しろいはね くろいはね

感情解放、ヒーリング、意識の目覚めをキーワードに日々の気づきを綴っていきます

感情についてのある気づき

2018年01月09日 07時00分00秒 | 日記

今年は年始から憎しみのテーマに向き合って
いますが、引き続きセルフワークをしてみました。

前日のワークでもまだ体の奥に重たく
くすぶっているエネルギーを感じたので、
見ていくとやっぱりそれは憎しみでした。

それにしてもなかなか完了しません。
こういうときは、これを抱え込んでいること
へのメリットがあります。

憎しみを手放すことが都合が悪いわけですね。

なぜ都合が悪いのか?
もしそれを手放してしまったとしたら、
私はどうなるのか?

これを問うていきます。

もし憎しみを手放したら、
私は崩れ落ちてバラバラになってしまう。

そんな答えが浮かんできました。

なるほど。憎しみで自分を支えている
わけですね。

年始のワークで出てきた妻子を殺された武人の
過去世でも、憎しみで自分を支えていました。
その構造が残っているわけです。

憎しみで自分を支えなかったとしたら、
本当に私はバラバラになってしまうのか?
どんな風に崩れ落ちるというのか?

さらに問うていきます。

頭が真っ白になって呆けたようになってしまう
というイメージも湧いてきて、これは自分の体
から意識が抜けてしまっている状態でしょう。

もし意識が体にとどまっているとしたら、
自身の内のブラックホールのような虚無に
飲み込まれてしまいそうな気もしました。

つまりは、そうならないように、
私は憎しみで自分をかろうじて支えている
わけですね。

では、ブラックホールのような虚無を
この体と心で受け止めることができるのか?
と問うてみると、

全くできないわけでもないかもね、
という気がしたので、できるところまで
やってみることにしました。

まるで胸に憎しみという杭を打ち込むようにして
抑えているエネルギーを、そ~っと解き放って
いきます。

すると、でてきたのは虚無というよりは
物理的に胸が痛くなるような悲しみでした。

憎しみの前には悲しみがあったのに、
ちゃんと悲しむことができないまま、
憎しみでフタをしていたんですね。

ナイフで心臓をえぐられるような
気持ちの悪い感覚と痛みも、

本当に死んでしまうわけではないので、
まぁ落ち着いてやれば
そこそこ受け止められます。

いったん感情のエネルギーを見つけて
しっかりそれに触れていられれば、
あとは感情のエネルギーが出たいように
出させてあげればいいのです。

解放しようとあれこれする必要は
本当は無いんです。

逆に、解放しようと頑張る方が、
解放を妨げてしまうこともよくあります。
微妙に、消えてなくなれ~!っていう
拒絶の思いが入るからですね。

しばらくそんな風にして悲しみを
受け止めていくと、大分胸の痛みも
楽になってきました。

けれど、どこか自分でこれを
完全に手放そうとしていない感じが
していました。

辛いのに持っていたい、って
人間はつくづく複雑な生き物ですね。

悲しみがなくなってしまったら、
私はどうなるんだろう?
と再び問うてみます。

すると、人間じゃなくなってしまう
という答えが出てきました。

ということは、
私は人間であるために悲しみを持っている
ってことになりますね。

そういえば、昔から私はどこかで
人間にならなくっちゃ!っていう思いを
ずっと持っていたような気がします。

女性らしくしなくっちゃ、とか
年相応に振る舞わなくちゃ、といった
ジェンダーの概念に近いような「人間」
のイメージがあって、

どうにかしてそれに近づけるように、
人工的にインプットしてきたプログラム
みたいな感触があります。

でもよくよく考えてみれば、
そんな「人間」なんて、実はどこにも
存在していないのかもしれません。

私が師と仰ぐレナード・ジェイコブソンが、
「人類というのは概念だ」
と言うのと同じ意味で、やっぱり「人間」も
マインドにのみに存在する概念なのでしょう。

「人間」になるために、悲しみを自分に
埋め込んで、その上に様々な感情を重ねて
取り込んでいる感じがして、

もしこれがなくなったりしたら、
大きく心理構造が変化しそうです。

何だかよくわからないけれど、
そんな風に感じ取れました。

感情解放ワークを続けてきて、
初期のころに比べると、私の感情の質感は
かなり変質しています。

セルフワークの描写で結構ドロドロな
場面を書いていても、本人の感じ方は
多分みなさんが感じているほど、
重くはないんですね。

今回ここまで読み解いてきて、
これまで普通に何十年もそれを抱きながら
生きてきた感情に、人工的な違和感を感じた
ことは、大きな発見でした。

では、これを本当に手放してしまったら、
無感情になるのかというと、私にはもっと
別の予感がすでに胸の内で感じられます。

もっと神聖で、繊細で、クリアな
言いようもなく素晴らしい感覚で
人生を生きていくような気がするのです。

これをどう表現したらいいのかわからない
のですが、多分、こちらの方が存在本来の
自然な状態なんじゃないか、と思うのです。

感情についてはまだまだ考察は要りそうですが、
思わぬものが出てきました。

また気づきがあったら追記していきたい
と思います。




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