2040年、日本は最貧国に転落する
〇 「植民地」という属国支配の構造
植民地とは、主として欧州各国が16世紀から20世紀にかけて、アジア、アフリカ、南アメリカの
国々を軍事的に征服したうえで、行っていた支配形態です。植民地支配がもっとも激しく進められたの
が、第一次大戦前後の時期で、20世紀初頭の頃には、ヨーロッパ系白人が地球上の土地の84%を支配
するに至ります。
その典型的な植民地の一つとして、ここでは「フィリピン」について少々解説しましょう。
フィリピンは16世紀にスペインに征服されて植民地化され、スペインにいいように使われ、搾取さ
れてい行きます。そして、19世紀末から20世紀中盤に「独立」するまで、今度はアメリカの植民地と
して同じように搾取されていました。
植民地には、一応は「国」が存在はしているのですが、その国は、支配者である「宗主国」の「属国」
となります。植民地となった国とは、主人=宗主国の奴隷となった国を意味します。奴隷ですから、
主人のいいように使われます。自分で何かを決める自由などなく、主人の道具という存在意義しか与え
られません。
(近未来では日本はアメリカや中国の植民地になると言いましたが、この「フィリピンに対する近代
におけるスペインやアメリカによる扱いを、そのまま日本が受けるのだ」というふうに認識されればと思います。)
〇 徴税システム、貨幣経済の導入でフィリピンは植民地化された
では、宗主国がどのように属国である植民地を利用し、搾取していくのかと言えば、それには主に以下
の三つの方法があります。
① 原料供給地(香料や金、銀などの原材料・資源を供給させる=奪い取る)
② 資本輸出地(資本輸出の輸出先にする。つまり鉄道・港等のインフラ投資や工場投資等を行い、
自国のものとして利用する)
③ 商品輸出地(貨幣経済を導入させたうえで、宗主国でつくったものを買わせる)
つまり、宗主国はまず、属国の中にある価値あるもの(香料や金、銀など)を奪い去ります。
もちろん、その採取や生産については原住民たちに強制させます。すなわち、原住民の「労働力」
を活用するわけです。これが「原料供給地」としての活用です。
もともとスペインは、「欧州で価値の高い『香料』がフィリピンにある」と見込んで植民地と
したのですが、この狙いははずれ、「あまり香料が取れない」ということがわかります。
ついてはスペインはこのフィリピンの地を交易の中継基地として活用していきます。当時、
アジアとの交易は、欧州の国々に巨万の富を与えたからです。19世紀にはマニラに大規模な港を
つくり、さらに交易を加速していきます。
さらにスペインは「プランテーション農場」をフィリピンの地に作り、欧米で高く売れるタバコ
やマニラ麻や砂糖等を、原住民を使って生産させていきます。
こうしてスペインは、港や農場という「資本」をフィリピンの地につくっていき、それを使って
ビジネスを展開し、カネ儲けをするようになっていったわけです。すなわち、スペインはフィリピ
ンを「資本輸出地」 として活用していき、自国ではできないビジネスを、フィリピンという植民
地の土地と原住民の労働力を使って低コストで展開していったのです。
以上が「原料供給地」と「資本輸出地」としての植民地活用のあらましですが、宗主国はこの
二つに加えて、もう一つ、重要な搾取アプローチを展開します。それが「商品輸出地」、あるいは
別の言い方をするなら「需要収奪地」としての活用です。ここまに述べたのは、宗主国による
植民地の「土地」「資源」「労働力」の搾取・収奪という話でした。
この商品輸出地としての活用は後に大きく目的が変更され、植民地での生産品を宗主国へ持ち込
むのではなく、宗主国の生産過剰品の販売先として植民地の人々に無理やり売りつけることになっ
ていった。
こうなると、以前は植民地において生産、消費をしているので、その国での農商工業は成り立っ
