昨日は久しぶりにガネーシャギリ先生の
ヨガの全体クラスが再開され、
元気なみなさんのお顔を拝見できて
やっぱり対面はいいな~と
しみじみ感じました。(^^)
いつも、ヨガの前には埼玉の某神社に
参拝するのですが、以前より人は少なく、
ゆっくり参拝できました。
この日はとても暑かったので、
まだその暑さに慣れていない体には
こたえましたが、コロナ前の日常に
ちょっと近づけたような気がして、
嬉しかったです。
今日はこの参拝のときに、ちょっした出来事を
きっかけに浮上した感情について、
書いてみたいと思います。
いつも通り、敷地内にある摂社に参拝した後、
ここでは御神水が汲めるので、持参した
ペットボトルに汲んで、しばらく
友人たちとその場で談笑していました。
そこには、私たちが水を汲む前から
側の縁石に座り込んで、タオルで口を
ふさいでいる中年の女性が居ました。
この暑さで具合が悪くなったんだろうか?
と思ったので、「大丈夫ですか?」と
声をかけたら、
険しい口調で「マスクの替わりです!」
っていうようなことを言われたんですね。
そこで初めて、私はこの女性が
暑さで具合が悪くなったんじゃなくて、
側に来てここで談笑している私たちから
ウイルスをもらわないようにタオルで
口をふさいでいたんだと気づいたのです。
私はすごくびっくりしたのと同時に、
自分がバイ菌のように見られたという事実に
ショックだったのですが、
黙ってその場を立ち去りつつ、その女性への
怒りがむくむくと湧き上がってきました。
そんなに間近にいたわけじゃないし、
それにしてもひどいとか、
本当にそんなにウイルスが危険なら、
タオルを口に当てたくらいじゃ
防げないのにとか、
女性を責める思いがわ~っと
湧いてきました。
色々浄化の祓いなどやっても消えなかったので、
やっぱりワークしないとダメかぁと思いつつ、
掘り下げてみました。
女性を責めているのは、相手を下げることで
相対的に自分のポジションを上げ、
そのポジションの高低差に収まらない気持ちを
収めるという逃避行動の一種です。
要は、怒りから逃げようとしていたわけです。
そして、怒りは傷ついた気持ちの反応
として起こってきます。
つまり、怒りの下にあるのは、
自分がバイ菌のように見られたショックでした。
ここに気づいてショックをそのまま受け止めた
段階で、女性への怒りは消えていましたが、
ショックはジワ~っと継続して
心の中で痛みを放ち続けていました。
そこで今度は、女性の視点に入ってみて
私たちへの彼女の気持ちや思いを
読み取ってみました。
すると、
苛立ちと憎しみに近いような嫌悪感、
そして私たちを責める思い。
早く消えていなくなれ。
近寄るな。という思いを感じました。
この感覚をジ~っと感じていくと、
あぁ、確かに私の中にもこういう思いや
感情があるな、と思いました。
徹底的に相手を責めて、
正義は自分にあって、
相手は無知な馬鹿者で、
いつも被害を被るのは自分で、
世界はどうしようもないという苛立ちと怒り。
相手への刺すような憎しみのエネルギーが、
自分自身を痛めつけていることも
感じ取れました。
そんなにその状況が嫌なのなら、
女性はその場を離れることもできたはずです。
(何かの原因で動けなかったのかもしれませんが、
それなら声をかけることはできたでしょう)
諸々ある中で、結局女性は
自分でその憎しみを感じる状況を
選んで作り出していたのだな、
というのはわかりました。
この女性の怒りと苛立ち、憎しみを
しっかり受け止めていきます。
出来事は、ただのきっかけにすぎません。
元々その感情のエネルギーは自分の中にあって、
きっかけによって引き金を引かれて
浮上してきたにすぎません。
だから、その感情には
自分で責任を取るのです。
その不快な気持ちは、
誰のせいでもないのです。
ここをしっかり完了させると、
ゴリゴリに固まっていた
怒りや憎しみのエネルギーは
きれいに消えていきます。
そうして、その後から出てきたのは、
被害者意識から来る自分自身への憐れみと
自分を傷つける世界への恐れでした。
恐れは、過去の痛みの記憶なので、
これらの痛みも完了させていきます。
それらを感じながら、
今の私は十分に受け止められるけれど、
当時の私は、感じないで封印することで
自分を守っていたのだな~というのが
よくわかりました。
そういう守りも、もう必要ないので
一つ一つの痛みを完了させていくと、
体のエネルギーは随分すっきりしました。
そこであの女性が座っていた場面に
戻ってみると、女性は柔らかな笑顔で
ゆったりとその場を立ち去っていく
ビジョンに変化しました。
最初に感じていた怒りやショックも、
もうありません。
ちょっとした出来事なのだけれど、
普段はなかなか浮上することのない
自分の中の未完了の感情をうまく
浮上させてくれた、良いきっかけでした。
日常のちょっとした出来事が
より自由な未来の自分への招待状なのだと
改めて感じた出来事でした。
【お知らせ】*********
セッションなどのお問合せはこちらからどうぞ
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やっぱり対面はいいな~と
しみじみ感じました。(^^)
いつも、ヨガの前には埼玉の某神社に
参拝するのですが、以前より人は少なく、
ゆっくり参拝できました。
この日はとても暑かったので、
まだその暑さに慣れていない体には
こたえましたが、コロナ前の日常に
ちょっと近づけたような気がして、
嬉しかったです。
今日はこの参拝のときに、ちょっした出来事を
きっかけに浮上した感情について、
書いてみたいと思います。
いつも通り、敷地内にある摂社に参拝した後、
ここでは御神水が汲めるので、持参した
ペットボトルに汲んで、しばらく
友人たちとその場で談笑していました。
そこには、私たちが水を汲む前から
側の縁石に座り込んで、タオルで口を
ふさいでいる中年の女性が居ました。
この暑さで具合が悪くなったんだろうか?
