豊田織機大阪工場争議! 460名が一体となってサボタージュ闘争・ストライキを闘い抜く 1925年の労働争議(読書メモ)
参照 協調会史料(豊田織機株式会社1925年)
豊田織機大阪工場争議
1925年11月3日からサボタージュ闘争、7日ストライキ突入。18日解決。
大阪市港区の紡績用の豊田式織機製造で有名な豊田織機株式会社大阪工場(本社名古屋)。社長谷口房造、労働者461名(内女性27名)、日本労働総同盟大阪機械労働組合泉尾支部加盟300名。
(組合攻撃29名解雇)
豊田織機の約300名は、1925年10月29日日本労働総同盟大阪機械労働組合に加盟し泉尾支部の発会式を行った。ところが、職長共が組合に圧迫を開始し、組合加入の妨害を始めた。職場内で解雇手当など労働条件改善を求める労働組合への加入者が日々増加するのを見た会社は、ついに11月1日、29名の解雇を発表した。29名は全員組合員であった。労働者は組合切り崩しだと憤慨し、大阪機械労働組合の幹部山口常次郎や大阪合同労組の村尾重雄らの応援を得て、翌2日以下の嘆願書を会社に提出した。
記
一、29名の解雇撤回
二、解雇手当の増額(勤続1年未満は日給の50日分、1ヶ年以上は1ヵ月増す毎に日給4日分の加算
三、帰国旅費の制定
四、退職手当の制定
五、常雇用賃金保証
六、勤務演習等の召集に日給の二分の一の支給すること、現役召集された場合は公欠勤と認める事
七、今回の要求に対して犠牲者を出さない事
会社支店長は即座にこれを拒絶してきたが、29名労働者は「解雇予告期間14日間は就業の権利あり」として工場に入場した。一方残りの労働者(残留組)約430名は、工場には入場したが、各自の持ち場には付かずサボタージュ闘争に入った。午後6時市内三軒家大三倶楽部で豊田織機職工大会を開催した。
(職工大会)
11月2日午後5時より開かれた職工大会は、争議団員350名ら約400名の結集で、協議の結果以下の決議をした。
決議
一、初志の貫徹を期するまで奮戦する
二、親睦共済組合を解散し、基金約3千円を争議基金に充てる
三、工場長の不信任を唱えること
続いて演説会に移った。総同盟の大谷省三、山口常次郎ら弁士が口々に「会社が、同志29名を馘首した真意は組合切り崩しにある。今まさに、政府当局が労働組合法案を制定しようしている時に、一泡沫会社ごときのこのような態度は頑迷極まる。我々は全労働者階級のためにあくまで戦う」等々演説し、参加者は皆感動した。
(全員のサボタージュ闘争)
3日、460名労働者一同はいつものように定刻に出勤したが、皆がサボタージュ闘争に入り就業につく者は一人もいない。労働者代表6名は会社に交渉を求めた。
大阪機械労働組合は、大谷省三と山口常次郎外6名の闘士を応援として張り付け、大阪機械労働組合全組合員宛てに「会員諸君は一人残らず(豊田織機の)戦線に出でられん事を望む」と緊急の指令をだした。
(会社提案を全員投票採決で拒否)
5日の労資交渉では、会社は29名の解雇撤回を断然拒否したが、一定の解雇手当等の解決条件を提案をしてきた。翌6日、事実上ストライキ状態の労働者460名は、定刻に出勤し、全員食堂に集結した。その場で総同盟大阪機械労働組合の大谷省三が「会社の回答は不十分だが、解決条件としては他の会社の争議の解決条件と比べると遜色はないので、この際会社の誠意を信頼して、これを受け入れたらいかが」と発言するや、硬派労働者は一斉に「交渉員の妥協的態度は会社に買収されたからだ」と口々に攻撃を始めた。最後には、全員投票250対200で会社提案の受け入れを否決した。
(正式なスト突入)
6日、組合は、7日より正式にストライキに突入することを決定したことを会社に通告した。また争議団は、市内港区寄席相生座を争議団本部として借り入れた。一方会社は7日より臨時休業を発表した。
8日、争議団は総同盟大阪聯合会、大阪機械労働組合の応援を得て示威行動を挙行すべく計画したが、大阪府特高課は示威行動取りやめの警告を発した。この日の労資交渉で会社から解雇手当増額の更なる提示がなされた。
10日、争議団は、新たな要求として多数の労働者から日頃から批難が多くて反発されている3名の職長の「辞職勧告」を決めて職長3名に送付した。
11日、市会議員、区会議員ら7名が調停に登場したが、労資双方の意向を聞いたが、未だその時期ではないと一時手を引く事となった。
(重役宅訪問隊)
12日午前11時より港区泉尾工業学校の付近の空地で慰安運動会を開催し、マラソン、二人単脚等の協議を行った。争議団は重役宅訪問隊を組織し、一隊50名は、「谷口社長とする同一資本家に搾取されている親愛なる兄弟諸君に訴ふ」(上の写真)のビラ配布のため東名した。また他の約30名の部隊は、西成区の谷口社長宅を訪問し、更に別な支店長宅を訪問した。
13日、重役宅訪問隊は名古屋本店に出向き争議解決を強く要請した。
(天王寺公会堂で豊田織機糾弾演説会)
15日午後6時より市内天王寺公会堂において豊田織機糾弾演説会を開催した。会社糾弾演説会には、1,300名が押しかけた(入場料三拾銭)。大谷省三、山口常次郎、山内鉄吉、川田又五郎ら弁士は口々に「豊田織機の組合員29名馘首の暴挙は、労働組合への一大挑戦であり、全日本の組織労働者は死力を尽くして闘う」と演説した。弁士一人が臨席警官より「弁士中止」を命じられた。入場料の利益は約150円になった。
(労資合意)
17日、18日の労資交渉で労資は以下の合意に至り、ストライキは終結した。
記
一、29名の解雇者に対し、会社は参千円を支給する
二、解雇退職手当は、近い将来労資で協議し制定する
三、固定数の保障を確立する
四、勤務演習等の召集には給料の半額を支払う。2年間の現役召集終了後は直ちに会社において復職させる