private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

第15章 9

2022-09-11 18:35:35 | 連続小説

「なあ、西野。オマエ、オレのマネージャーしてて楽しいか?」
 周りの様子を観察していた西野は、突然、思いもよらぬ言葉を安藤の口から聞きながらも、それがいつもの軽口ではないと承知したうえで椅子に座り直し身を寄せる。
「なにを考えているかと思えば、やはり、その類だったか。オマエも人並みの感受性は持っているみたいだな」
 感心したような面持ちでそう応える。そんな分析など不要と手を払う安藤。それを見て西野も二~三度うなずいて見せる。
「ふむ、そうだな。面白いかという問いの答えになるかどうかわからんが、オマエと仕事をするのは簡単ではない。と同時に創造的でもある。社長のオーダーに応え、それなりの結果を出してこれたのは、自分でも評価してもいいと思っている」
 今度は自分の手柄を称えだし安藤はしかめっ面をする。自分のペースで話しを進められることは稀であり、西野もつい余分な話しをして焦らしてしまう。
「まあ、そう急くな。私はな、会社にとって取り回しのいいドライバーになっていくほど、オマエが丸められていくのを見て少々気には病んでいたところだった」
 西野がこれだけ主体的に話しをできたのも、安藤は腕を組み、黙って聞きつづけていたからだ。そして、否定も肯定もせず、西野の顔を見つめるのみであった。まだなにか言い足りないことがあるのではないかと誘っている。
「オマエの走りを一番間近で見てきた私だが、 …このあいだは余りにも間近すぎたが… オマエには驚かされることばかりで、能力の底がどこまでなのか計り知れないほどだ。 …ということは、私はオマエの限界を引き出せていないともいえる」
 クルリとアタマを回し、天を見上げたところで動きを止める安藤。
「オレもな、自分の限界がどこにあるのか知りたいところだが、知ってしまえばもうその先に進めなくなるだけなんじゃないか。そんなものは周りのヤツらが勝手に楽しんでいればいい。問題はそれが自分から吐き出したのか、誰かに吐き出されたのか… 」
 思いもよらず核心をついてしまったのか、西野は動揺を隠すので必死だ。
「そうだな、ならばその見極めは私にさせてもらおうか。あの、オースチンはオマエの力を引き出してくれている。それほど、手が合うということなのだろう。 …が、ただ、オマエが言うように、それを見せることが必ずしも受給ドライバーに取って良いことではなく、望まれていることでもないはずだ」
 先回りをされたような回答に安藤は口を閉ざす。肘をついて親指で眉間をかく。
「ヤツは、オレに似ているんだ。言いたかねえが、オレの駆け出しの頃に …でもそうじゃなかった」
 そんな物言いが自分を年寄りくさく見せてしまうことに抵抗を感じながらも口をついた。
「相手を見て、闘いの仕方を変える。自分が楽しめる状況で走れるストーリーを組み立てていく。ただオレは10の力のヤツは9や8に落としたうえで叩き潰し、6や7のヤツは自分が7や8になるように手枷足枷をしてでも勝てる方法を考える。そういう闘いをしてやりがいを求めてきた。ヤツがオレと違うところは、10のヤツは、そのままに、6や7のヤツは10に引き上げて勝とうとしている。オレはいつまで経っても相手に合わせた走りをしようとしている。オレはもしかしたらヤツに、10まで引き上げられたうえでヤラレたのかもしれん」
 西野の怖れていた言葉が安藤から発せられた。そうであれば相手の方がうわてであると認めたことになる。いままでそんな弱気な言動してこなかった安藤らしからぬ言葉であった。
 オーダーどおりの仕事ができなければ、責任を取らされるのは西野も同じか、却って分が悪いだろう。もし安藤の気が引けているなら、ケツを叩いてでも来週の走りにつなげなければならない。突然の言葉に西野にはその準備ができていなかった。
「えらく殊勝じゃないか。まさか手に負えないと尻尾を巻いて引き上げるわけじゃないだろうな」
 あえて怒りを湧かせるように、冗談交じりで言って安藤の動向をうかがう。
 口をへの字に曲げて首を振ると、安藤は残りの食事に手をつけはじめた。いつものように食べながら喋りはしなくとも野性的な食べ方には戻っていた。
 隣に座った新規客のテーブルにオーダーした料理が運ばれていた。料理を運んでくるのは大柄な男で、女性がそれを配膳している。その最中にレースの話題を女性が興味深く質問しているのに、男の方は手がすくとサッサと厨房に引き返していく。西野が何度も見た光景だった。
