そうとはいえ、朝比奈の口からその言葉を直接に聞くのは、おれのもろい自尊心では支えきれず、どうして知ってるのか訊きたい気もするけど、そうすると腰のことを認めてしまい、それだとなんだかまんまと朝比奈のカマかけにはまってしまったようで、それもまたおれとしては避けておきたい、、、 おれにカマかけする必要性が見えんけど、、、
腰のことがあったとしても、おれなんかに言葉をかけたのは、いったいどういう心境の変化なのか。どうせならこれをきっかけに話しかけたいような、もうこれ以上は関わらない方がいいような。ふせめがちなおれは、なにごとにつけてひとに判断をゆだねてその結果に理由づけしていくことしかできない。
はっきりしない態度は生まれ持ったもので、次のリアクションを遠巻きにうかがっていたら、ほんとうに向こうから寄ってくるではないか、、、 こんなに暑いのに、汗ひとつかいていない。なんかいい香りがする、、、 朝比奈だったら汗だっていい香りなんじゃないだろうか、、、 変態の域に近づいているな。
「ホシノがねえ、そうホシノが、わたしを選んだんだから… しかたないんじゃない?」
はあ、あぁ、そうですか。そうですよねえ、、、 選んだ? なにを? 選んだような気もする、、、
時としておれたちは無力感に陥る。おれなんかはそれと同じかそれより以下で、ある程度、自分の意図した答えが導き出されれば、それを鵜呑みにしてしまい。突拍子もない答えなら、自分の解釈がそのレベルに達していないか、相手の意図するところが伝わってこないと、自分のレベルを疑うしかできない。
さて今回はどれが当てはまるのだろう。一度も口を聞いたことのない、崇めてきただけの女性から、選ばれたからとか断言されたって、、、 たしかにある意味、選んだのは間違いない、、、 念じたり見つめるだけで気持ちが伝わったり、恋愛が成就すれば、誰も苦労しないだろうし、おれだってそこまで望んでいたわけでもなければ、いくら神の思し召しだとしても、少々やりすぎなんじゃないだろうか、、、 随分やりすぎだ、、、 できすぎだけど、それのっかるのがおれの生き方じゃないだろうか。
そんなふうに自分を奮い立たせても、おれはやっぱり態度をハッキりさせることができず、朝比奈の次のアクションを待っていた。
そこへ遠慮なく切り込んでくるのは、さすが朝比奈、、、 誉めるより自分を責めるところだな。
「ホシノだってわかってるでしょ。目の前で起きていることだけが現実ではないし、記憶に残っていることだけが事実ではない。すべては脳内で伝達されてる刺激が錯覚を起こし、それを事象として蓄積してるだけ。ホシノの欠けたピースを埋めようとするエネルギーが強ければ、その思いは叶うんだから」
さて、彼女は何をおっしゃっているのでしょう? おれの脳は強すぎる刺激を受けて許容オーバーになり、錯覚と目眩を起こし、なにも蓄積することはなかった、、、 なんてしゃれたへらずぐちをたたいてみた。
あっ、そうか、そういうことか。朝比奈が教師をやりこめるように、おれをいぢめようとしてるんだ、、、 なんのため? そんなことしも朝比奈にとってなんの得もないだろうに、、、 いやまてよ、つまり授業中の自由を手にするために教師にそうしたように、おれもまた朝比奈に二度と関われないように、隣のわずらわしい物体を排除するために、とことんやり込められているのではないだろうか。
朝比奈は苦笑しながら、アゴ先で教室を差した。おれが後ろを振り向くと同時に、廊下側に固まっていた女子達が一斉に反対を向く、、、 オマエらドリフのコントか。と、突っ込みたくなるほど一糸乱れぬその動きに朝比奈は首をすくめた。うーん、オンナは群れているとかしましい。ひとりでいるとかぐわしい。神は自分の将来を自分自身では決められないなんて、やけに理不尽じゃないか。
「そうじゃなくて、逆にね。わたしと学校で絡んでもロクなことないから」
そうかもしれない。でも、絡んでなくてもロクなことはなかったし。だったら絡めたほうが良いのではないだろうか。この勢いにノッかるのもひとつの手だ、、、 いやあ是非とも絡んでみたい、、、 マサトのハナシにノッかるより、残り少ない学校生活を楽しく送れそうだなんて、おれも相当な破滅主義だったんだなあ。
どうせ最後の夏休みなんだし、、、 なあんて、マサトの時とはえらい違いで、夏休みだって、こんなおれなんかに都合よく使われたくないだろうけど。
「ホシノお、アンタやっぱり、毛色が変わってるな」
毛色? 毛色って、髪の毛染めてないし。あっ、おれはイヌあつかいなのか? まあ、イヌでもいいか、、、 いや、イヌで上等。今後はイヌとして、よろしくお願いしたいッス。あれっ、イヌは毛色じゃなくて、毛並みだったっけか? それじゃ、毛色が違うってどういうことだ、、、 ことですか?
おれがどうでもいいことでアタマを働かせてると、朝比奈は止せばいいのに、かたまって仲間の絆を深めあっているかしましい女生徒群を鋭い目つきで睨み返していた。それなのにおれは鳶色の瞳が魅力的だなとか、端が上がった唇が柔らかそうだなと、よこしまな心だけが活発に活動していた。
バタバタと足音がして、扉が閉まる音がして女子が廊下に出ていった。蜂の子を散らすように、磯ガニな波にさらわれるように、そして朝比奈の眼光に耐え切れない女子生徒のように、、、 そのまんまだな。
自分が置かれた境遇がいかに特異な状況であったとしても、別に良く見られようとして分け隔てなく人と付き合ってるわけでもなく、これで明日から女子からはスポイルされるだろうし、男子からはやっかみ半分でからかわれること間違いなしだ。
昔からの性格はたやすく変わるわけはなく、三つ子の魂、百まで、、、 自信がないなら知らないことわざ使わなくてもいいのに、、、 簡単に言えば『血』? 単に八方美人? こんな性格に生んでくれた両親に、プチっとだけ感謝しようという気にはなった。
どっちにしろ、人の評価っていうのは、自分でどうこうするより、勝手に他人に決められていくものなんだって、あらためて認識するおれだった。
「ホシノ、スタンドのバイトしなよ。それで、わたしが入れにいった時はオマケしてくれ」
なに? なんでそこにつながる? あっ、そう。やっぱり聞いてたのね。それでガソリン代を浮かせようと粉撒いといたってわけだ。
ついにおれは妥協できる着地点を見つけて、安易にそれにすがることを選んでいた。平凡な人間であるおれは、ありきたりな結論を早く見つけないと息がつまってしまうんだ、、、 あれっ? でも、それならおれじゃなくても、マサトでもいいんじゃない。
「よう、よう」
なんだかまたややこしい時に、胡散臭い野郎の呼ぶ声が耳元を濁してくる。せっかく朝比奈の美声のシャワーを浴び、そのまま耳の中に封じ込めておきたかったのに。
ああそうだ、コイツだ。今回のすべての始まりはコイツの自己開示を強要する言葉から始まったんだ。そして今また、おれの耳がコイツの毒声に汚染されていく。
二十年ぐらい経っても、高校最後の夏休みはコイツのこのセリフから始まったんだなあと思い返すことになるんだと思うとうんざりしていた。
できれば朝比奈とのエピソードが先がよかった、、、 で、なんで二十年後なんだ、、、 どうやらおれたちは同じところをなんども繰り返して生きているに過ぎないってことらしい。