観測の観は、虚心に自然を見ていると、現象の本質がまざまざと見えてくることであろう。
虚心とは赤子の心ではなく、成心を去るということであって、人それぞれの学問や知識によってちがう。
子供の心ということであるなら、子供の方がいつも自然をよく見ていることになるから、学問など全く無用になってしまう。
現象の本質というのは、そこに見えてきた一種の帰納的な、動かしがたい結論のようなものだろう。莫大な資料を次々と書き記し、吟味しているうちに、突然歴史の一コマが主観を越えて浮かび上がってくる。そこをとらえて柳田氏かこの作品を作り上げたのなら、それは観測精神の見事な成果である
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