しろいはね くろいはね

感情解放、ヒーリング、意識の目覚めをキーワードに日々の気づきを綴っていきます

無料遠隔ヒーリング

2016年10月10日 07時00分00秒 | 日記

毎週月曜日は恒例の無料遠隔ヒーリングのテーマの設定日です。第309弾のご感想と、オリジナルヒーリングのご感想をホームページにアップしましたので、参考になさってみて下さい。

また、明後日12日の感情解放ワークショップはまだお席はございますので、ご検討中の方はぜひどうぞ。

さて。昨日は仕事が一段落した夕方、近くの木場公園まで散歩に行ってきました。雨上がりの空がとても美しかったです。

 昨日は、前日のアクシデントの動揺を引きずりながらも今できることに集中し、夜には何とか穏やかな気持ちが戻ってきました。

これも、母が側で明るく、優しく接してくれたことが大きかったように思います。
もちろん、私自身の7年の積み重ねもきっとあるはず!と言っておきましょう。(^^)

そうして夕方、公園を歩きながら、この出来事の意味を考えていました。

不思議と、悲愴さは全くないんですね。ある部分で、さっぱりしている自分もいます。

考えてみれば、今の私と古いブログのバイブレーションには、かなりギャップがありました。これをそのまま続けるのは、難しかったのでしょう。

小手先でいろいろ変えても、古い形式の型はどうやっても残ってしまったでしょうから、やはり0にする必要があったのだと思います。

そんなことを思ったとき、樹勢が弱くなった樹のたとえが思い浮かびました。

いくら枝を整理したり肥料をやったりしても回復しない樹は、できるだけ根元の方から切ってあげると、切り株の脇から新たな芽が出再生することがあります。

根っこは同じだけれど、その樹は古い幹を捨てることによって、また新たな命を得るのです。

このとき、中途半端なところから切っても根元から出てくる芽の生命力には及びません。上に伸びた部分はほぼ捨てて、根に余計な負担をかけないようにするのが良いのですね。

同じ様に、私はブログの蓄積を捨てることで、新たな命を得たのです。

人は時々、長く続いた関係や大切に持ち続けていたものを失うといった体験をします。失った本人にとってはとてもショックでしょうが、魂レベルから見ると、それは新たな命を宿した瞬間だとも言えます。

もちろん、その出来事によって噴き上がる気持ちの数々を処理していくのは、簡単ではないかもしれません。

けれど、その出来事をどう受け取るかで、新たに生まれ出ようとする可能性を生かすか、自ら負の感情に溺れ、機会を無駄にしてしまうか道が分かれます。

すべては自分次第です。

起こった出来事が最善であると信じるには、自分でそれを「最善の出来事にする努力」が必要です。

「高い学費を払ったと思えばいい」とよく言いますが、どうせなら「これだけのことを学べたのだから、むしろ安いくらいだ」と思えるくらい、元を取りましょう。

今、この状況で私が気づいたのは、この7年で培った根が、確かに私の中で育っていたということでした。

形あるものは消えてしまいましたが、この根は誰にも奪われることは無く、また消えることのないものです。

これがある限り、私は何度でも再生できるでしょうし、さらに磨いていくことができます。

「天に宝を積みなさい」と言われますが、自分の中に、決して奪われることのない宝を育てていきましょう。それが、いつどんなときもあなたを支えます。

というわけで今週のテーマはこちら。

悲劇と思える出来事の中の学びを消化する力を得るよう、最高最善に働きかける

参加される方は、「無料遠隔ヒーリングの受け方」ご覧になり、ご理解のうえ10月12日(水)17:00までにメールフォームにてお申し込み下さい。同日20:00より順次働きかけを行っていきます。

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