■織田信長は
不安な気分の中で
その頼りなげな姿を
あらわにしたことがあった
その不安の中の信長は
将来に対する「ぼんやりした不安」にとり憑かれて自殺した芥川龍之介の不安と、その周辺から立ち昇ってくるゆらめきの中で誕生した
大正15年、正宗白鳥は2つの戯曲を書いている。「安土の春」「光秀と紹巴(しょうは)」
正宗白鳥は47歳
芥川は死の前年で34歳
■【安土の春】
舞台は安土城
1581年3月10日頃
本能寺の変の前年
この日、信長は竹生島に参詣
信長の留守の間に、城中の女房たちが桑実寺に参詣し物見遊山の気分にひたっていた
そのことを知ってか?知らずか?信長は急遽疾風のごとく帰城し、女房たちを皆殺しに成敗。その助命嘆願に駆け付けた寺の僧も一人残らず首を切られる
信長はつぶやく
「人間は脆いものだ」、、と
やがて重臣・柴田勝家が入ってくる
勝家に信長は言う
「俺に力があったからこそ、俺は勝った。力があるうちは神とさえ角力をとれる。力が衰えた信長は藁人形。俺の力にヒビが入ったら、俺も最後だ。俺の足許からでも敵は飛び出してくる。。人間は脆いものだ」
手打ちにした家臣たち、首を切らせた女房たちの運命が脆いものだと言う。が、そういう自分もまた、その脆い運命を免れることはできない
と予感している信長
最後に、信長は勝家を前にして歌う
「人間五十年、化転の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」と歌って
「百万の人馬を集めることができる俺も、明日ともいわず、今夜のうちに誰かに寝首をかかれるとも限らないのだ」といった
■【光秀と紹巴(しょうは)】
1582年5月27日
光秀は愛宕山に参詣し、西坊で連歌を興行した。光秀の句
「ときは今、あめが下知る、五月哉」
謀反の意志をひそませた句だ
その席に連歌師・里村紹巴が参じていた
光秀「おい、紹巴、俺の心に疑いをかけている者は、天下にあなた一人だ、、俺が句作りに心を取られて、ちまきを葉のままかじったのを、あなたは変な目付きで見ていた。俺のため息の数まで数えていただろう」
光秀が脅えているように、紹巴も震えている
紹巴「殿はなぜ今日にかぎって私を
憎むのですか」
光秀「安心しろ。今は決して憎んでないよ。躊躇逡巡していた俺を、其方は刺激して、行くところまで行くように決心させてくれたのだから」
光秀の不安と疑心が赤々と照らしだされる。自分が謀反を決意したのか?自分を主君暗殺へと駆り立て、刺激しているのは紹巴か?問いを立てているのは作者の正宗白鳥であろうが、、、
■正宗白鳥がこの2つの戯曲を発表した翌年、芥川龍之介が「将来に対するただぼんやりした不安」のなかで自殺した
白鳥が信長の心に託した予感は、芥川の不安に通ずるものだったかもしれない
時代が白鳥に「安土の春」を書かせ、芥川を自殺に追い込んだのだろう。大正から昭和への転換期という時代が
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