様々な親子関係がありますが、
親が子の幸せを思い、
子が親の幸せを願うのは、
その形は違えど、いつの時代にもある
不変のテーマだと思います。
親子間の複雑かつ濃密な愛憎劇というのも、
断ち切ることのできない絆が
ベースにあるが故でしょう。
そうした複雑に、そして強烈に絡み合った
関係性を、どうしたら健全な姿に
建て直すことができるのか。
親離れ、子離れと言いますが、
離れ難く一体となって成長してきた
親として、子供としての自分を、
一度切り離して新たな関係性を築き、
絆をつなぎ直す作業が必要なのです。
けれど、
このプロセスがうまくいっていない
親子関係が少なくありません。
互いの成長の段階で、
もうそぐわなくなった絆の形に
固執するあまり、新たな形の絆を構築する
プロセスに進めず、
不健全な形でいびつに委縮している。
そんなケースをよく見かけます。
まさに、脱皮できないエビやカニ
みたいな感じでしょうか。
瀕死の苦しみにもがいている方も
ありますが、自身の生き辛さが
どこから来ているのか、
気付いていないケースもあります。
あるいは、
あまりにも互いに癒着しすぎてしまって、
離れることの恐ろしさに自立への勇気を
どうしても奮い立たせることが
できない方も。
もういい年なんだから、
という言葉は意味をなさず、
お子さんが居ても、40代50代になっても
共依存関係から抜けられない人もいます。
精神的な自立は、経済的自立とは
別の話で、自活していても、
親が子に過度な干渉を止められない
という話もよく聞きます。
この子には、私が居なければいけないのだ
という思いで自分を支えている親御さんは、
その支えを失うと、自身の存在意義が
根底から瓦解してしまうので、
自分がいなければ生きていけない子供で
いてもらわないと、自分が生きていけないのです。
一方、そういう親御さんに自分で立つ力を
奪われている人は、
親に支えてもらうことで
自分で立たなくて済むというメリットを
得るために、親の度の過ぎた要求も
飲まざるを得ません。
親の過干渉が苦しいと言いながら、
現在得ているメリットを手放す覚悟もないので、
自らまた苦しい親のコントロールという
檻の中に戻っていくのです。
けれど、
本当はそういう生き方以外の選択肢も
あるのですよね。自分で選んでいないだけです。
そう言うと、子供は
自分がいなかったら親がダメになってしまう、
と心配しますが、それは言い訳です。
自分が、間接的に親の自立を妨げている
加害者になっている、という事実にも
目を向けるべきです。
本当に互いを心から思いやり、
幸せを望んでいるというのなら、
そんないびつな姿にしてしまうことを
するでしょうか?
明らかに、それは愛ではありません。
愛は、馴れ合いとは違います。
時に、非情なまでに厳しい態度で
突き放さなければならない時があります。
やってくれない、受け入れてくれないから
愛されていないのだ、としか思えないのは、
自身の精神の幼さ故だということもあるのです。
共依存関係を断ち切るためには、
自身がその関係性から得ているメリットを
完全に手放さなければなりません。
その恩恵を享受しながら、
依存するのはやめてくれ、
とは言えないのです。
自分で立つ力を、自身の内から
奮い立たせなければなりません。
そして、自分の領域に侵入してくる
相手の干渉を、断固として、
決然とした態度で突き返さなければ
なりません。
自分は、自分の力で立つ。
もうあなたには頼らない。
あなたも自分の力で立つべきだ。
と宣言するのです。
どんなに泣き落としされても、
相手が打ちひしがれ、気が狂わんばかりに
狂乱しようとも、怯んではなりません。
恐らく、あなたはこれまで
何度も自立を試みたけれど、
その度にその脅しに屈してきた
のではないでしょうか。
相手が不幸なのは、
あなたのせいではありません。
その人自身の問題です。
相手は盛んに、お前のせいで!
