るるの日記

なんでも書きます

仏法研究・日蓮御書・崇峻天皇御書・なんで日蓮は人を敵にまわすの~

2021-07-31 09:54:27 | 日記
■阿闍世王について
【阿闍世王(アジャセ王)
インド・マガダ王国の王

父・ビンサーラは老いて子なきを憂い神に祈ったところ、近々ある仙人が死んでビンサーラ王の子に托生(生まれ変わり)することを告げられたが、ビンサーラ王は待ちきれずその仙人を殺した
間もなくビンサーラ王夫人は懐妊

子が生まれるにあたり占ってもらったところ、「この子は父王に怨みを抱き、父王を殺すだろう」と告げられたので、高い楼上から子を生み落とさせたが、子は一本の指を折ったのみで死ななかった

成長したアジャセ王は提婆達多に示唆され、父を幽閉し餓死させ、母も幽閉した

アジャセ王は罪を悔うようになり激しい頭痛に悩まされていたところ、医者であるジーヴァカ大臣の勧めにより仏教に帰依した】

■内薫外護(ないくんげご)
★内薫
一切衆生に内在する仏性が
自己の内から動き出し
仏性を覆い隠す妄念を払いのけ
身体や言動という目に見える働きとなって現れる

★外護
内薫は
仏性を顕した自分と縁している周囲の人々の仏性を引き出す助けとなって、「自分も自分と縁した人をも守る」という働きが顕れる

♦️人の為に働いた事実は、隠れてはいるが、内薫として自己の生命を豊にして仏性を開き、振舞いや周囲の助けといった徳、外護となって顕れてくる

■御書文章
アジャセ王は仏の御敵
なれども
その内にありし耆婆(ジーヴァカ)大臣・仏に志ありて常に供養あり
しかば其の功、大王に帰すとこそ見えて候へ

仏法の中に内薫外護と申す
大なる大事ありて候
「隠れたる事の
顕れたる徳となり候なり」

されば御内の人は(大臣等)
(アジャセ王が)天魔ついて前より
此の事を知りて
殿(アジャセ王)の此の法門を供養するを支えんがために
今度の(仏が敵という)大妄語をば造り出したりしを

(ジーヴァカ大臣の)御信心深ければ十羅刹たすけ奉らんがために
此の病(アジャセ王の後悔による頭痛)は起これるか

上は我が敵とは思さねども(たとえ仏ん敵とは思っていなかったとしても)
いったん彼らが申す事を
用い給いぬるによりて
(仏は敵だという他者の妄語を、用いることによって)
所労(病気)の大事になりて
長引かせ給うか
彼らが柱とたのむ竜像すでにうたれぬ。和讃(仏を賛嘆する人)せし人も又其の病におかされぬ

良観(社会的弱者を救済した僧侶、日蓮に雨乞い勝負を挑まれたが相手にしなかった)は又一重の大科の者なれば
大事にあうて、大事をひきおこして、いかにもなり候はんずらん
よもただは候はじ




仏法研究・撰時抄・日蓮、法華経への疑心暗鬼に陥る、、文章にるるは観じた

2021-07-23 16:36:58 | 日記
■日蓮に怨(あだ)をなすなら
日本国一切衆生兵難にあうべし

法華経を弘むる人は
日本国の一切衆生の父母なり
章安大師いわく
「彼が為に悪を除くは
即ち是れ彼が親なり」
されば日蓮は当帝の父母
念仏者、禅衆、真言師等が師範なり
又君主なり

しかれば
上一人より下万民にいたるまで
怨をなすをば
日月いかでか彼等を照らし給うべき
地神いかでか彼等の足を載せるべき
提婆達多は仏を打ちしかば
大地揺動して火炎いでにき
蒙古の攻めも又かくのごとし
日本国の一切衆生兵難にあうべし
されば日蓮が法華経の行者にて有る無きかはこれにて見るべし


教主釈尊記していわく
「末代悪世に法華経を弘通する者を悪口罵詈等する人は、我を一劫が間怨せん者の罪にも百千万倍過ぎたるべし」
と説かせ給えり

■日蓮を憎み責める人々が、身を裂かれないのは、日蓮が法華経行者でないからか?