ていけてたのが、宗主国から商品が入ってくる(需要の収奪)と農商工業が致命的なダメージを受
けて潰れてしまうことになる。
つまり、需要の収奪はその国のすべての産業の崩壊をもたらすのですが、宗主国はそれほどまで
に恐ろしい「需要の収奪」を実現するために、属国に対して「貨幣」というものを持ち込んで、
それを軸とした「貨幣経済」をつくり上げることとしたのです。
そしてそのためにまず「徴税」という概念を属国に強制的に持ち込みます。つまり、原住民は
そこで生きているだけで、それまで見たこともない「オカネ」なるものを手に入れて、それを「お
上」(宗主国)に毎月毎月支払わないといけない」という状況を、宗主国側がつくり上げるわけで
す。そうすると、住民たちは必死になってオカネを稼ごうとして、同じく宗主国が経営する農場な
り工場なりで働いて、オカネを稼ごうとするようになります。こうして徴税という仕組みを使って
、原住民たちを「カネ儲けマシーン」に仕立て上げることを通して、資本主義における「労働者」
に仕立て上げるわけです。
それと同時に、モノやサービスを買うときにはオカネを使うように仕向け、「消費者」に仕立て
上げていきます。そういう制度設計アプローチを通して、その国の中に「貨幣経済」を作り上げて
いくわけです。
そのうえで、宗主国は自分の国でつくったさまざまな商品を、植民地の原住民に売り飛ばし、
原住民の需要を収奪していったわけです。それと同時に、先に述べた「資本輸出」で、現地に工場
や鉄道などをつくることで植民地に新たな需要を発生できます。
宗主国スペインは、こうして「徴税システムの導入」「貨幣経済の導入」という壮大な改革を敢
行したうえで、フィリピン人たちの「需要」を収奪すると同時に、新たな「投資需要」を生み出す
ことに成功したわけです。
なお、このフィリピン人たちへの需要収奪は、19世紀末にスペインの後にフィリピンの宗主国
となったアメリカが、特に強力に展開していった収奪方法でした。
・・・・ 続く
〇 「植民地」という属国支配の構造
植民地とは、主として欧州各国が16世紀から20世紀にかけて、アジア、アフリカ、南アメリカの
国々を軍事的に征服したうえで、行っていた支配形態です。植民地支配がもっとも激しく進められたの
が、第一次大戦前後の時期で、20世紀初頭の頃には、ヨーロッパ系白人が地球上の土地の84%を支配
するに至ります。
その典型的な植民地の一つとして、ここでは「フィリピン」について少々解説しましょう。
フィリピンは16世紀にスペインに征服されて植民地化され、スペインにいいように使われ、搾取さ
れてい行きます。そして、19世紀末から20世紀中盤に「独立」するまで、今度はアメリカの植民地と
して同じように搾取されていました。
植民地には、一応は「国」が存在はしているのですが、その国は、支配者である「宗主国」の「属国」
となります。植民地となった国とは、主人=宗主国の奴隷となった国を意味します。奴隷ですから、
主人のいいように使われます。自分で何かを決める自由などなく、主人の道具という存在意義しか与え
られません。
(近未来では日本はアメリカや中国の植民地になると言いましたが、この「フィリピンに対する近代
におけるスペインやアメリカによる扱いを、そのまま日本が受けるのだ」というふうに認識されればと思います。)
〇 徴税システム、貨幣経済の導入でフィリピンは植民地化された
では、宗主国がどのように属国である植民地を利用し、搾取していくのかと言えば、それには主に以下
の三つの方法があります。
① 原料供給地(香料や金、銀などの原材料・資源を供給させる=奪い取る)
② 資本輸出地(資本輸出の輸出先にする。つまり鉄道・港等のインフラ投資や工場投資等を行い、
自国のものとして利用する)
③ 商品輸出地(貨幣経済を導入させたうえで、宗主国でつくったものを買わせる)
つまり、宗主国はまず、属国の中にある価値あるもの(香料や金、銀など)を奪い去ります。
