private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over07.21

2019-02-17 19:30:42 | 連続小説

「なに、オロオロしてんだオマエ。挙動不審だぞ。誰かいるのか?」
 万事休す。カミナリを落とされるっ! と思って目をつぶって審判の時を待っていた。ところがそこで思いも寄らぬ言葉が続けられた。
「おうっ、なかなかきれいにできてるじゃないか。よかったよ、少し心配してたんだ。これなら問題ないだろ。よーし、次からも頼むぞお」
 ヘッ? ツヨシは? オチアイさんは満足気に笑っている。まんざらでもない表情だ。それはそれで良かったんだけど、こうなれば話を合わせておくしかない。えっ、ホントですか。いやあ、オチアイさんの教え方がよかったからじゃないですか。なんてお愛想言ったら、そりゃまあな、そうだろ、と腕組みしながら事務所に引き返して行った。
 なにがどうなったかわからないけど、とりあえずクビはまぬがれた。おれもまだ天に見放されてはいないようだ。安堵の気持ちに浸っていると、ややこしいのがまたクビを突っ込んでくる。ここはヤツの鈍さに期待するしかない。マサトにまで取り繕っていては身が持たない、、、 そこまでクビもまわらない、、、 アタマか。
「なに、危機一髪みたいなカオしてんだ。黒ヒゲか。おっ、洗車できてるじゃん。ああ、オチアイさんのチェックを無難にこなして、ホッとしてたのか。いいかげんそうに見えて仕事にキビしいもんな、オチアイさん。あっオチアイさんに言うなよ。優しそうに見えて結構こえーんだよ、オチアイさん」
 無難な内容に胸をなでおろす。マサトにもツヨシのことはバレてないようだけど、本人の前では絶対に口にできない言葉を、陰で平然と言ってのけるマサトだ。それにどんなふうにマサトの目に映ってるのかわかんないけど、そこにどれほど信憑性があるのかって思えば、オチアイさんもいい迷惑だし、そんな他人の見立てで人格が決められていくのも事実なんだから、おれはいろいろと信用できない。だいたいおれの顔からなにを読み取ったんだっていうんだ、、、 ハズレてるし、、、 
 それにしてもツヨシのヤツ、どこ行っちまったんだか。おれが自分の世界に入り込んでいたからつまんなくなって帰っちまったのか。それともアイツはアイツなりに野性の本能が働いたのか、、、 おれには働かなかった、、、 やっぱり野性をどこかに置いてきぼりにしてるんだ。
 ツヨシとのたわいのない話をして、楽しんでいたのはどちらかといえばおれのほうで、しかたなく相手しはじめたくせに、だんだん乗り気になって、振り回しといたあげくに、放り出してしまい。よっぽどおれのほうが子供じみてるわけで、、、 って、一応は申し訳ない気持ちになり、反省の弁でも述べてみた、、、 やってる時はそこまで気が回らないのがおれの良いところでもあり、悪いところでもある、、、 悪いな。
「今さ、永島先輩の彼女さん来てんだよ。オマエ、いっつも顔出さないから、永島さんが呼んでこいって。クッキー焼いてきてくれたんだ。来いよ」
 ああ、そうなのね。それをわざわざ言いに来たのね。まぎらわしいタイミングだな。それにぜんぜん誘ってもらわなくていいから。なんかさ、ここまでタイミングを逸してしまうと、いまさらどんなツラして挨拶していいかわかんないだろ。
 こういう間の悪さって持って生まれたもので、、、 そんなもの持って生まれてくるのか知らないけど、、、 どうにもどんな態度を取っていいのか、何言えばいいのか考えれば考えるほど面倒くさくて、ことあるごとに避けてきた、、、 そして後回しにするほど面倒くさい度はアップしていく、、、
 だったら早めにすませとくって学習能力は持ち合わせてないから、いいかげん手詰まりになった時に、その時期はおとずれて、顔合わせするまでの時間のなんとイヤなこと。
 マサトは、、、 スタンドの従業員はみんな、永島さんをずいぶん慕っていて、いろんなエピソードを聞かせてくれるんだけど、それを聞けば聞くだけ、おれとは相性が良くないと思えて、おれはもともと親分肌とか、兄貴肌のタイプは苦手で、、、 じゃあどんなタイプなら好みなんだって、、、 おとこに興味はないな、、、
 面倒見がいいのは見ててもわかるけど、自分がなにか面倒を見てもらおうなんて気にもならないし、これだけ取り巻きがいるんだからそいつらとヨロシクやってりゃいいんじゃないかって、、、 単なるへそ曲がりなんだろうけど、、、 
 永島さんと二人でいるときは、何かと気遣って声をかけてくて、おれはそれに甘えていいのかどうかわからず、はい、ってそこそこの返事するぐらいだから、そこから話がひろがることもなく、、、 ひろげないようにしている、、、 ムリにでも仕事を見つけて、サッとその場を離れてしまう。
 近くに寄るだけでピリピリした電波で身体をおおわれるようで、おれが意識しすぎてるからなんだけど、普段から遠巻きにしているから、避けているように思われたらしく、余計にヨソヨソしくなっていった、、、 そうなるともうドロ沼、、、 永島さんには彼女さんが最後の手札なんだ。