と思ったので、「大丈夫ですか?」と
声をかけたら、
険しい口調で「マスクの替わりです!」
っていうようなことを言われたんですね。
そこで初めて、私はこの女性が
暑さで具合が悪くなったんじゃなくて、
側に来てここで談笑している私たちから
ウイルスをもらわないようにタオルで
口をふさいでいたんだと気づいたのです。
私はすごくびっくりしたのと同時に、
自分がバイ菌のように見られたという事実に
ショックだったのですが、
黙ってその場を立ち去りつつ、その女性への
怒りがむくむくと湧き上がってきました。
そんなに間近にいたわけじゃないし、
それにしてもひどいとか、
本当にそんなにウイルスが危険なら、
タオルを口に当てたくらいじゃ
防げないのにとか、
女性を責める思いがわ~っと
湧いてきました。
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やっぱりワークしないとダメかぁと思いつつ、
掘り下げてみました。
女性を責めているのは、相手を下げることで
相対的に自分のポジションを上げ、
そのポジションの高低差に収まらない気持ちを
収めるという逃避行動の一種です。
要は、怒りから逃げようとしていたわけです。
そして、怒りは傷ついた気持ちの反応
として起こってきます。
つまり、怒りの下にあるのは、
自分がバイ菌のように見られたショックでした。
ここに気づいてショックをそのまま受け止めた
段階で、女性への怒りは消えていましたが、
ショックはジワ~っと継続して
心の中で痛みを放ち続けていました。
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私たちへの彼女の気持ちや思いを
読み取ってみました。
すると、
苛立ちと憎しみに近いような嫌悪感、
そして私たちを責める思い。
早く消えていなくなれ。
近寄るな。という思いを感じました。
この感覚をジ~っと感じていくと、
あぁ、確かに私の中にもこういう思いや
感情があるな、と思いました。
徹底的に相手を責めて、
正義は自分にあって、
相手は無知な馬鹿者で、
いつも被害を被るのは自分で、
世界はどうしようもないという苛立ちと怒り。
相手への刺すような憎しみのエネルギーが、
自分自身を痛めつけていることも
感じ取れました。
そんなにその状況が嫌なのなら、
女性はその場を離れることもできたはずです。
(何かの原因で動けなかったのかもしれませんが、
それなら声をかけることはできたでしょう)
諸々ある中で、結局女性は
自分でその憎しみを感じる状況を
選んで作り出していたのだな、
というのはわかりました。
この女性の怒りと苛立ち、憎しみを
しっかり受け止めていきます。
出来事は、ただのきっかけにすぎません。
元々その感情のエネルギーは自分の中にあって、
きっかけによって引き金を引かれて
浮上してきたにすぎません。
だから、その感情には
自分で責任を取るのです。
その不快な気持ちは、
誰のせいでもないのです。
ここをしっかり完了させると、
ゴリゴリに固まっていた
怒りや憎しみのエネルギーは
きれいに消えていきます。
そうして、その後から出てきたのは、
被害者意識から来る自分自身への憐れみと
自分を傷つける世界への恐れでした。
恐れは、過去の痛みの記憶なので、
これらの痛みも完了させていきます。
それらを感じながら、
今の私は十分に受け止められるけれど、
当時の私は、感じないで封印することで
自分を守っていたのだな~というのが
よくわかりました。
そういう守りも、もう必要ないので
一つ一つの痛みを完了させていくと、
体のエネルギーは随分すっきりしました。
そこであの女性が座っていた場面に
戻ってみると、女性は柔らかな笑顔で
ゆったりとその場を立ち去っていく
ビジョンに変化しました。
最初に感じていた怒りやショックも、
もうありません。
ちょっとした出来事なのだけれど、
普段はなかなか浮上することのない
自分の中の未完了の感情をうまく
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より自由な未来の自分への招待状なのだと
改めて感じた出来事でした。
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