もちろん、その採取や生産については原住民たちに強制させます。すなわち、原住民の「労働力」
を活用するわけです。これが「原料供給地」としての活用です。
もともとスペインは、「欧州で価値の高い『香料』がフィリピンにある」と見込んで植民地と
したのですが、この狙いははずれ、「あまり香料が取れない」ということがわかります。
ついてはスペインはこのフィリピンの地を交易の中継基地として活用していきます。当時、
アジアとの交易は、欧州の国々に巨万の富を与えたからです。19世紀にはマニラに大規模な港を
つくり、さらに交易を加速していきます。
さらにスペインは「プランテーション農場」をフィリピンの地に作り、欧米で高く売れるタバコ
やマニラ麻や砂糖等を、原住民を使って生産させていきます。
こうしてスペインは、港や農場という「資本」をフィリピンの地につくっていき、それを使って
ビジネスを展開し、カネ儲けをするようになっていったわけです。すなわち、スペインはフィリピ
ンを「資本輸出地」 として活用していき、自国ではできないビジネスを、フィリピンという植民
地の土地と原住民の労働力を使って低コストで展開していったのです。
以上が「原料供給地」と「資本輸出地」としての植民地活用のあらましですが、宗主国はこの
二つに加えて、もう一つ、重要な搾取アプローチを展開します。それが「商品輸出地」、あるいは
別の言い方をするなら「需要収奪地」としての活用です。ここまに述べたのは、宗主国による
植民地の「土地」「資源」「労働力」の搾取・収奪という話でした。
この商品輸出地としての活用は後に大きく目的が変更され、植民地での生産品を宗主国へ持ち込
むのではなく、宗主国の生産過剰品の販売先として植民地の人々に無理やり売りつけることになっ
ていった。
こうなると、以前は植民地において生産、消費をしているので、その国での農商工業は成り立っ
ていけてたのが、宗主国から商品が入ってくる(需要の収奪)と農商工業が致命的なダメージを受
けて潰れてしまうことになる。
つまり、需要の収奪はその国のすべての産業の崩壊をもたらすのですが、宗主国はそれほどまで
に恐ろしい「需要の収奪」を実現するために、属国に対して「貨幣」というものを持ち込んで、
それを軸とした「貨幣経済」をつくり上げることとしたのです。
そしてそのためにまず「徴税」という概念を属国に強制的に持ち込みます。つまり、原住民は
そこで生きているだけで、それまで見たこともない「オカネ」なるものを手に入れて、それを「お
上」(宗主国)に毎月毎月支払わないといけない」という状況を、宗主国側がつくり上げるわけで
す。そうすると、住民たちは必死になってオカネを稼ごうとして、同じく宗主国が経営する農場な
り工場なりで働いて、オカネを稼ごうとするようになります。こうして徴税という仕組みを使って
、原住民たちを「カネ儲けマシーン」に仕立て上げることを通して、資本主義における「労働者」
に仕立て上げるわけです。
それと同時に、モノやサービスを買うときにはオカネを使うように仕向け、「消費者」に仕立て
上げていきます。そういう制度設計アプローチを通して、その国の中に「貨幣経済」を作り上げて
いくわけです。
そのうえで、宗主国は自分の国でつくったさまざまな商品を、植民地の原住民に売り飛ばし、
原住民の需要を収奪していったわけです。それと同時に、先に述べた「資本輸出」で、現地に工場
や鉄道などをつくることで植民地に新たな需要を発生できます。
宗主国スペインは、こうして「徴税システムの導入」「貨幣経済の導入」という壮大な改革を敢
行したうえで、フィリピン人たちの「需要」を収奪すると同時に、新たな「投資需要」を生み出す
ことに成功したわけです。
なお、このフィリピン人たちへの需要収奪は、19世紀末にスペインの後にフィリピンの宗主国
となったアメリカが、特に強力に展開していった収奪方法でした。
・・・・ 続く