月十五日に賃金値上げを要求した。男三十銭、女十五銭上げてくれと。私達は、ただ会社が儲かっているから値上げしてくれとばかりいうのではない。さる八日私達は関東合同労組に加盟した。そして組合の主張をハッキリする為、私達は従前にも増して精々と働いた。そして従前より約三割の能率を上げたのだ。能率を上げたことを吉岡専務自らが発表しているのだ。元から会社が儲かって、それに三割方も作業の能率を示したのだから男三十銭、女十五銭の値上げは会社の算盤をハジいても当然なことじゃないか。会社は喜んで値上げを容れるのが当然のことではないか。それだのに会社は定期昇給に合して値上げを免れようとするのだ。せんじつめると値上げを拒否したのだ。

▼何故首を切ったか? 会社はこの嘆願運動中四名の従業員を工場内で喧嘩したという理由で解雇した。ところが工場内の仲間喧嘩は良くあることだし、東京ベルベットにもチョィチョィあることだ。それが今解雇処分になったのだ。これは賃金値上運動を圧迫切り崩しの手段なのだ。そして今度は会社は頑とした態度で色々圧迫干渉を始めたのだ。吉岡専務は「組合は己の虫に合わない。打ちつぶしてくれる」と最近放言している。

▼真に止むを得ざる罷業、よく働いて作業能率を上げる労働組合が何で気にくわないのだ。それでこれだけ余計働いたからこれだけ値上げしてくれというのが悪いとて不当にも圧迫したり、つまらぬ言いがかりを捉えて解雇したりするとは何たること事だ。私達は再三会社に反省を求めたが、暴政加わる一方なので、ついに十月二七日罷業をもって対応したんだ。

▼村民諸君 !! どうか私達の真実を守ってくれ。罷業中はこの工場に一人も入らないようにしてくれ。私達の正義に加勢してくれ。
東京ベルベット争議団
日本労働組合同盟関東合同労働組合南葛支部
本田村渋江五〇

(村長の調停)
11月初めより本田村村長が争議調停に積極的に乗り出してきた。地域の消防組頭も争議解決に向けて動きだした。ところが会社はかたくなな態度を変えようとせず、一向にこれら調停者の声にすら耳を傾けようとしなかったため、いずれの調停も不調に終わった。

(立石、四ツ木で演説会にそれぞれ村民500名かけつける)
11月10日夜、争議団は本田村立石の立石館と同村四つ木の観音座の二カ所で会社糾弾演説会を開催した。11月20日にも再び四つ木の観音座で開催した。演説会にはいずれも約600名もの人々が押しよせた。参加者の多くは本田村村民がほとんどだったと警視総監も「労秘」で報告している。4回の争議支援演説会に本田村の立石や四ツ木、渋江の村民500名もの人々が集まったことは、このストライキがいかに南葛本田村の人々の同情と共感を呼んでいたかがわかる。

(行商隊の組織)
争議団は生活費と争議費用のため11月23日から行商隊を組織し二人一組となり、日用品の行商で連日地域に散った。争議団に同情した本田村の村民たちはこぞって行商隊から品物を買い争議を応援した。

(専務殴打事件)
11月25日、午前10時頃会社吉岡専務が出社の途中、争議団本部の近くで争議団数名に殴打され全治10日間の打撲傷を負わされ、所轄の亀有警察が犯人を捜査した。

(日労党本田村支部の発会)
11月30日夜、四ツ木観音座で日労党本田村支部が発会式を挙げた。

(工場襲撃)
所轄署亀有警察署は、12月6日夕方争議団と応援の組合員ら数十名が工場を襲い工場外壁と街燈3ヵ所が破壊したとして争議団4名を検挙した。また争議団代表を亀有署に呼んで厳しい訓戒を与えた。

(右翼団体の登場)
右翼団体が会社に頻繁に出入りし、スト破りの非組労働者を集めて右翼団体本田支部を組織し、争議批判演説会も計画した。

(望月源治組合長のボス交渉)
12月20日、関東合同労組望月組合長は会社鶴岡常務とボス交渉し、以下の一案、二案を提案した。
一案は34名の半数の復職と全員に手当支給
二案は全員解雇で特別手当金の支給

(暴行事件)
12月24日午前9時頃争議団9名は民友新聞記事掲載の本争議に関する記事に憤慨し、同新聞記者自宅に押しかけ面会を求めた。亀有警察が言うには、その時争議団員が、ガラスや障子を破壊し、その足で他の争議団員約20名と共に工場の人事係に押しかけ糾弾したとして亀有警察が全員を検挙した。争議団側9名は暴力行為処罰法違反で送致された。同日右翼団体4名が午後2時争議団本部を襲撃し争議団員2名に傷害を負わせ検挙された。亀有署は右翼団体員を傷害罪で送致した。

(惨敗)
関東合同労組望月源治組合長は会社鶴岡常務と以下の金銭解決で争議を終わらせた。全員の解雇を認める惨敗だった。
解決条項
一、解雇した34名は今後会社と無関係となること
一、会社は解雇した24名に解雇手当として日給44日分を支給する
一、上の解雇者に家族救済金として587円22銭を支給する
一、解雇者中5名には日給二週間分を支給する
昭和2年12月26日


望月源治は、1932(昭和7)年、皇道政治、国家統制経済の実現を唱えたファシスト政党日本国家社会党の結党に参加し中央執行委員になる。その後わかもと製薬に入社し宣伝部長として満州との間を往復する。

以上


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