私たちは、何か非常に困難な出来事に見舞われた時、
しばしば気持ちが混乱し、パニックのようになってしまって
我と自身の置かれた状況を見失ってしまうことがあります。
そして
「私は独りぼっちだ」
「誰も助けてくれない」
と思って、自ら自身の殻に引きこもってしまったりします。
けれど、本当のところ、私たちが独りぼっちになることは
あり得ません。
内なる神は私たちから離れることは決してありませんし、
それは不可能です。
そして、私たちは独りぼっちでこの非情な世界に
放り出されているわけではなく、片時も離れることなく
スピリットガイドさんがついています。
また、そうした目に見えない存在以外にも、
実は本人が気づいていないだけで、あなたを助けてあげたくて
どうやったら気付いてもらえるだろう?差し伸べた手を
受け取ってくれるだろうとヤキモキしている存在もいたりします。
こう書くと、そんな存在がいるなら早く助けてくれよ!
って思うかもしれませんが、それにはまずあなたが
「助けて!」って言う必要があるんですね。
そして、パニックになっているなら、その感情のエネルギーを
受け止めて、我を見失った状態から自分自身に戻って来れると
なおgoodです。
こうなると、目の前に助けの手があることに気づけるようになります。
けれど、意固地になっていたり、心が拗ねてしまっているときは、
目の前に助けがあったとしても、それを掴むことができませんね。
私自身にも経験があるので良く分かります。
地獄に居て、目の前に蜘蛛の糸が垂れてきても、
そのまま地獄で朽ち果てていく方を選んでしまう、
みたいな感じです。
心のエネルギーが空っぽで、糸を掴む力さえなかったんでしょうね。
今思うと、そんな状態の私にも、
慈しみ、温かく見守ってくれていた存在の眼差しが
常に注がれていたと気づきます。
当時はまったく絶望し切っていましたから、
そんなものはこれっぽっちも信じられませんでしたけれど。
独りぼっちだと思い込んでいたその状況が、
実はそうじゃなかったと気づくこと。
これが起こると、これまで信じていた世界は一瞬にして崩壊します。
世界は非情で常に無慈悲で私を虐げる。
決して私の存在を尊重し、人間として扱われることは無い。
周りは嫌な人ばかり。
そんな世界が、全然違っていたのだとしたら。
もし本当にそんな可能性がわずかでもあるとするのなら、
あなたはそれを知りたい。そんな可能性に気付きたい
と思うでしょうか。
今この瞬間に溢れる愛に気づく。
もし気づいてしまったら、あなたはどうなってしまうでしょうか。
喉から手が出るほど愛を求めながら、必死でもがき、
去っていくしかない幻想を追いかけて傷だらけになっているのに、
「あなたが求めているものは、今ここに在る」
というその言葉を信じてそこに目を向けることすらしない人は
少なくないのでしょう。
まるで、愛という幻想を追い求めること自体、
終わらせてしまうのを惜しんでいるかのように、
方向転換が難しいのです。
なぜなのでしょうか。
私たちは、愛を追い求めるのと同時に、圧倒的な愛、
決して去ることの無い愛に触れることを、
実はとても恐れている部分があるようです。
今までそんなものに触れたことがないから。
まるで想像もできない未知の領域なので、
自分がどうなってしまうか分からず、
戸惑っているのかもしれません。
ここでも私たちは、「未知の天国よりも、慣れ親しんだ地獄」を
選んでしまうのでしょう。
あらゆる心のわだかまりを捨てて、今ここに愛が溢れていることを
認めても良いでしょうか。
こんな世界に、こんな人の中に、こんなどうしようもない状況の中
でさえ、「愛に溢れている」ということを受け入れるのは、
相当な葛藤があるかもしれません。
無理やりに「その考えを自分にねじ込む」のではなく、
思い込みのヴェールをどうにかして外して、
それを見ようとしてみて下さい。
それに気づかせてほしいと、真摯に祈ってみて下さい。
世界は、本当は優しいんです。
あなたが演出した通りに、現れているだけですから。
今ここに溢れる愛に気づくことを、どうぞ自分に許してあげてください。
あなたの世界に、愛の光が満ちますように。
【イベント情報】*********
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2017年 9月6日(水)19:00~22:00
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2017年
8月31日(木)
9月9日(土)、13日(水)、22日(金)、30日(土)
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