 その話の内容といえばロータスはまだ本気で走っているわけでなく、様子見であったにもかかわらず追いついてくるドライバーがいなくて拍子抜けしているとか。オースチンのドライバーはここの伝説のドライバーの息子で、今日の日のために英才教育を受け、満を持していたとか。あげく、来週は両者のリベンジマッチでレースの最後にふたりだけで闘走するなどと、まことしやかに話されていた。
 西野は苦笑いと共に首をひねる。世の中というものは、半分以上がデマで出来上がっているのではないかと、本気でそう思えてくる。その本気で走っていないと思われているドライバーはこうして相手に手を焼いて、どうするべきかと考えあぐねているというのに。
「へっ、だとよ、オレが尻尾巻いたら、リベンジマッチができなくなるな。あんなふうにいろいろと言われているが、その実、誰かが仕組んだシナリオの上で、オレ達はそうやって後戻りできなくなっていく。やってやるだの、やりかえすだのアツくなって、表面上では景気のいい言葉を言っているオレ達は、ただ権力者の金儲けの材料になっているだけだ」
 その点においても安藤が闘いに集中できない要因となっているのか、今回のミッションにおいて、やり遂げた後の自分の身の振り方に未来が見えず、受給ドライバーとしての限界を感じているようであった。
「どうだろう、安藤… 」そう西野は切り出した。安藤は手にしたフォークを止める。
「もし、オマエが今後のことに不安を感じているなら、そこを充分に補ってこれなかった私のせいだ。申し訳ない。今回の件が次への段階へつながると思って私も楽しみにしていたし、あのオースチンの出現もオマエに火を注いでくれると楽しみにしていた。どうもそれほど簡単ではなかったようだな」
「オースチンのヤロウは間違いなく本物だ。オレが初めて目にする、闘い甲斐があるドライバーだ。オマエからもらった事前のタイムリストを見て、少し気を抜がぬけていたところだ。あんなオイシイドライバーがいるなら、早く教えて欲しかったぜ。それともウワサの通り秘蔵っ子ってことか?」
「さあな、あの出臼のうろたえようを見る限り、そうではないと思うが、それこそ馬庭社長の隠し玉ってことなら十分あり得るだろう」
 口にしたステーキの味が悪いわけでも無かろうに、安藤は苦虫を噛んだような顔になる。ウラでうごめく意図ある者たちのシナリオが、この先どのようになっているのか腹立たしさがこみ上げる。
「どうかしたか?」
「どうもな、合わせ鏡を見せられたようで、どうしても年老いた自分が目についちまう。西野よ、そんなに心配しなくても大丈夫だ。オレはまだ闘えるし、やる気もある。さっきはあんなこと言ったがな、オレみたいなヤツは、自分の能力を食い扶持につなげるアタマがない。好きなことをして、飯を食わせてもらっているんだ。そこに文句があるわけじゃい」
 本心を隠して穏便に済ませようとする安藤に西野は気づかず安堵しながらも、こちらもそれを表には出さず、神妙にうなずいて見せる。ここは安藤の言い分を聞いてやる必要があると口を閉ざしたままだ。
「だがな、出来上がったストーリーに乗っかるだけじゃねえってことだ。さらに面白くしてやらなきゃオレを使うイミがないだろ。誰にとって面白くなるのかは神のみぞ知るってっか。ウエヘヘっ」
 どうやら大丈夫と踏んだ西野は、ここぞとたたみかける。
「私はこういう考え方もできると思うんだが。オマエがヤツに引き出されと思っているが、ヤツだって同じかもしれん… いや、オマエ以上に衝撃を受けている可能性もある。オマエだって十分成長しているし、ヤツにとっての脅威になっているはずだ。だからこそ最後にコースアウトしたともいえる。なにもオマエだけその部分を卑下することはない」
「へっ、やけに優しいじゃねえか。いいほうに捉えれば、そう考えることもできるってか。お互い腹の探り合いしてりゃ世話ないな」
 西野は何度も首をタテに振り、肯定を強調する。整いだした言葉を口にする。
「少しづつだが、オマエは私の手法を覚え、自分で実践できるようになってきた。それも、ハードルを上げながら、自分の力の出しどころを制御できるようになっていった。ところが、今回、どうもそれが上手くいかない。どうしても後手にまわってしまい、思ったとおりの結果が出ない。オースチンのヤツに比べて自分が劣っているのか、能力の出しどころの配分が上手くいっていないのか、はたまたこれまでのやり方があだとなり、油が回っていないのか。それを認めるわけにはいかないだろうが結果がそれを悠然と物語っている。ヤツぐらいの若さであればレースをやってる最中でも成長することがある。オマエだって経験があるだろ。やはりそこは培った経験を活かす立場にあるということじゃないか。それを知れただけでも今回のことは無駄じゃなかったはずだ」
 安藤は西野の手法からコツを掴み、器用に立ち回るようにもなってきた。それが自分でも正しいことなのかどうか、疑問に思えてきたからこそ、西野を揺さぶってきたのだろう。
