るるの日記

なんでも書きます

ルルは念仏を称えると「ずーっと今まで自由だった」ことを思いだす

2022-04-06 11:30:20 | 日記
二重、三重の否定ってします
一念を二念三念、、と思い続けてしまうのです
例えば一念で「嫌」と思うが
二念で「嫌と思う自分が悪い」となり、三念で「嫌、好と分別している」となり、四念で「はっ!一念が二念、三念、、と連続してるやん!ルルのバカバカバカ」となる

そして念仏
南無阿弥陀仏を称えてリセットする


無私になるの。無私を目指さないの。だって元々私は無いんだし。連続する思いは悪業の報い。「湧きたくて湧きたくてたまらない」らしい。だからそれに任す

一念は仏の報い。悪業の報い暮らしの最中に時々「念仏を称えなきゃ」と思い出す。これは如来の作用

この悪業の報いと、仏業の報いが、この器に働いているだけだった

悪業の報いというのは自己を主張したがるから、私は「私はいる」と実感する。だから不自由。何らかの責任や義務を感じたり、周囲から良く見られたがり、悪く見られたがらないから。あー窮屈

だから南無阿弥陀仏を称えるの
称えると思い出す
「私は無いんだった」と
そして一念自由生活を楽しむ
だけどまた悪業の報いが湧く
人生はその繰り返しなんだなあ


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