private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

 継続中、もしくは終わりのない繰り返し(駅までの経路3)

2024-11-17 18:24:06 | 連続小説

 アキは自分が何をしているのか、よくわからなくなっていた。その人と対面したとたん、言葉が出なくなってしまった。
 この人は反対側のドアまで押されて、カサを取れずに次の駅で仕方なく降りてしまったのだと思い、アキも降りる駅ではなかったのに、席を立ちカサを取って後を追いかけてきた。
 突発的にそうしなければならないと身体が動いた。カサを取り出すのは大変だった。すいませんと連呼して人をかき分けカサを掴み取り、再び反対側のドアまで進む。
 ちょっとっ!と迷惑そうに口に出す人。口に出さなくても険しい顔をする人。そんな人たちに降りますと、アタマを下げてかき分けていく。最後は吐き出されるようにしてホームに降り立った。
 電車を降りることが、こんなに大変なのかと身を持って知った。中には不憫そうな顔をして、道を譲ってくれた人もいた。どちらにせよ自分は異端であり、迷惑な存在であるのは間違いない。
 多勢に無勢で、常に多数派が正である空間がそこに創られていた。留まる人側が多ければ、降りる方が反抗分子であり、降りる側が多ければ留まっていては悪になる。
 大勢の側に付くことで権力を持ったような意識に支配され、弱者を下位に扱う。誰もがそんな認識を持たないままに、多数派に対して群集心理に飲み込まれていく。狭い車両の中で、そんな強権を発動している人達を見て、アキはどちらにも着きたくないと思うばかりだ。
「あのう、カサを取れずに、降りる羽目になったのかと、、 」
 ようやくアキは、恐る恐ではあるがそう口にできた。シンはそれまでの間、ずっとあっけにとられていた。
「あなた、あのカサを取って、わざわざ電車から降りて追いかけてきたのですか?」
 それ以外の選択肢はないはずなのに、シンは当たり前のことと思いながらも訊いてしまった。それは確認するというより、この人に自分のしたことを振り返って貰おうとするための言葉だった。
 忘れ物をわざわざ持ってきたといった尊大な態度でもなく、困っているひとを助けてあげようといった慈悲の態度でもなく、どちらかと言えば、何かの使命感に突き動かされているようにみえるのもしっくりこない。
 それだけシンにとっては考えられない行動であり、何か他の意図があるのではないかとの穿った勘ぐりも混じっていく。
「ええと、わたしが声かけたから、前の駅で降りられず、次の駅でカサも取れずに、仕方なく降りることになったと思い、それで、、」
 シンは目を閉じて首を振った。本心でここまでやれば称賛に値する。自分の所為にするにも程があり、これでは相手によっては逆手に取られかねない。
「あのう、ここまでしていただいて大変恐縮なんですが、コレはわたしのカサじゃないんです。最初に声を掛けられた時に、そのように伝えたつもりですが、分かりづらかったら申しわけありません」
 シンは苛立ってしまいそうな気持を抑えながら極力丁寧にそう言った。もしかしたら判断能力が低いとか、対話を潤滑にこなせない人なのかもしれない。
 この人の言葉を聞いて、またやってしまったとアキは肩をおとした。何時も良かれと思ってしたことが裏目に出てしまう。すぐに思い出されるのが、見知らぬ人を介抱しようとした時だ。
 通りを歩いていたら気分を悪そうにしている人が、ビルの壁に寄りかかっていた。まわりには人がおらず自分が何とかしないとと、思い切って声をかけた。
 その人はアキを見もせずに、ただ口元を抑えて、今にも崩れ落ちそうだった。近くで見ればやはり顔色も悪く、それなのにアキが声がけしても、その人は何の反応もしてくれず無言であった。
 言葉も発せず、反応もできないほど気分が悪いのか、ひとに自分の弱っている所を説明したくなく強がっているのか、アキの存在を消しているように見える。
 アキからしてみれば、自分が空気にでもなったような気になった。もしかしたら自分はまわりから見えておらず、この声は相手に届いていないのかもしれない。それならそのほうがアキにとっては気が楽だった。
 そう感じることはこれまでも何度もあった。そのくせ厄介事にはよく巻き込まれる。何か都合のいい時だけ、自分は他人に認識されるのだろうかとさえ思えてくる。
 だからといって、このまま置き去りにするわけにもいかない。自分から声をかけた手前では、人の道に反する。懲りずに何度も声をかけ続けても、相変わらず無視を決め込んだかのように、何の反応もなかった。
 その時、このビルの警備員と見られる人が寄ってきてくれた。ビルの中から自分たちの動向を目にして気になったのだろう。
 アキはこれまでの状況を説明した。警備員は何度かうなずいて、ビルの中に医務室が在るから、こちらへどうぞと、その人の肩に手をやった。その人は自ら歩き出し、警備員が寄り添って進んで行った。
 残されたアキは安心したとともに、釈然としない思いが残った。確かに自分は大丈夫かと訊くだけで、具体的な対応策を提示できなかった。しかし状況を言ってもらえれば、それに対処する手段を提案できたはずだ。
 まったく何も言ってもらえなければ、どうすることもできない。そう憤りながらも、果たしてそんな上手くこなせただろうかと懐疑的になる。
 結果だけみれば、自分など相手にせずに、このビルの警備員の助けを待ったことにより、間違いなくスムーズに事が運んだはずだ。
 自分ができたことなど、せいぜい救急車か、タクシーを呼ぶぐらいだ。あのひとはそういった大事になるのが嫌だったのかもしれない。
