るるの日記

なんでも書きます

十字架から降りて下さい。その木を必要としている人がいるのだから

2020-11-11 13:02:23 | 日記
駐車場でトラックのウインカーの電球を取り替えるという簡単な作業をしながら、私はずっと不平を言っていた。そうして必死になっている真っ最中に通りかかった一人の女性が声をかけてきた

「あなた、見るからに大変そうね」

私は唖然として立ち上がった。単なる通りがかりの人にさえ、力んでいるのを見抜かれるとは!

私にかけられたその声は、単なる通りすがりの心ではなく、真理そのものだった。同じ日の少し前、私は人生をもっと気楽にいこうと決意していた。なのに今、宇宙は、私がまだ苦労という祭壇を崇拝していることを知らせてくれた。

肩に力を入れて奮闘するのは、行動でなく態度の問題だ。闘わないと欲しいものは得れないと信じているなら、何をするにも苦労しなくてはならない。しかし宇宙は私たちが気楽な心で近づけばより効果的に作用し、人生が私たちに仕えてくれるのだ

ある週末友人と山へハイキングに行った。長い道のり。小道は300メートルの断崖に沿って続いている。私は不安に襲われ体が硬直した。谷底は見ずに目前の小道だけを見るようにした。楽しむどころではなく、早く安全な大地に辿り着きたい一心だった。
丁度その時、一人のハイカーに遭遇した。その女性は私とは逆に楽しそうだった。彼女の足取りはゆっくりだが軽快で、見るからに楽しんでいる。そして時折足を止め、見事な眺めを満喫していた。彼女の休日は自分を豊かにするものだった。
これを見て、私の記文は変わった。彼女の気楽さは、明らかにこの状況に恐怖や不安を感じる必要がないことを物語っていた。(恐怖というのは実体ではないという。なぜなら、実体ならば誰もが同じものを恐れるはずだからだ)
私は試しに彼女のようにしてみることにした。深く呼吸し、肩の力を抜き、そこここで立ち止まり、眺めを楽しんだ。そうすると素晴らしいことに、谷を抜ける頃には、私の気分は高揚していた。

自動的にストレスを感じさせるものは何もない。ストレスは長い間自分を虜にしていた無意識の中の恐怖。自分が緊張してきたら恐怖の条件付けをし直すチャンスだ

私たちはどんな状況でも、自分の信条と先入観を通して見ている。私たちは状況を変えることはできないかもしれないが、自分の態度や接し方を変えることはできる。どんな時も苦悩ではなく、安らぎを選択することができる。

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