るるの日記

なんでも書きます

るるの随筆「ボランティアヒーラーとホームヘルパー」

2022-11-29 08:00:48 | 日記
何の取り柄のない、愚かな私は、生きるために、嫌な仕事をするために、こう思い込んで、信じている

私はスポンジ体質で、私のいる場や、そばにいる人に溜め込んでいるエネルギーがあれば、それを私は全部吸い込む。するとその場は清浄になり、その場にいる人は元気になる
【ボランティアヒーラー】だと

このように場も人もエネルギーを溜め込みます。吐き出す術は熟睡、入浴、運動、集中などいろいろありますが、溜め込みすぎていたり、忙しかったり、溜め込んでいることに気づかなかったり、面倒だったり、病気だったり、いろんな理由で出すをしない人がいる。

私はそれを吸収します
吸収したらそれを燃料とし、仕事をします。仕事はホームヘルパー。
掃除に、料理に、おむつ交換、清拭、入浴などの援助・介助で吸収したエネルギーを燃焼させ浄化します。
空っぽになると同時にまた吸収します。

それが私の生きる意味、仕事をする意味になってきています。



るるの随筆「自動浄化装置」

2022-11-29 07:26:14 | 日記
浄化とは、穢れ・汚れ・悪を取り除いて清浄にすることですが、
穢れ・汚れ・悪の定義は人によって、時と場合によって変わるもの。
だから浄化を「溜め込んだもんを出す」ことだと思うことにしました。

人間は食べたり飲んだり、空気を吸ったりして、一旦た溜め込みます
人間の体は尿や便がたまると
不快に感じて、出します
出すと爽快スッキリです
出さねば病気になります
水が体にたまり浮腫むと醜くなり、不快です
このように身体は溜め込むことはしません
溜め込むと病気になり
病気になると溜め込む
身体は自動浄化装置ですね
では心全般はどうでしょう?
心も自動浄化装置はあるのかしら?




るるの随筆「神仏」

2022-11-28 12:28:03 | 日記
愚かだけど尊い、貴い
器として存在する私たちには、三位一体。
★人間という器(家系、遺伝子、本能、脳)
★永遠の業(カルマ、自我)
★永遠の魂(すべての法則力)

業は、業に似通った人間器に組み込まれる
魂は、組み込ませる法則力

では神仏とは何か?
業の持つ信じる力(自力)を引き出すことで、魂の法則力(他力)が働き、人間としての自我の趣き(表層意識)が中道に変わり、物事の捉え方が変わり、快適になる
(人間の脳には信じるはない)
それを、神仏のお陰とする
そうした方が信じやしはいかも

るるの随筆「業火の炎は、辺りを照らす光」

2022-11-28 11:58:43 | 日記
業火
業は肉体を求め人間となりました。
業は何度か人間として体験を積むうちに、「いろんな体験をした。今は暖かに燃えて、そして燃え尽きて、最後は光になりたい」と願うようになりました。

ずっと永い間、業を見守っている光は、業の念願は叶えるべき法則でしたので、光は暖かな火と化し業を燃やしはじめ、光と業は一つの炎となりました。

業は燃料
光は火
環境は酸素
3つの関係が合致し
激しくも柔らかな炎となり
あたりを照らし出す。

業は煩悩が苦しみの元だとは解ってはいた。それでも煩悩を棄てることもできない、そんな自分が惨めすぎて、泣きながらも、ただただ光に照らされた場所をさがして歩いているうちに、おのずから光自体になりたいと願ったその刹那、煩悩は、慈悲と智慧におのずから転換し、業は今度は慈悲と智慧を燃やす炎の光として、他の人を照らして歩むようになりました。


るるの随筆「るるの脳と自我と魂」

2022-11-28 10:57:27 | 日記
■脳と自我と魂

【脳】受精した瞬間から脳は働き、オギャーと生まれ瞬間から本能は働く。誰も教えないのに吸い付くし、不快な時は泣く

【自我=業(カルマ)】3歳頃には喜怒哀楽豊かになり、自分を表現したり、性格傾向が確立してくる。前世、宿業の続きがはじまることが
自我の確立

自我とは業、カルマ、霊
人間という器を必要とし、似通った脳・遺伝子に引き寄せられて、合体し、その器に組み込まれる。
器に組み込まれる目的は体験し学び成長すること。不幸であろうと、犯罪を犯そうと、それは学びと成長となる。

だから、本来、器と自我は別物。
器が消滅したら、自我の成長はそこで停止はするが、消滅しない。
器のない成長停止した自我は

【魂】法則とその働き。心臓や血流が、眠っていても働くような働き。法則を司る働き

※器の法則→耐用年数まで生きる
※自我の法則→成長
耐用年数のある器に、自我が組み込まれることで、自我は器個人として体験し成長することが可能
器個人が消滅すれば、自我はそこで成長停止。
変化無くして時間も無し
休息であり、眠りであり、リセットである。

極楽浄土、地獄などの死後の世界というのは、自我が休息中に見る夢。
自我の記憶の中を浮遊している夢。

だから、自我は連続しているが、
器は、途絶えているので、器としての前世は無い。
永遠の生命とは、法則の働きと、成長し続ける自我である。