private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over03.21

2018-11-25 09:32:54 | 連続小説

 夕食が済むのを待ちわびるようにして母親が、『今日、庭先にネコの死体があってね… 』。そう切り出した、、、 いちおう食事の時間を避ける配慮はあるみたいだ。
 父親は眼鏡の上から目を覗かせて、湯呑に入ったお茶をそそくさと飲み始めた。この後の展開を予想してそうそうにこの場を立ち去ろうとしている。母親は新しく入れた緑茶をその空になった湯呑に注いだ。
 おれはすかさず裏の空き地に埋めてきたことを伝えて間を持たせようとしたら、母親は微妙に頬が緩んだ表情をして、対する父親はこれまた微妙に顔をしかめて、最後まで話も聞かずに、『そんなことせずに保健所に連絡すればよかったんだ』と、そっけなく言い返す。
 母親は、『そんなことしたら生ゴミみたいに扱われて処分されるのよ。いやじゃない、そんなの。夢見が悪そうで… 』。眉間にしわを寄せて首を振って応戦する、、、 顔のシワが目立つようになったから余計なシワを増やさなくても、と思ったけど口には出さない、、、 だいたい夢見が悪いのはおれだろ。
「生ゴミと変わらんだろ」
 父親はそう言い捨てて、注がれたお茶に見向きもせずに、いそいそと居間に閉じこもろうとするのを、『そんなことより、突然死体が現れたのよ。いったいどうゆうことだと思う?』。父親を逃すまじと、追いかけながら母親が話しを引っ張ろうと続ける。
 きっとそこから近所の話とか、町内の話とか、、、 話っていったってどうでもいいウワサ話やボヤキなんだけど、、、 そういう展開に持って行くつもりだ。
 もちろん父親はそんなのに関わりたくない。どちらも他人事なんだ。実行したおれにとって、あのネコのおだやかな顔を思い出し、保健所で処分されていたと思うと、本当に悪夢にうなされそうで、、、 どんな処分かわからないので、すごい方法で殺されるイメージしか浮かんでこない、、、
 裏庭であってもちゃんと埋葬できてよかったと、自分が関わったと思えば、もう死んでしまっているとはいえ、あのネコが悲惨な末路を迎えずに済んだことに安堵するばかりではあるけれど、それだって人間どもの責任のなすり付け合いのうえで出た結論であって、ネコにとってどちらが良かったかなんてわかるわけないし、ましてやおれが決めることでもない。
 どれだけネコのことを思っていたからって気持ちが通じるはずもなく、かわいそうだなんて考えること自体、かわいそうだと思える自分に自己満足してるだけなんだよ、、、 誰だって自己満足で自分のいい人づくりの思い出としている。
 それをわかったうえで、あえて言わせてもらえれば、人前に死体をさらした時点で、ネコは自らの処遇を放棄してしまったんじゃないかって。自然の中で生活することを選んだならば、もうそいつは致命的。人前にさらさず死んでいくのが野生の掟なんだ、、、 実家でぬくぬくと育てられてるおれが言う立場じゃない。
 せめて自分はそんな状況にならないようにと、死にザマについて決めてみた、、、 そうやってひとつ心に決めては、前に決めたことを忘れていく、、、 前に決めたことがなんだっかった忘れてるし、だいたいそんな先のこと覚えているわけがない、、、 死ぬことに遠いと思ってる人間の浅はかな考えだった。
 母親は、『おとうさんたら… 』と、お決まりのセリフで、しぶしぶ台所に戻って来た。どうやら、相手にされず、言いたいことの半分も言えなかったらしい。
 おれは母親に、死んだネコが生ゴミみたいに扱われるってどういうことか聞いてみた。母親は、どうやらそれも父親に話したかったのに、あえなく袖に振られたもんだから、おれが訊いてきたのをいいことに、『それがねえ… 』。と、うれしそうに話しはじめた。
 それは簡単に説明すると、機械に放り込んで、潰して、丸めて、焼くというわけで、そのまま料理でも作れそうな工程だった。そして本当に母親が言いたかったことは、死んでいなくとも飼い主のいない動物はそうやって処理されるってことで、声が届かないように、防音にしてあるんだけど、やっぱり少しは耳に届くんだと、うれしそうに話してくる、、、 なにがうれしいんだ?