 だけど何かがかみ合わない。かみ合わないと初めからやり直さなきゃ、二度ともとには戻れないようで、そんなこといちいちやってられるほど人生は長くない。だからおれたちは急ぎ足で楽な方を選んでいくんだ、、、 行きつく先は一緒なはずなのに、、、
 おれは仕上げ拭きをしなきゃいけないのを口実に、、、 ツヨシと遊んでたから、予想以上に時間を喰っちまった、、、 午前中に仕上げなきゃいけないのは事実で、オチアイさんに迷惑もかけられないとか、もっともらしいこと言っちゃって、マサトを追い返すのに必死になっていた。
「ふーん、終わったら、早く来いよ。クッキーなくなっちゃうぞ」
 オマエはなに食ったってうまいんだろ。子供のころウチに遊びに来るたびに、母親が出す、家族から不評で誰も食べなかった賞味期限切れの菓子を、おいしそうに喰うから重宝されていた、、、 マサトは我が家の残飯処理係りだったりする。
 永島先輩の彼女は、遠目からチラッと見ただけだったけど、たしかにキレイで、おれから見たら大人のオネエさんだ。傍から見ててもお似合いに見えるし、誰もが納得するようなカップルだ、、、 人間が小さいおれは、それが面白くないんだ、、、
 どちらかが美男か美女で、不釣り合いでも気に入らないし、それでいてお似合いでも気に入らないって、じゃあどうなればいいかだなんて、モテないおとこのヒガミ以外のなにものでもない、、、 おれと朝比奈なら、まさに不釣り合いもはなはだしいってのに、、、
 ふたりが仲むつまじい姿を見るのに抵抗を感じて、そんなありえない嫉妬心でも擁いているのか、それがまったくないとも言い切れず、そんないやな自分の一面があぶり出てくるから、ふたりには絡みたくないんだろうな。
 ただどうなんだろ、仲むつまじいのは男の側から見た目だけであって、彼女の献身に甘えているだけなら公平的な立場ではなく、おとこはその恩恵を受けているだけなんて、穿ってみたくもなる。
 乾いたムース革でくすみを拭きとりながら磨いていく。オーナーはワックスが嫌いらしく、年式相応にヤレた感じのボディでも、それなりにきれいに仕上がっていった。手磨きだけでもきれいになれば、やっぱり嬉しくなってきて、ハーッなんて息をかけてはキュッキュッと音を立ててムース革を滑らせると、どんどんきれいになっていくように見えるからハマってしまう、、、 細かい作業って、やり出すと止まらないんだよな。
「おいおい、それぐらいにしとけって。オマエのクセえ息まるけのクルマって知ったらオーナーに文句言われそうだ。もう切り上げて、おまえもキョーコさんのクッキーごちそうになってこい」
 オチアイさんは、おれの仕上げが終わる頃合を見計らって、ベンツを洗車しにやってきた。夏の陽の直射にあたらないように、作業場の手前に止めてあるベンツは、それだけでもおれの手がけたクルマとは待遇が違っていた。
 ホースを引き伸ばしてきて、車体全体に水をかけておき、キーを取り出し、イグニッションを回し、ワイパーを動かした。日本車にはないそのクルマ特有の、一点を中心に動き出す二本のワイパーが動くサマは、外国の映画で目にするような、椅子に深く座った女性が、組んだ脚を伸ばして組みなおすシーンを思い起こさせる。単なるワイパーなのに、クルマの一部分であるのに、優美であり、艶やかでもあった。
 オチアイさんは手馴れた動きで、車体の汚れを大まかに落としてから、細かな部分に手を入っていった。おれに休憩しろといいながら、そのまま見惚れているのを承知で、こうやってきれいにするんだと言わんばかりの動きで作業をしている。それはまさに技を目で見て盗めといったところか。
 これじゃあほんとに伝統技術を継承する師匠と弟子の関係じゃないか、、、 そこまで上達しようとは思わないけど、、、 おれはただ、どうすれば早く、きれいにできるのかといったところは知っておきたいだけで、、、 つまりは要領よくやりたいだけ。
 一通りの作業が終わると、オチアイさんは乾拭きの終わったベンツのボディに、やおらタオルを放る。するとどうだ、わずかばかりの摩擦も感じさせず、宙に浮いたかのようなタオルがボディを滑り出し地面に落下していった。ちょっとしたマジックを見た気分にもなる。
「どうだ、ホシノ。これがメルセデスのボディだ。そのクラウンと年式はそんなに変わらないけど、根本的にモノが違う。まあ、オレの腕もあるけどな」
 そりゃオチアイさんの腕も多少は影響してるとは思うけど、0が一桁違う理由はこんなところにもあったんだ、、、 おれにはクラウンだって高嶺の花すぎるけど。
「よう、ホシノ。オマエよ… 」
 おれが感心して見とれていると、オチアイさんはなんだか腹に含んだような様子で話し掛けてきた。普段見せない表情で何かを伝えようとしている。洗車のやりかたのノウハウでも教えてくれるのかと思ったけど、、、 どうやら違うようだ。