自分に向き合うということをしていて、
ハートの声を聞けるようになりたい
という人は多いけれど、
であるならば、
自分が今、ちゃんとハートに
触れられているのか、
その声を聞けているのかどうか、
わかるような在り方を
していなければなりません。
多分、とか、~ような気がします、
とかいうのは、
わかっていないわけです。
本当にできているなら、
出来ているときの感覚が
あるはずなんですね。
それが掴めていないから、
曖昧な判断しかできない。
瞑想会やセッションなどで、
その方のエネルギー状態を
リーディングしてお伝えすると、
ご本人の自覚では
最近は割と調子が良いと思ってました、
と言われていても、
エネルギーを見ると
ハートの声は聞いておらず、
頭だけで突っ走っているとか、
肝心のサインを受け取れていない等
ザラにあります。
そうしたところを指摘すると、
やっと自分の心の奥底に
置き去りにしてきた諸々の
未完了の感情が出てきたり、
上手に蓋をしたり見えないことに
していたものが出てきて、
その調子の良さが表面的なもの
であったことを自覚されるのです。
私は何も、わざわざあら捜しを
しているわけではありません。
ただ、あるものが見えていないよ、
見えていないというその在り様に
死角があり歪みがあり、逃避癖が
出ているよ、と言っているだけなのです。
死角は、人間ですから
どうしても0にはできません。
けれど、どういうところに
死角ができやすいのかを自覚して、
少なくしていくことはできます。
それだけの歪みを抱えながら、
調子が良いと感じてしまえる
ということ自体、かなり感覚が
麻痺している可能性があります。
ガチガチに肩凝りがあったり
無理に無理を重ねて体がボロボロなのに
自覚が無いのと似ていますね。
それでも、そこそこ
自分が調子が良いと思えるところで
バランスを取れて日常生活を送れるなら
それで良い、と思われる方なら
何ら問題は無いのだと思います。
要は、その方が人生に何を求めているか、
どこまで進みたいか、という
選択の問題です。
自分の心身にじっと向き合ってみて、
どこか心が晴れない、重い、
自分を生きていない感じがするなどの
感覚があるなら、
そこには見るべきものがある、
ということです。
それを、スルーして良いものと
認識するか否か、ということなんですね。
そうしたものに直面したときに、
ほとんどの人は途方に暮れて、
どうにもできないものだと
蓋をすることが多いのでしょうが、
誤魔化すことで良い方向に向かうことは
ないですよね。
だからこそ、
自分自身の声なき声に耳を傾け、
対話をし、実際に行動を通して
応答していくわけです。
すると、行動には必ず結果がついてきます。
その結果をしかと受け取って、
総括することです。
フィードバックを受け取ること自体が、
次のアクションへの導きになるからです。
人生との対話は、
このようにしてなされていきます。
行動の結果が自分の思った通りでないと、
失敗だった!と放り出して
閉じこもってしまう人が結構ありますが、
大事な次への鍵を捨てているようなもので、
もったいないですね。
痛い失敗だったとしても、
その痛みをちゃんと受け止めて、
自分の行動を見つめることで
大きく自身の器が育つのです。
失敗を失敗にしてしまうのは、
それが出来ない、自分自身の弱さ故。
その状態で何をしようとも、
その失敗を越えるような何かを
得ることは無いでしょう。
越えられなかった自分の弱さが、
何度でも差し戻されてくるからです。
失敗があったとしても、
少なくとも、その事実、その自分から
逃げないように。
逃げなかった自分は、
後にきっと自信となって、
あなた自身を支える力になります。
逃げている自分では誇りも自尊心も
持てないでしょう。
その自尊心の無さが、
生きる気力を奪っていくのです。
人生には、逃げてはいけない場面があります。
そこで踏みとどまれる人は、
自身の人生に誇りと自尊心を得るでしょう。
それを尊いと思える感性を持てるように。
ハートの声を聞けるようになりたい
という人は多いけれど、
であるならば、
自分が今、ちゃんとハートに
触れられているのか、
その声を聞けているのかどうか、
わかるような在り方を
していなければなりません。
多分、とか、~ような気がします、
とかいうのは、
わかっていないわけです。
本当にできているなら、
出来ているときの感覚が
あるはずなんですね。
それが掴めていないから、
曖昧な判断しかできない。
瞑想会やセッションなどで、
その方のエネルギー状態を
リーディングしてお伝えすると、
ご本人の自覚では
最近は割と調子が良いと思ってました、
と言われていても、
エネルギーを見ると
ハートの声は聞いておらず、
頭だけで突っ走っているとか、
肝心のサインを受け取れていない等
ザラにあります。
そうしたところを指摘すると、
やっと自分の心の奥底に
置き去りにしてきた諸々の
未完了の感情が出てきたり、
上手に蓋をしたり見えないことに
していたものが出てきて、
その調子の良さが表面的なもの
であったことを自覚されるのです。
私は何も、わざわざあら捜しを
しているわけではありません。
ただ、あるものが見えていないよ、
見えていないというその在り様に
死角があり歪みがあり、逃避癖が
出ているよ、と言っているだけなのです。
死角は、人間ですから
どうしても0にはできません。
けれど、どういうところに
死角ができやすいのかを自覚して、
少なくしていくことはできます。
それだけの歪みを抱えながら、
調子が良いと感じてしまえる
ということ自体、かなり感覚が
麻痺している可能性があります。
ガチガチに肩凝りがあったり
無理に無理を重ねて体がボロボロなのに
自覚が無いのと似ていますね。
それでも、そこそこ
自分が調子が良いと思えるところで
バランスを取れて日常生活を送れるなら
それで良い、と思われる方なら
何ら問題は無いのだと思います。
要は、その方が人生に何を求めているか、
どこまで進みたいか、という
選択の問題です。
自分の心身にじっと向き合ってみて、
どこか心が晴れない、重い、
自分を生きていない感じがするなどの
感覚があるなら、
そこには見るべきものがある、
ということです。
それを、スルーして良いものと
認識するか否か、ということなんですね。
そうしたものに直面したときに、
ほとんどの人は途方に暮れて、
どうにもできないものだと
蓋をすることが多いのでしょうが、
誤魔化すことで良い方向に向かうことは
ないですよね。
だからこそ、
自分自身の声なき声に耳を傾け、
対話をし、実際に行動を通して
応答していくわけです。
すると、行動には必ず結果がついてきます。
その結果をしかと受け取って、
総括することです。
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このようにしてなされていきます。
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それが出来ない、自分自身の弱さ故。
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何度でも差し戻されてくるからです。
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【お知らせ】*********
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●命の源につながる誘導瞑想
●満月のオンライン瞑想会
2024年
5月23日(木)19:00~22:00
6月22日(土)17:00~20:00
7月21日(日)17:00~20:00
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