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平家物語・座主流し「比叡山衆徒の訴訟によって流された師高の父・西光の復讐」

2022-02-24 18:47:52 | 日記
1177年5月5日、天台座主明雲大僧正は、朝廷の法会や経典の講義を止められ、朝廷で行われる修法のための如意輪本尊を返し、天皇護持の祈祷役を替えられた。この仕打ちは、比叡山衆徒が御輿を担ぎ朝廷に向かわせた事件の黒幕とさせらたからだ

なぜか?
西光法師父子が
「加賀国には天台座主の寺領があり、加賀守師高がこれを廃止したので、その遺恨を衆徒に語り訴訟を起こさせたのである。もう少しで朝廷の一大事になるところだった」という讒言(他人を陥れるための嘘)を、言いふらしたからだ

明雲は天台座主を辞職された
5月11日、鳥羽院の第七皇子が天台座主になった
明雲は職務を停止させられ、監視をつけられ、水と火を絶たされた

5月18日、座主の罪科についての会議が開かれた。中納言・藤原長方が申すには
「法律の判定書では、『死罪を一段下げて流罪にされる』と書いてありますが、明雲は顕教・密教2つながら学び、清浄な行いを極め、戒律を守り、法華経を高倉天皇にお授けし、菩薩界を後白河院にお授けした師です。そういう方を重罪にするとなると、仏がどう思われるかわかりません。俗人に戻して流罪にするのをゆるめるべきでしょう」

みな賛成したが、後白河院の怒りが強かったので、やはり流罪に定められた。平清盛でさえこの事をとりなそうと思って参られたが、後白河院は風邪気味ということで会えなかった

僧を罪に処すために、俗人に戻して、藤井松枝と俗名をつけられた


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