【師木津日子玉手見命】、【片塩】の浮穴宮に坐して、天下治めたまひき
この天皇、【河俣毘売(かわまたひめ)の兄(いろせ)県主波延(あがたぬしはえ)の女(むすめ)、阿久斗比売(あくとひめ)】に娶(みあ)ひて生みませる御子
常根津日子伊呂泥命
(とこねつひこいろねのみこと)
次に【大倭日子すき友命】
(おほやまとひこすきとものみこと)
次に師木津日子命
(しきつひこのみこと)
合わせて三柱(みはしら)の中に、大倭日子すき友命は天下治めたまひき
師木津日子命の子、二王(ふたみこ)坐(ま)しき
一の子孫(こ)は
【伊賀の
須知之稲置(すちのいなぎ)
那婆理之稲置(なばりのいなぎ)
三野之稲置(みののいなぎ)
の祖】
一の子、和知都美命は【淡道(あはぢ)】の御井宮に坐しき
故、この王(みこ)、二の女(むすめ)有りき。兄(いろね・姉)の名は【蠅伊呂泥(はへいろね)】、またの名は意富夜麻登久邇阿礼比売命(おほやまとくにあれひめのみこと)
弟(いろど・妹)の名は蠅伊呂杼(はへいろど)なり
天皇の御歳、【よそ拾玖歳(じまりここのとせ)】
御陵は【畝火山のみほと】に在り
★師木津日子玉手見命
第三代安寧天皇
★片塩
奈良県大和高田市三倉堂
★河俣毘売の兄(いろせ)
母の同母兄、おじさん
★阿久斗比売
安寧紀では、事代主神の孫
鴨王の娘
★大倭日子すき友命
懿徳天皇
名に大倭のついた息子は、後に即位している
★伊賀の
須知之稲置、那婆理之稲置、三野之稲置
※三稲置は、伊賀国の名張郡周辺の氏族
※須知→三重県名張市の北西部薦生・蔵持一帯
※那婆理→名張市中心部
※三野→名張市北東部、新田・田原一帯
★淡道(あはぢ)
淡路島の兵庫県三原郡西淡町松帆字櫟田
★蠅伊呂泥(はへいろね)
蠅→当て字で大縄、または弦を強く張る
伊呂泥→同母姉
別名は、大日本国生まれの姫の意味
★よそ拾玖歳
49歳
★畝火山のみほと
畝火山→橿原市吉田町
みほと→女陰→くぼんだ所
■安寧天皇は片塩の浮穴宮にて天下を治めた。天皇は河俣毘売の兄、師木県主の波延の娘、阿久斗比売と結婚し生まれ御子は
常根津日子伊呂泥命
大倭日子すき友命
師木津日子命
である
三柱のうち、大倭日子すき友命が天下を治めた
師木津日子命の子は二人いた
一人の子は伊賀の
須知之稲置
那婆理之稲置
三野之稲置
の祖先である
もう一人の子は
和知都美命(わちつみのみこと)は淡路の御井宮(みいのみや)にいた。その王には二人の娘がいた
姉の名は蠅伊呂泥(はえいろね)
またの名を意富夜麻登久邇阿礼比売命(おおやまとくにあれひめのみこと)
妹の名は蠅伊呂杼(はえいろど)
天皇の享年は49歳
御陵は畝火山のくぼんだ所にある