今の日本国の国主、万民等
我が意にまかせて父母(日蓮)を
宿世の敵よりもいたく憎み
謀反、殺害の者よりも強く責める
は(なのに)
現身にも大地割れて入り
天雷も身を裂かざるは不審なり

日蓮が法華経行者にてあらざるか
もししからば大きに嘆かし
今生には万人に責められて
片時も安らかず
後生には悪道に堕ちん事をあさましとも申すばかり

又日蓮法華経の行者ならずば
いかなる者が一乗の持者にて
あるべきぞ
法然が「法華経をなげすてよ」
善導が「千中無一」
道綽が「未有一人得者」
と申すが法華経の行者にて候か
又弘法大師のいわく
「法華経を行ずるは戯論なり」
と書かれたるが法華経の行者なるか

■経文の如くならば、日本国で伝教大師と日蓮だけが法華経行者だ

経文には
「能持是経能説此経なんどこそ」
と書かれて候
「能説」と申すは
「於諸経中最在其上」と申して
大日経、華厳経、涅槃経、般若経等に法華経は勝れて候なりと申す者をこそ、経文には法華経の行者と説かれて候
もしこの経文の如くならば
日本国に仏法渡って七百年
伝教大師と日蓮と外は
一人も法華経行者は無きぞかし

■一人二人身を裂かれないのは道理だ、同時にたくさんの人が大難にあうべし

如何に如何にと思うところに
頭破作七分
口則閉塞
なかりけるは道理にて候けるなり
これ等は浅き罰なり
但一人二人等の事なり

日蓮は閻浮提第一の法華経の行者なり
此れを謗り、此れを怨む人は
閻浮提一の大難にあうべし
これは日本国を振り揺るがす正嘉の大地震、一天を罰する文永の大彗星等なり
これ等を見よ

■しかしそんな大難は一度もなし

仏滅後の後、仏法を行ずる者に怨をなすといえども、今の如く大難は一度もなきなり、南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人一人もなし
此の徳はだれか一天に眼を合わせ四海に肩を並ぶべきや


仏法研究・撰時抄・今末法は法華経弘める時、法華経を弘めることで難に合う、あなたならどうする?

2021-07-23 15:15:52 | 日記
■今末法は争い起きる時
だからこそ法華経を流布すべし時

今末法に入って二百余歳
闘諍言訟(争い、論争が絶えない)
白法隠没
の時にあたれり
仏語まことならば一閻浮提に
闘諍起こるべき時節なり

大集経の白法隠滅の時に次いで
法華経の大白法を一閻浮提に
広宣流布する時疑うべからざる

■権経も少し真実を記す

大集経は権大乗ぞ
しかし生死を離るる道には
法華経の結縁なき者の為には
未顕真実なれども
六道、四生、三世の事を記しける

■法華経は真実・要

いかにいわんや(いうまでもなく)法華経は釈尊「要当説真実」と名のらせ給い
多宝仏は「真実なり」と判を添え
釈尊重ねて無虚妄の舌を色究竟に付けさせ給いて
「後五百歳に一切の仏法滅せん時
上行菩薩に妙法蓮華経の五字を持たしめて、謗法一閻浮提の白癩病の輩の良薬とせんと梵帝、日月、四天、竜神等に仰せつけられし」金言
此の事は一定なるべし

■法華経真実ならば、万民が妙法蓮華経流布する者に難を与える。だが、難を与えたことで安穏にいられなくなる

此の事一定ならば
闘諍堅固の時、日本国の王臣と
万民等が
仏の使いとして南無妙法蓮華経を流布せんとするを
罵詈し、悪口し、流罪し、打ち、弟子眷属等を種種の難にあわする人人いかでか安穏にては候べき
これをば愚癡の者は呪詛すと
おもひぬべし




