在り方、在り方、在り方、と
ここのところずっと考えています。
振り返れば、もう随分前から
お知らせは来ていたのでした。
気づいていなかったわけではなかったけれど、
自分の今の在り方のどこをどう
変えたらいいのか、
ピンと来ていませんでした。
そこそこ意識している、
と思っていたからですね。
出来ている、やっていると思ってしまうと、
人間というのはそれ以上を見ようとは
しなくなります。
思うような結果が出なくても、
やっているのになんで?
となってしまうんですね。
そのポジションからは、
もはや正解には辿り着けません。
結果が出ないということは、
結果を出すための最低限のことを
やっていない、できていないという
明確な回答なのです。
それを認めることが出来ない、
というか、それ以前に、
理解できない、見えないわけです。
これが、正解を得られない在り方
ということです。
その認識をしっかり持ったうえで、
では正解を得る在り方とは何か?
という次なる命題がやっと出てきます。
あまりにも、ボヤボヤしすぎている。
まるでわかっていない。
どうしようもないほど、鈍すぎる。
深い眠りの中で、まどろんでいる。
情けない自分の姿が次々に見えてきます。
こんなに私、ひどかったのか!?
と思うほどに。
こんな自分で、
できている、やっていると思っていたなんて、
ホントにどうかしてますね。
自分が本当のところ、
何を望み、何を望んでいないのかが
わかっていない、というのは、
致命的です。
セッションでも、こういうところの
認識のズレを炙り出し、
改めて自分自身の在り方を決める、
ということをするのですが、
そのときに、
本当に自分自身に向き合って
自分の人生に対する決定を下すのは、
本人以外にはあり得ません。
頭だけ、口先だけで決めても
無意味です。
自分が今、本当に
自身に向き合えているのかいないのか、
それすらもわからない人も
少なく無いのですが、
それがわかる在り方で居る、というのが、
実は最低限のスタートラインです。
自分の人生を生きたい、
自分自身の手に人生を取り戻すのだ、
自立したい、というのなら、
それはわからなくてはなりません。
師から、「あなたは準備ができていない」
と言われた時、私はそれが
全くわかっていませんでした。
こんなに努力しているのになぜ?
と思っていましたし、
ここまでやってダメなら、
私には無理なんだろうとすら
思いました。
そもそも、私はそれを、
やろうともしていなかったのだ、
ということがわかってきたのは、
ごく最近のことです。
頭と言うのは、
こういう錯覚をしばしば起こします。
だから厄介なんですね。
本当に真剣勝負の世界で生きている人たちは、
力量もさることながら、こうした
人の在り方を瞬時に見て取ります。
そして、何も言わない。
こいつはここまで、というのも、
少しは見る目があるかな、というのも、
そこから本人がどうするかは
本人が決めることで、
外野がとやかくいうことじゃない。
それを言ったところで、
できるようになるわけじゃないし、
言わなきゃわからないようじゃ
ものにならない。
だから言わないのです。
けれども、
言わないから何も見ていないかというと、
決してそんなことはなく、
びっくりするほど深いところを
鋭く見ています。
たまに、厳しい修行をされた
お坊さんの本などを拝見すると、
命がけで修業されている人たちの
ものすごく奥深い洞察力、観察眼に
感嘆することがあります。
ボヤボヤ生きている私なんかからすると、
本当に別次元の在り様ですね。
見てわからなければそれまで。
わかるような努力をしないならそれまで。
別に励ましもしないし、褒めもしない。
なぜなら、本人が自分で選んだ道だから。
それ以上でも以下でもなく、
誰が強制しているわけでもないのです。
こういう意識、
前時代的だとも言えるのでしょうが、
ものになる人というのは、どんな世界でも
そういうものではないかな、
と個人的には思います。
今の時代は、
教えること、教えられることが
ある意味、サービスの感覚で消費される
ようなところがあります。
サービスされたものと、
自ら学び取っていったものとの違い
くらいはわかる見識を持っていたいものだ
と思いました。
ここのところずっと考えています。
振り返れば、もう随分前から
お知らせは来ていたのでした。
気づいていなかったわけではなかったけれど、
自分の今の在り方のどこをどう
変えたらいいのか、
ピンと来ていませんでした。
そこそこ意識している、
と思っていたからですね。
出来ている、やっていると思ってしまうと、
人間というのはそれ以上を見ようとは
しなくなります。
思うような結果が出なくても、
やっているのになんで?