 そりゃ、殺すならどこで、どう殺したって同じだし、担当者だってできれば自分で手をくだすより、見えないところでそうなってもらったほうがいいわけで、もちろんおれだってその仕事に就いたなら、同じ気持ちになるはずだ、、、 最後の断末魔が聞こえるのは勘弁してほしい。 
 誰からの情報か訊いたら、出どころは町内会の知り合いの息子さんが、そういった処理場で働いていて、いろいろと教えてくれたって。近頃の井戸端会議じゃ、芸能ネタもつきてそんなことまで暴露してるらしく、おれはそんな仕事は御免こうむりたいと首を振った。
「イチエイ。いつまでも子供っぽいこと言ってんじゃないわよ。人間がしていることなんてね、しょせん行き着けば、同じようなもんなのよ。誰かが儲かれば、誰かの財布は空になるんだし。カネは天下のまわりものって言うでしょ。自分に回ってくるお金は汚れていないと思うのは、浅はかな考えよ。遣いきれないほど収入がある一握りの人間が、人知れず朽ち果てていく人は大勢いるのを助けようともしない。それをしたら経済は成り立たないのよねえ… ねえ、明日の夕ご飯なにがいい?」
 母親は時にシニカルな言い回しをして世間や社会を皮肉ってみせる。そいう時はおれをイッちゃんとは呼ばず、イチエイと呼ぶ。そして言いたいことだけ言って明日の夕食の心配も忘れない。ここでなんでもイイよというのはバツで、だからって具体的な料理名を述べると、そんなの突然ムリと言われ、だったら訊くなよと言おうものなら、じゃあアンタが作ってちょうだいと言われる。
 この世のオンナの言うことのほとんどは意味などない、まともに取り合わず会話をつないでいればいいんだ、、、 父親を見て学んだことのひとつだ、、、 ああこれで、クラスの女子どころか、全女性から反感を買ったな。日本語だから全世界に広がらなくて良かったのか。おれは台所の隅の段ボールに入っているジャガイモと玉ねぎを見て、カレーなんかがいいんじゃないと言ってみた、、、 具体的か。
 死体処理の経緯を知らない父親は、自室にこもってゴルフクラブの手入れをしているはずだ。今週末はゴルフのコンペがあるって話を夕食時にも嬉しそうにしていて、なにがうれしいのか理解できないおれは、そんな父親の顔を見るのが辛かった。
 いや別に、部長のお下がりのクラブを大切にしているオヤジが見るに耐えないとか、コンペの日になると早朝からクルマにゴルフセット詰め込んで、タクシー代わりにお偉いさんの家を回って送り迎えしているのが情けないとか、父親を貶めるつもりはないけど、、、 貶めてるか、、、 父親にメシを食わしてもらっている分際で。
 とくにパッとした生き方をしているわけでもなく、、、 ほとんどの父親がそうだけど、、、 ありきたりで、どこにでもいそうな、それはドラマなんかで主人公の友達のおとうさんとして出てくる配役にピッタリで。おれも会社勤めをして、そこそこ働いて、たまの休みに自分の好きなことして悦に感じているぐらいしかこの先のイメージができず、定まらない自分の将来に押しつぶされそうになる。
 つまりはおれの未来もそうであり、同じような道をなぞっていったとしても、どこかでそいつを打破する手だてなど何も見出せない、、、 そこにさえ届かない可能性だってあるし。
 おれはあきらかに弱気になっていた。朝比奈のことで、少しは舞い上がってみたけど、本質にある問題が、ひとりになるとあたまを占有しはじめる。
 弱っている人間が考えることなどろくな結果にならず、つまりは無駄なあがき、あと先考えない無鉄砲な行動、ツメの甘い判断。そうして同じような失敗を繰り返し、こんな社会が悪いとか手の届かない力のせいにするぐらいしかできない。
 次の日からもマサトの勧誘は激しさを増すだろう。そんな弱ったおれの心によく響いてくるに違いない。アイツはなにも考えていないようで、結構、ヒトの心理をつくのがうまいのかもしれない、、、 もしくは、おれがそれだけ単純に生きているだけだ、、、
 そうはいっても、すぐに飛びつきゃ、足元を見られるだけで、だいたいマサトの言うように世の中そんなにラクで楽しい仕事があれば、みんなスタンドの店員になるだろうし、ウチの父親だってゴルフのたびに、上司の機嫌を取る必要もない。
 腐っても鯛。弱っててもおれ、、、 比較する意味あるのか、、、 ここは毅然とした態度で、しかたないからやってやってもいいけどね。なんて強気に出てやろうと浅知恵を練ってみた。それに朝比奈が望んでいるならやってみる価値もある、、、 マサトには絶対に言わないけど、、、
 それで朝比奈との関係が盛り上がるとも思えず、自分がのぼせ上がるのとは裏腹に、相手が冷めているのをみれば、どうにも別で埋め合わせが必要になってくるわけで。バイトでもすれば、別の出会いもあるかもしれないし、、、 腐ったイワシほどのプライドもない。
 おれたちは、自分に都合の良いことだけを考えがちで、さらに言えば自分の未来を高く見積もりがちで、さらにおれという人間は、そいつに輪をかけて危機管理など爪の先のほども考慮できず、ひたすらこれまでの成功事例を追いかけていた。成功者が落ち目になっても過去の栄光から抜け出せず、泥沼化し、奈落の底に転げ落ちていく例はよくあるらしい、、、 おれは成功すらしてない、、、 どれだけ痛い目にあっても、なかなかそこから抜け出せない人間なのだ。
 世の中に合わせないのは自分というアイデンティティを失いたくないという、若気の至りでしかない。いつかは折り合いをつけて調和する日がやってくる。その時は、その時で、もう若くないんだからとか、もっともらしい言い訳で落ち着くはずだ。
 どうやら人が生きていくには、暗黙のルールというモノがあって、それに従わないと世間に顔向けができないなんて、いつか常識ではなくなる日がやってくるのかもしれないけど、いまはまだしっかりと根付いている、、、
 パタンと扉を閉じると感情の扉も閉じられる。そんなまじないのような、自己暗示のような、そうでもしないと自分を保たれない。そして無感情にスイッチを押す。ポッチ。保健所に努める息子さんの気持ちがおれに響いてくる。パタン、ポッチ。パタン、ポッチ。それだけが彼の人生で、母親に言わせればその人生に誰もが大差ないのだと。なんてバカなこと考えてたら、風呂も入らずに寝てしまった、、、 母親は3回言ってきかない場合は放置するというルールを厳格に守っている、、、