仏法研究・撰時抄・伝教大師という人

2021-07-23 13:55:56 | 日記
■伝教大師、六宗・禅宗を学ぶ

最澄、後には伝教大師と号し奉る
始めは
三論
法相
華厳
倶舎
成実
の六宗並びに禅宗等を
行表僧に習学し給う

■伝教大師、経と釈に相違あることを知る

国昌寺、後に比叡山と号す
ここにて
六宗の本経・本論と
宗宗の人師の釈とを引き合わせて
御覧あり

しかば

かの宗宗の人師の釈
経論に相違せる事多き上
僻見(偏った見方)多々にして
信受する人皆悪道に堕ちると
考えさせ給う

其の上

法華経の実義は
宗宗の人人
我も得たり、我も得たりと自賛あり
しかども其の義なし

■伝教大師、六宗七寺を論破

此れを申すなら喧嘩となる
黙して申さずば仏誓に背く
と思い煩わせ給う
しかども
終に仏の戒めを恐れて
桓武天皇に奉じ給う
しかば
帝、此の事を驚き給いて
六宗の碩学に召し会わせ給う

学者等始めは慢幢(傲慢)山の如し
悪心、毒蛇のようなり
しかども終に王の前にして
責め落とされて
六宗・七寺・一同に弟子となる

■天台大師のできなかったことを
伝教大師はやった

天台大師の責め給わざりし
小乗の別受戒を責め落とし
六宗の八大徳に大乗別受戒を授け給う
のみならず
法華経の円頓の別受戒を叡山に建立
しかば延暦円頓の別受戒は
日本第一たる
のみならず
仏の滅後一千八百余年が間
一閻浮提に未だなかりし
霊山の大戒、日本国に始まる

■天台宗と真言宗の論争が実現しなかった故に・・・

この日本国は伝教大師の弟子に
あらざる者は外道なり、悪人なり
しかれども
天台宗と真言宗の勝劣は
伝教大師心中には存知させ給う
けれども
六宗と天台宗との如く
公場にして勝負なかりける
ゆえに
伝教大師已後には
東寺、七寺、園城、諸寺等日本一同
真言宗は天台宗に勝れたりと
万人に至るまで思えり

■天台法華宗の時
天台法華宗は
伝教大師の時にぞ有りける
伝教の時は像法の多像塔寺堅固の時なり、白法隠没の時にはあたらず




仏法研究・撰時抄・像法四百年の時、仏教日本に渡る~像法八百年の時、最澄・空海登場

2021-07-23 12:28:03 | 日記
像法に入って四百余年
百済国より一切経、教主釈尊の木像等日本国に渡る
神武天皇より三十代欽明天皇の御宇なり
欽明天皇の御子用明、用明の太子
上宮王子(聖徳太子)
仏法を弘通し給う
法華経、浄名経、勝まん経を
鎮護国家の法と定めさせ給う

その後三十七代孝徳天皇の御宇に
三論宗、成実宗を
観勒僧正、百済国より渡す

同御代に道昭法師
漢土より法相宗、倶舎宗を渡す

四十四代元正天皇の御宇に
天竺より大日経を渡して有り
しかども弘通せずして
漢土へかえる
此の僧をば善無畏三蔵という

四十五代聖武天皇の御宇に
審祥大徳、新羅国より華厳宗を渡して良弁僧正、聖武天皇に授け奉りて
東大寺の大仏を立てさせ給えり

同代に唐の鑑真和尚
天台宗と律宗を渡す
その中に律宗をば弘通し
小乗の戒場を東大寺に建立す
しかども法華宗の事をば名字をも
申し出せ給わずして入滅しおわんぬ

其の後像法八百年
五十代桓武天皇の御宇に
最澄と空海と申す小僧
出来(しゅったい)せり
最澄後には伝教大師と号し奉る