 本能や素質だけで走っているうちは、本物ではない。レースへの入り方を考え、流れを読み、勝負どころを知り、確実に勝利を手にする。大局を見据えた戦略と戦術を考える頭を持ってこそ、初めて一流といわれるドライバーになりえる。
「バーカ。それだけで終われるかい。見くびるなって」
 たしかに、半分以上は安藤に言わされた言葉だったかもしれない。これまでも考えてはいたものの、決して肯定できなかった。それでもなお、口をついて出てしまったのは、どこかに何が真実であるかを、決めかねていたからだ。
 西野のやりかたは特別ではなく、規格であり規制のうえでの論理的思考だ。確率と定型、それらをつきつめて合理的な手段でレースに臨み、勝利する。そのやりかたで、これまで成果を上げているからこそ、余計にこれが正道なのか疑問に感じていた。
「わかっている。なにもオマエが成長しないとは思っていない。ただ、若さに任せて突っ走るだけでなく、そこに老練な匠の技を織り交ぜていける年齢になったということだ。それを受け入れられないヤツはそこまでの資質だということだ」
 だが、安藤を見ていると、それだけが最終的な到達点ではないように思えてくる。生まれ持った才能を最大限に活かすことを突き詰めるのが、どれほど大変なことなのか。
 多くの活かしきれていない人間を目にしていれば、おのずとわかることで。ならばなぜ、そうやって尖った才覚を丸め込もうとするかといえば、尋常な人の手では扱いきれない怪物を排出しないためであろう。
 それでは管理されたライオンを手なずけて観客が喜ぶショーを見せているのと、なんら変わらない。野生のライオンが自由に野原を駆け巡り、狩猟をしているところこそ、本来見てみたいシーンではないのだろうかという懸念は拭い去れない。
 おのれの力を最大限まで発揮できる自信と自覚、それらを兼ね備えている男が、もう一歩踏み出そうとするのをためらわせることが、西野には正しいとは思えなかった。
 もしこれで、西野の考えうる規格を越える能力が開花するなら、目にしてみたいと思うのが本心だ。もちろん、それはあのオースチンの若造にも同じことがいえるのだろう。
 彼等に見えて、西野には見えないもの、すべてはその定義を受け入れるところからはじまる。いまの西野は安藤がその領域で最大限の力を発揮できるように、効率的な力の再配分を行わせているだけで、自分が直接手をくだしているわけではい。それを認めたくはないが、どうしてもその領域に踏み込むことはできず、安藤づたいに時折、垣間みているにすぎない。
 オースチンの若造は違った、いきなり安藤と会話をはじめふたりでどこかに行ってしまった。あの時、西野は得も知れぬ孤独感を味わうことになる。これまでに感じなかった失望。それがどこかで薄々は気付いていた現実。
 それを目の当たりにしたとき一種の嫉妬心を覚え、あえて自分を笑ってしまった。どれだけ知恵をしぼろうと、怪物ドライバーを手なずけようと、やはり自分は市井の人間で、一つ下の領域でしか息をさせてもらえないことを思い知らされた。
 ならば本能に任せたこのふたりがいったいどこまで上り詰めるのか、それによって自分の棲息地が変わるものなのか、西野が本当に見たいのはその最終的な結論なのだ。
 どんな結果になろうとも、たとえ勝負に負けたとしても記録として1位のリザルトを残せばいい。記憶はあいまいでいつかは忘れ去られても、記録は数字として永遠に残ることになる。
 サーキットにはいくつもの自然現象が起こるし、今回のようにクルマはいつでも壊れる可能性がある。自分がこれまでしてきたことを審議される立場になる西野は、最後は自分に言い聞かせるように繰り返していた。
――ようは、それでも勝てばいいだよ、勝てば。どんな手を遣っても… それで社長にも言い訳がたつ――
 本能で闘いをする者達は、思う存分その力を発揮し合えばいい。それで自分達の気が済むのならば誰にも止められないのだ。
 それをどこかの山道でやれば誰にも知り渡ることもなく、ましてや経済につながることはない。人が見たがるものを見たい場所で効果的に披露することでそこに金が落ちる。誰もがそのおこぼれにあずかって飯のネタとしている。
 それを思えば自らの生きざまをかけて、自分より速い者に勝ちたいと純粋な想いで闘おうとしている彼らが不憫にも見える西野であった。
「あとは自分で結論をだすことだな。私にはそこまでいう権利はない。だが、あえて、オマエの、いちファンとして言わせてもらえば、そろそろ出し切ってもいいんじゃないのか」
 トンボを捕まえるような仕草をしたあと安藤を指差す西野。安藤も一度目を閉じて、再び開くと右手でピストルサインを作り西野に突きつける。それは、「吐いた唾を飲み込むな」という意味が込められていた。