となってしまうんですね。
そのポジションからは、
もはや正解には辿り着けません。
結果が出ないということは、
結果を出すための最低限のことを
やっていない、できていないという
明確な回答なのです。
それを認めることが出来ない、
というか、それ以前に、
理解できない、見えないわけです。
これが、正解を得られない在り方
ということです。
その認識をしっかり持ったうえで、
では正解を得る在り方とは何か?
という次なる命題がやっと出てきます。
あまりにも、ボヤボヤしすぎている。
まるでわかっていない。
どうしようもないほど、鈍すぎる。
深い眠りの中で、まどろんでいる。
情けない自分の姿が次々に見えてきます。
こんなに私、ひどかったのか!?
と思うほどに。
こんな自分で、
できている、やっていると思っていたなんて、
ホントにどうかしてますね。
自分が本当のところ、
何を望み、何を望んでいないのかが
わかっていない、というのは、
致命的です。
セッションでも、こういうところの
認識のズレを炙り出し、
改めて自分自身の在り方を決める、
ということをするのですが、
そのときに、
本当に自分自身に向き合って
自分の人生に対する決定を下すのは、
本人以外にはあり得ません。
頭だけ、口先だけで決めても
無意味です。
自分が今、本当に
自身に向き合えているのかいないのか、
それすらもわからない人も
少なく無いのですが、
それがわかる在り方で居る、というのが、
実は最低限のスタートラインです。
自分の人生を生きたい、
自分自身の手に人生を取り戻すのだ、
自立したい、というのなら、
それはわからなくてはなりません。
師から、「あなたは準備ができていない」
と言われた時、私はそれが
全くわかっていませんでした。
こんなに努力しているのになぜ?
と思っていましたし、
ここまでやってダメなら、
私には無理なんだろうとすら
思いました。
そもそも、私はそれを、
やろうともしていなかったのだ、
ということがわかってきたのは、
ごく最近のことです。
頭と言うのは、
こういう錯覚をしばしば起こします。
だから厄介なんですね。
本当に真剣勝負の世界で生きている人たちは、
力量もさることながら、こうした
人の在り方を瞬時に見て取ります。
そして、何も言わない。
こいつはここまで、というのも、
少しは見る目があるかな、というのも、
そこから本人がどうするかは
本人が決めることで、
外野がとやかくいうことじゃない。
それを言ったところで、
できるようになるわけじゃないし、
言わなきゃわからないようじゃ
ものにならない。
だから言わないのです。
けれども、
言わないから何も見ていないかというと、
決してそんなことはなく、
びっくりするほど深いところを
鋭く見ています。
たまに、厳しい修行をされた
お坊さんの本などを拝見すると、
命がけで修業されている人たちの
ものすごく奥深い洞察力、観察眼に
感嘆することがあります。
ボヤボヤ生きている私なんかからすると、
本当に別次元の在り様ですね。
見てわからなければそれまで。
わかるような努力をしないならそれまで。
別に励ましもしないし、褒めもしない。
なぜなら、本人が自分で選んだ道だから。
それ以上でも以下でもなく、
誰が強制しているわけでもないのです。
こういう意識、
前時代的だとも言えるのでしょうが、
ものになる人というのは、どんな世界でも
そういうものではないかな、
と個人的には思います。
今の時代は、
教えること、教えられることが
ある意味、サービスの感覚で消費される
ようなところがあります。
サービスされたものと、
自ら学び取っていったものとの違い
くらいはわかる見識を持っていたいものだ
と思いました。
【お知らせ】*********
セッションなどのお問合せはこちらからどうぞ
⇒お申込みフォーム
●コロナお注射による副反応&シェディング対策エネルギーの公開(無料)
●命の源につながる誘導瞑想
●満月のオンライン瞑想会
2023年
4月6日(木) 19:00~22:00
5月6日(土) 17:00~20:00
6月4日(日) 17:00~20:00
●正味5時間の解放ワーク「1day集中ディープクリアセッション」
特典付き期間限定価格で対面・遠隔ともに受付中!
詳細はホームページをご覧ください
セッションなどのお問合せはこちらからどうぞ
⇒お申込みフォーム
●コロナお注射による副反応&シェディング対策エネルギーの公開(無料)
●命の源につながる誘導瞑想
●満月のオンライン瞑想会
2023年
4月6日(木) 19:00~22:00
5月6日(土) 17:00~20:00
6月4日(日) 17:00~20:00
●正味5時間の解放ワーク「1day集中ディープクリアセッション」
特典付き期間限定価格で対面・遠隔ともに受付中!
詳細はホームページをご覧ください
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます