るるの日記

なんでも書きます

佐藤初女さんのこと

2022-12-12 16:09:38 | 日記
佐藤初女さんの言霊

訪れた人と一緒にごはんを食べることは、どんなに言葉を尽くして話すより、深いところで通じ合えます。
そして訪れた人が自分でポツリポツリと話しだします。話しているうちに、自分で自分の課題に気づき、気づいて話しているうちに、自分に有るものが出てしまうと、空っぽになって何も言わなくなります。今度は新しいものが入ります。癒しとは自分の気づきによって、心を解放したとき、初めて得られます。

訪れた人が受け入れられている、ということで話しだしてくれます。今度私が自分の言葉になるまでは、よく受け入れ、吸収して、消化して、自分のものとしてできてから、応えています。

最後の方でその方が答えを出した場合、「こうしたい」「こうします」と言えば、「ああ、そうですよ」とそこで共感した言葉をはっきり言います。方向を見出だしたことに、強く賛同し、実行に移るよう促します。
やろうと決めて始めてしまえばいいんです。何かをしたいという思いに駆り立てられると、外へ外へと求めて足元のことがおろそかになりがちになりますから。

苦しみに妥協する場合は、苦しみから逃げるようなかんじ。それでは苦しみがそこに残ります。だから自分で全部それを受けとめてとことんまで苦しむと、解消します。
苦しみが途中で残るということは、またそれと同じことがでてくるので、苦しみ抜いてと思っています。
とことん底辺まで落ち込み、もう自力ではどうにもならないところまで苦しむともう、おまかせになる。そして、どうにもならないまま、自分の足で立って、自分の好きを始める。訪ねてくれた人のためとか、喜んでくれそうなことをやって、順々にはい上がっていきます。丁寧に集中して行うことが、頭から愚痴や悩みを追い払い、心を清めてくれ、心がサッパリし、感謝が自然とわきます。

偽りの信仰「信じるために自分の本心を隠す、現実逃避のための信仰」

2022-12-12 15:21:39 | 日記
♦️ある信者は、心の悩みを否定し、プラス思考にすり替える

「本心の表現を妨げるような信念」が構築された信者は、怒りを表現したり、自己主張しないことがある。なぜならば「宗教の教えに反していると信じている」から。

腹の底に持っている悩みや不快感は否定し、自虐的姿勢を維持し、さらに現実否定のためにプラス思考を用いる。
現実否定のためのプラス思考は、百害あって一利なし。
腹の底にたまっている悪感情に気づき、受け入れ、発散させてあげなければ、心身を病む。

■なぜ本心の表現を妨げる信念が構築されたか?

★愛情深く、親切で、謙虚な他の信者や、その信者の権威に絶対服従することで信仰信念は構築されるが、その根本は「気に入られたいから」という思いである。

★「教えを信じることで、神はすべての恵みと、自分が必要とする真の源泉を与えてくれる」という教えを信じているのだが、その信仰心の根本には「他人に自分の世話を頼んだりできない性格、または状態にあるから」
人間関係のスキルの欠如

■信仰生活のみを優先するあまり、自身の苦悩を見失うことは、信仰と逆行する。

♦️信仰心が篤いと思われる人
■実は欠乏感、無価値感、他者から拒絶されることへの恐れがあったりする。だからこそ、信仰に打ち込むのである。これも本当の自分との接触を避けている。

■「自己を越え宇宙と一体化する」その前提条件に、「自我を明確に確立する」がある。
自分が確立していないと、越える自己が見つからないからだ。だから本心の否定やら、本当の自分との接触を避けて、現実逃避していては明確な自我は確立できはしない。

