北家を中心に藤原氏の全盛期
★藤原基経
陽成天皇(母は基経の妹)を廃し
光孝天皇を擁立
光孝天皇が崩御すると臣籍降下していた源定省(さだみ)を皇位(宇多天皇)につけ、自らは関白となり政治の実権を握る
♦️摂関家当主は、天皇を廃することはあっても、自らが皇位につき、新王朝を樹立しようとせず、娘を天皇の後宮に入れ、そこに生まれた皇子を皇位につけ、自らは天皇の外祖父として摂政または関白になって政治の実権を掌握する、ことを企てている
藤原氏がクーデターを企てたり、新王朝を樹立しようと試みなかったところに、1300年に及んだ政権維持の秘密の鍵があった
藤原氏北家は、様々な策を用いたけれど、血塗るような暴力的手段はとらなかった
皇后や中宮に立てられるのは、北家の中核をなす摂関家に限られるようになった。また皇嗣はこれらの娘たちの腹にできた皇子に限定されていた
その藤原氏の蔓によって皇室を身動きならぬ程拘束していたのである