と言ってくるかもしれませんが、
それは正しくないのです。
あなたは、相手の幸せに責任を持つ
ことはできません。あなたができるのは、
自分の幸せに責任を持つことだけです。
そして、相手もまた同じなのです。
あなたを揺さぶり、脅してくる相手は
どれだけパワフルでしょう。
それだけのパワーがその人にはあるのであり、
決して元々自分で立てないわけではないのです。
ただ、その人自身が選んでないだけです。
その選択に、あなたが自分の人生を歪めてまで
付き合うことはありません。
それでも敢えてやりたいのなら別ですが。
繰り返しますが、その選択は、
決して互いを高め合うことはありません。
ただ、互いを貪るいびつな餓鬼に
なり果てるだけです。
愛とは何なのか、
自分に勇気がないことの言い訳に、
大切な人を使ってはなりません。
自分の中の恐れに、
精一杯の力を振り絞って
対峙するのです。
そのとき、
あなたの人生は大きな転換点を越え、
相手との関係性も、愛に向かって
動き出すでしょう。
大切な人を、醜く歪めないように。
愛する人に、あなたの真の愛を差し出しましょう。
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親が子の幸せを思い、
子が親の幸せを願うのは、
その形は違えど、いつの時代にもある
不変のテーマだと思います。
親子間の複雑かつ濃密な愛憎劇というのも、
断ち切ることのできない絆が
ベースにあるが故でしょう。
そうした複雑に、そして強烈に絡み合った
関係性を、どうしたら健全な姿に
建て直すことができるのか。
親離れ、子離れと言いますが、
離れ難く一体となって成長してきた
親として、子供としての自分を、
一度切り離して新たな関係性を築き、
絆をつなぎ直す作業が必要なのです。
けれど、
このプロセスがうまくいっていない
親子関係が少なくありません。
互いの成長の段階で、
もうそぐわなくなった絆の形に
固執するあまり、新たな形の絆を構築する
プロセスに進めず、
不健全な形でいびつに委縮している。
そんなケースをよく見かけます。
まさに、脱皮できないエビやカニ
みたいな感じでしょうか。
瀕死の苦しみにもがいている方も
ありますが、自身の生き辛さが
どこから来ているのか、
気付いていないケースもあります。
あるいは、
あまりにも互いに癒着しすぎてしまって、
離れることの恐ろしさに自立への勇気を
どうしても奮い立たせることが
できない方も。
もういい年なんだから、
という言葉は意味をなさず、
お子さんが居ても、40代50代になっても
共依存関係から抜けられない人もいます。
精神的な自立は、経済的自立とは
別の話で、自活していても、
親が子に過度な干渉を止められない
という話もよく聞きます。
この子には、私が居なければいけないのだ
という思いで自分を支えている親御さんは、
その支えを失うと、自身の存在意義が
根底から瓦解してしまうので、
自分がいなければ生きていけない子供で
いてもらわないと、自分が生きていけないのです。
一方、そういう親御さんに自分で立つ力を
奪われている人は、
親に支えてもらうことで
自分で立たなくて済むというメリットを
得るために、親の度の過ぎた要求も
飲まざるを得ません。
親の過干渉が苦しいと言いながら、
現在得ているメリットを手放す覚悟もないので、
自らまた苦しい親のコントロールという
檻の中に戻っていくのです。
けれど、
本当はそういう生き方以外の選択肢も
あるのですよね。自分で選んでいないだけです。
そう言うと、子供は
自分がいなかったら親がダメになってしまう、
と心配しますが、それは言い訳です。
自分が、間接的に親の自立を妨げている
加害者になっている、という事実にも
目を向けるべきです。
本当に互いを心から思いやり、
幸せを望んでいるというのなら、
そんないびつな姿にしてしまうことを
するでしょうか?
明らかに、それは愛ではありません。
愛は、馴れ合いとは違います。
時に、非情なまでに厳しい態度で
突き放さなければならない時があります。
やってくれない、受け入れてくれないから
愛されていないのだ、としか思えないのは、
自身の精神の幼さ故だということもあるのです。
共依存関係を断ち切るためには、
自身がその関係性から得ているメリットを
完全に手放さなければなりません。
その恩恵を享受しながら、
依存するのはやめてくれ、
とは言えないのです。
自分で立つ力を、自身の内から
奮い立たせなければなりません。
そして、自分の領域に侵入してくる
相手の干渉を、断固として、
決然とした態度で突き返さなければ
なりません。
自分は、自分の力で立つ。
もうあなたには頼らない。
あなたも自分の力で立つべきだ。
と宣言するのです。
どんなに泣き落としされても、
相手が打ちひしがれ、気が狂わんばかりに
狂乱しようとも、怯んではなりません。
恐らく、あなたはこれまで
何度も自立を試みたけれど、
その度にその脅しに屈してきた
のではないでしょうか。
相手が不幸なのは、
あなたのせいではありません。
その人自身の問題です。
相手は盛んに、お前のせいで!
と言ってくるかもしれませんが、
それは正しくないのです。
あなたは、相手の幸せに責任を持つ
ことはできません。あなたができるのは、
自分の幸せに責任を持つことだけです。
そして、相手もまた同じなのです。
あなたを揺さぶり、脅してくる相手は
どれだけパワフルでしょう。
それだけのパワーがその人にはあるのであり、
決して元々自分で立てないわけではないのです。
ただ、その人自身が選んでないだけです。
その選択に、あなたが自分の人生を歪めてまで
付き合うことはありません。
それでも敢えてやりたいのなら別ですが。
繰り返しますが、その選択は、
決して互いを高め合うことはありません。
ただ、互いを貪るいびつな餓鬼に
なり果てるだけです。
愛とは何なのか、
自分に勇気がないことの言い訳に、
大切な人を使ってはなりません。
自分の中の恐れに、
精一杯の力を振り絞って
対峙するのです。
そのとき、
あなたの人生は大きな転換点を越え、
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