それに自我確立前にはプラス思考などできず、本当の自分を知ることで混乱状態に陥るが、それが正常なのである

■信仰の篤い人が、正常な状態にあるか、それともコンプレックスの渦に振り回されているだけの状態にあるか、見極めましょう。

♦️信仰生活には、ともすると妄想だけが膨らんで自滅すること必至。このようなリスクが伴うことを念頭に置いて、信仰生活に入る人は、入りましょう。






合わせたふりをしつつ、心は自由に遊ばせておく

2022-12-12 14:09:30 | 日記
■外環境に合わせたふりをしつつ、心は自由に遊ばせておきましょう

人は自分をとりまく環境に上手く適応できないと、確実に心身を病む。
外的環境に対応するためには、現実重視の理性や知性を働かせ行動しなければならないらしいが。。
人は現実重視の理性、知性だけで生きているわけではない。理性、知性に縛られない心のはたらきがある。
そうした感性を抑圧すれば、意欲を失う。

常に現実的に生きるていると、心のバランスを崩す。外の現実に自分の心を合わせていこうとすればする程、逆に可能性を閉ざし、心のバランスを崩す。

適当に現実世界に合わせたふりをしつつ、心は自由に遊ばせておきましょう。
理性、知性より、自由に遊ぶ心の方が、現実物理的世界にシンクロしているのだから。

■現実社会には形だけ計らい、心は無為自然に

無為自然とは、計らわず在ること。
ちっとも対立感無し。
計らいとは、何かの為に在る、何かの為にやる、という計らい。
計らいは何らかの対立感をおぼえる。
何かの為ではなく、今在る。
結果、自らが在ることを充実させる。
けっして充実させる為に在るわけではない。
【為すなくして、為さざるなし】
何もしないでいて、すべてのことが為されている。

女の業「外面は菩薩、内心は夜叉」

2022-12-12 13:19:35 | 日記
女人は、自分の意志を曲げ、
他人に媚びへつらう業を持つ
人を損ずる源は女人
災いは女より起こる
女人は地獄の遣い
仏(生死を離れた命)の種子を絶つ
外面は菩薩、内心は夜叉
たとえると、たくさんの男の煩悩を合わせ集め、一人の女の業となる
たとえ女人が仏法に縁しても、仏になる種子をじれったく思い、かえって仏法を失い、悪道に堕ちる

生死を離れた命は、男女の別を離れている。女人の本質は生死を離れた命。救いの手は差し出されている。ただ女人の肉体的本能はどうか?
男に比べ力の弱い女は、生き延びるためには、自分の意志を曲げ他人に媚びへつらうもありだし、現実、子を産み育てるための知恵でもあるかもしれない。よって女の宿業は必要であるかも、、

疑問の輪廻は停止した

2022-12-12 12:58:10 | 日記
■この世だけではなく、死後まで含めた、、いや、、
生死の無い永遠のルルとは何だ?

それは空仮中の三です。

★(同一律)(仮)(相)
【ルルはルル自身だ】

仮の相

★(排中律)(空)(性)
【ルルは生きているか、生きていないかのいずれかである】
性質は空
生まれ、老い、病み、死ぬ

★(矛盾律)(中)(体)
【ルルは生きているでもない、生きていないでもない】
本質は生死を離れた中道の生命

■こんにちはー
私は生死を離れた「命」というものです。ずーっと永遠にいます。
今はルルという人間に仮になってます。
人間としては生まれたら必ず死ぬというお約束でありますが、その本質は「生死を離れた命である」です。その真実を人間ルルは理屈で知りました。が、いまいちピンとこず、腹まで落ちて理解していません。
「なんのためにそうなっているのか?」という疑問が、知っても知っても知っても、繰り返されるのです。疑問の輪廻を食い止めるためには、どうすればいいか?
本に書いてある理屈の理解では、疑問の輪廻は食い止めることはできない。
人間ルルの本質である「命」に真に気づく、体感、感受、感応、することで疑問の輪廻は止まるだろう。。
つまり「信じる」しかないのです。
命は仏
命はルル
命は自力
命は他力

ほらね、解ったでしょ?
命が人間ルルとして今いる意味を。

肉体には肉体の業がある
命は肉体に入り人間になる
業を救うために
業が自分をあきらめ、救われたいと願ったとき、命から救われる。
自力でもない、他力でもない、自他を離れた中道の命に救われる。
救われた業は、報恩のはたらきで、救う側に向かう。

それほどまでに、、この世は苦海なんだよね。