 自分なんかが首を突っ込んだところで、事態は何も好転しない。そんなことを見透かされているようだった。相手のためと思ってしていることも、実際には人を助けられない自分が嫌でしているだけなのかもしれない。
 折り返しの電車が到着するアナウンスが流れた。シンは良いタイミングと、では、失礼しますと話しを終わらせようとした。
 今回は会話になっただけマシだった。アキはそう思うことにして、念のために最後に確認を取ることにした。カサを少し上にして、露先の先端を包むプラスチックに引っ掛かったUSBメモリーを、シンの目の高さに運んだ。
「てっきり、コレはアナタが引っ掛けておいたと思ったものですから、、 」
 アキはカサを持ったまま、自分の想い違いを反省している。
 青ざめるのは今度はシンの番だった。見覚えのあるUSBが目の前にぶら下がっている。ポケットに手を突っ込むと、ハンカチしか入っておらず、今朝出かけに慌ててポケットに入れたはずのUSBがない。
 電車に乗った時には、すでにUSBの存在は忘れており、何度かハンカチを取り出した時に、一緒に引っかかって、外に出てしまったのだろう。
 これまでもそんな失敗は何度かしていた。無造作に後のポケットに入れた一万円札を、知らずに落としたときは、何度も通り道を往復して探したが見つからなかった。 
 今回はたまたまカサの露先に、USBのリングがうまいこと引っかかってくれたようだ。もしこのUSBを紛失していたら、半年間の実習の成果が水の泡となるところだった。
 大学と自宅のPCに、バックアップは取ってあるものの、最終データになっているか自信がない。それをイチから確認すれば相当な時間を要するだろう。
 大学と自宅でデータを行き来させているので、どちらが最新か分からなくなっている。どちらも一部が最新で、両方をつなぎ合わせて補修をしなければならない最悪の可能性もあった。
 いずれにせよ、このUSBだけが最新のデータで、それ以外はそうである担保は取れていない。資料と付け合わせて確認して、データを再構築していくには相当な時間と手間がかかり、想像するだけで背中に冷たい汗が流れる。
 先程まで邪険にしていたこの人が、救いの神にまで見えてくる。シンはカサの露先からUSBのみを取り去ろうとする。手が震えて一度ではうまくいかなかった。
「このカサはボクのではありませんが、このUSBはボクの物です。持ってきていいただき、ありがとうございました」
 そう言うのが精一杯だった。自分の自尊心を保つための、ギリギリの言いかただった。もっとオーバーに喜んでもいいい場面だったのに、相手の表情と経緯を考えると、とてもそんな気分にはなれなかった。
「ああ、そうなんですね。どうしましょう。コレ」
 シンにとってのUSBの価値を幾ばくかも感じられないアキにしてみれば、ポケットに収まってしまうUSBより、手持ち無沙汰になるカサの処遇のほうが心配だった。
 電車がホームに入ってくるのが見えた。シンはさすがに、このままこの人を放置して乗り込めなかった。カサを自分のではないと否定してことで、電車を降りられなかったのは自分のせいだ。
 さらに次の駅で引き返そうと降りた自分を追いかけて、あの状況でカサを、それもUSBを落とさずに持ってきてくれたことに、それなにり誠意を示したい。
 この人は、シンの冷ややかな対応に憮然とすることもなく、かといって恩着せがましくもなく、それどころか何か自信なさげにしている。
 それがここまでシンの対応を鈍らせていたのも事実で、もっと積極的に、明確に指摘してくれればこちらも適切な対応ができたのにと思うところはある。
 電車は乗降客の動きが途絶えドアを閉じた。シンはホームに立ったままだ。アキがぼんやりと首をかしげる。乗らなくて良いのかとばかりに。
 強気に出た時に失敗するパターンに陥ったシンは、謝罪の糸口が掴めない。せっかく大切な物を持ってきたのに、その態度はなんだと窘められたほうがまだ良かった。本心から謝罪して平謝りをすればスッキリするだろう。
 それなのに相変わらず、自分が悪いのではないかぐらいの態度を保ち続けられ、どうにもやりにくい。シンはカサを受け取った。
「このUSB、本当に大切な物だったんです。無くしたら取り返しがつかなくなるぐらいに」
 そこまで相手に付け込まれるような、自分の弱みを伝えて良かったのか、迷うところではあった。それなのに自分の今の立場を考えると、どうしてもへりくだってしまう。
 そして相手の表情を見ると、だからといって何かを要求してくるタイプには見えなかった。どちらかと言えば親身になって話しを聞いていてくれている。シンは自分の目利きに自信はないくせに、今回は変に確信をしている。
「このカサは、ボクがこれから忘れ物として、駅室に届けてきます。どうぞご心配なく」
 アキは申し訳ない思いでいっぱいだった。自分の伝え方が悪かったために、電車から降りられず、こうして忘れ物を渡すにも、段取り良くできていれば、折り返しの電車にも間に合っただろう。
 それなのに言葉はもどかしく、要領を得ないためにこの人を引き止めてしまった。あまつさえ、この忘れ物のカサの処遇までも任せよとしている。
「あっ、いえ、これはわたしが、、」
 後先を考えずに、つい口に出してしまった。これ以上この人の時間を奪ってはいけない思いが前面に出ていた。ムリなことではない。カサを届けるぐらいなら多分できるはずだ。
 ふたりでカサを握り、食事のあとの支払いを主張し合う人たちのようになっていた。そしてふたりは譲りあうようにして同時にカサを手放した。カサはふたりのあいだに落ちて慌てて拾おうと手を伸ばす。
 同調した動きを続けたふたりは、なんだか照れくさくなってしまい。無言でアタマを下げ合った。そのあとはシンの動きの方が機敏で、カサを持ってそれではと、スタスタと行ってしまった。アキがその後ろ姿を見送っていた。