渇愛は本能が発動した際に、もっとも衝動的、盲目的となる愛欲であり、直接的には盲目性を訴えている
渇愛は盲目なる生への意志
渇愛は欲望と情念
愛欲を離れることが勧められるのは、愛欲はとるにならない欲望であり、それはしばしば苦痛であるからで、苦は避けるべきものであり、そのためには愛欲から離れることが賢明
だが、愛欲は大乗仏教の空観によって慈悲に昇華される契機が訪れた。空観によって自他の区別をこえ、それを1つに観る。愛欲も慈悲は本質は同類のものであり、慈悲は人間愛を通して表現されるのであるが、人間愛を越え昇華されている
なので、一切の人間の欲望は肯定される立場にあり、仏教とは人間肯定の教えを説いたものであるはずです
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