先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
https://www.youtube.com/watch?v=0us2dlzJ5jw

騎兵第十三連隊の紙片(川合義虎君の死とお母さん)

2023年08月23日 07時00分00秒 | 1923年関東大震災・朝鮮人虐殺・亀戸事件など

写真・亀戸事件遺族亀戸署に抗議

⁂感想
 この母の気持ちはいかばかりか、100年後の私達がこの母の気持ちに近づくことなど可能だろうか。可能だと思う。今現在も労働運動で真剣に日夜苦闘する人々にとっては100年前のことも昨日のように、その悔しさは変わらないと思う。
 忘れるな  !  三池闘争、国鉄闘争・・・戦後も数限りない労働争議の中で資本と権力による犯罪、悪虐非道な卑劣な組合攻撃により、どれほどの仲間たちが殺されていったか、自殺に追いやられたか。過酷な労働を強制され過労死になった方と絶望の淵に落とされた家族。
 今まさに世界で吹き荒れている労組攻撃や労働者いじめを見よ!  彼らの本性は100年前も今でも何一つ変わりはしないのだ。
 
 労働者は時空を超えて国境を越えて、互いにおもんばかろうではありませんか。

民衆の幸民衆の  光に生きし友よ
富者を憎みて権勢に    反抗したる友よ

銘記せよこの秋を 殺されし吾が友よ
怨みは深し復讐を 吾等は屍に誓う
(復讐の歌・亀戸の森夜は更けて:秋田雨雀詞より)

騎兵第十三連隊の紙片(川合義虎君の死とお母さん)
(亀戸事件、主として川合たま氏の供述から)
参照・日本プロレタリア文学集より(「種蒔き雑記」1924年種蒔き社より刊行)


 九月一日の朝。
 (労働組合)編集のために山岸さんと一緒に麻布新堀町に出掛けたのですが、山岸さんが無事に帰ったのに義虎は夜になっても帰って来ないのです。私と定子(義虎の妹)は真赤な東京の空を眺めながら(義虎は死んだのじゃないかしら)と思いながら、恐ろしい一夜を明かしたのです。
 翌日の正午頃義虎が無事に帰って来た時の私達親娘の欣(よろこ)びはどんなであったでしょう。そして義虎が、上野付近の潰れた家の下から、三人の幼児を救い出して(五歳に三歳に生まれて間もない赤坊の三人、お母さんだけはどうしても救いだすことが出来ず、悲鳴をききながら火に追いかけられて逃げのびたそうです)上野まで逃げのびた話をきいた時、私は全く感動してしまいました。そしてミルクまで買って赤坊に与えた、あの子の優しい心がうれしくてうれしくて涙が出て仕方がありませんでした。
 義虎は全く親切なやさしい心を持った子供であったのです。それを何故おかみでは殺さなければならなかったのでしょう。義虎は三人の幼児を救いました。それだのにおかみの手で殺されました。私は口惜(くや)しくて仕方ありません。


 義虎が亀戸署に連れて行かれたのは三日夜の十時過ぎでした。五日朝に私等親娘は故郷の新潟に帰りましたが、義虎のことが気になって気になって仕方がないので二十一日故郷を去って東京に出てきました。
 三日ほどたって私は亀戸署の高等係に面会するため出かけて行きました。
 高等係の室には顔を知っている安島、北見その他の刑事がいて、肉鍋や酒壜が用意されていました。そして私が義虎の安否をたずねると、北見刑事が、
「義虎は八日に帰したよ。」
「義虎は小使を持っていた筈ですが、どうなっているか御存じありませんか。」
 すると、突然安島刑事が私に向かって言ったのです。
「俺の嬶(かかあ)になれ。」
「あなた達は義虎の行方(ゆくえ)を知っているのでしょう。知らせて下さい。」
「義虎は今頃大杉の処へ行って相談でもしているのだろう。」
 とうそぶいている安島の放言を聞いて私はどうしていいかわかりませんでした。私の胸は悲しみと、たよりなさで一っぱいでした。私は獣のようなそれ等の人々を憎々しく思いながら、そのまま亀戸署を出ました。


 それから二日おいて警視庁の大西高等係が私の家にやってきました。
「川合はどうした。」
「あなたこそ知っているでしょう。」
「俺は川合達を引張って行ったのでないからわからない。」
 その後亀戸署の小林、稲垣両検事がきました。
「まだ川合から何の沙汰もないのか。」
「ありません。かくさないで知らせて下さい。」
「僕達にはわからない。田舎でもまわり歩いているだろう。」
 その後大西が白々しい顔をして二度ばかりやって来ました。もうその時は義虎達が殺されたという噂が私の耳へもはいっていたので、私は大西の顔を見る度に無念でなりませんでした。自分達の手で義虎達を殺しておきながら、よく図々しく私のところに来られたものだ。露ほどの情もない鬼のような人達だと思いました。


 亀戸事件が新聞に発表された前日、私は亀戸署に出頭を命ぜられたのです。そして署長から義虎が殺されたことを申渡された時、私の心はまるで狂ってしまいました。私は泣きながら署長に喰ってかかりました。
「幾度も幾度も義虎の行方をたずねたのに何故嘘ばっかり言って騙していたのですか。」
「この際だから、何分・・・今言った通りだ。」
「義虎が殺された上は私は生きている望みがありません。今日は私もおかみの手で殺してもらいましょう。」
「罪もない者を殺すわけにはいかない。」
「私の子はどんな罪でころされたのです。どんな罪で・・・・。」
 署長は答えませんでした。私は声をあげて泣きくずれてしまったのです。
「義虎を殺したのは誰ですか。」
「名は判らないが騎兵第十三連隊の人だ。そこへ行けば殺した人が判る筈だ。」
 そして私が忘れないように、紙片に『第十三連隊』とかいて渡してよこしました。
「死体は渡してあげる。」
「したいとは何のことですか。」
「骨のことだ。」
 私はこれ以上きいていることが出来ませんでした。何もかも悲しく辛く、この世が真暗闇のように思われました。私は(第十三連隊)と書いた紙片を、ぎっしり掌中に握りしめて、泣きながら亀戸署を出ました。

資料紹介『亀戸労働者殺害事件調書』(1) 二村一夫著作集より
供述書 川合たま
https://blog.goo.ne.jp/19471218/e/4e7d467816e6d19d0a56ad4b4e3b130e



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