景行天皇の条
倭健命が西方征伐の後つづけて東方征伐を命ぜられた時、伊勢神宮に仕える叔母の、ヤマトヒメに次のように言い、「患(うれ)へ泣きて」辞去(別れの挨拶をし立ち去る)するという記事がある。
「天皇すでに吾死ねと思ほすゆえか、西の方の悪しき人等を討ち遣わし、返りまいのぼり来し間、いまだ幾時も経ぬに、軍衆をも賜わずて、今更に東の方十二道の悪しき人等を平らげに道はすらむ。これによりて思へば、猶吾すでに死ねと思ほしめすなり」
自己の運命を「患へ泣き」ながら包み隠さず述懐する倭健命に「皇国の古人の真心」を見るが、しかし古事記の目標である神権政治、天皇政権の厳格主義から見れば二律背反の関係にある
勅命には一言も反論せず、叔母に向かって天皇の仕打ちを恨み嘆く倭健命は、官僚的でなく、浪漫的将軍であろう
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