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日本の活性化 投稿アップの一旦終了

2023-02-25 19:12:27 | 日記
日本の活性化についての内容も、其の11で一旦終了します。
 日本の活性化 其の1の本文より ――― 以降、日本の活性化 其の11迄、前述しま
した、髙橋洋一氏の「新・国債の真実」から何の付け足しもなく、私見もはさまず、一部内
容を割愛してアップしてきました。
 これで本の内容紹介も終わりますが、この本は今後の日本の景気浮沈の分岐点となるも
のと考えます。
 私自身、国債の発行経緯、国債の活用内容、また統合政府バランスシートでの資産・負債
各々での国債の利用状況など、初めて知る内容ばかりでした。
 国債について一言でいうと、現在は、「発行残高の量」、これに起因する「財政破綻論」や
「ハイパーインフレの発生」などの恐れは全くなく、もっと国債を発行して日本経済を活性
化させる必要がある
ということ
です。

 他方、消費税の導入から、緊縮財政、予算の不履行等々、財務省主導の経済運営が日本経
済の没落、インフラ整備の停滞、また正規雇用体制から派遣労働体制への変化の遠因をつく
り、少子化拡大(収入低下による未婚化拡大の結果)などになったと考える。

 現在は、「新・国債の真実」を理解している政治家が極めて少数で、財務省主導の現経済
運用体制を切り崩せないでいる状況だと考える。

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日本の活性化 其の11

2023-02-24 11:09:46 | 日記
教育国債は「将来へのツケ回し」ではない
 国債は「国の借金」に間違いないが、それは同時に「投資」でもある
 大事なのは、国債を売って集めたお金を、どう使うかだ。
 今の社会のため、未来の利益のためを考えて使うのが、国の責任である。だからこそ、まさ
に未来投資といえる教育国債は、我ながらいい提案だと思っていた。(2020年に廃止)
 ところが、国会で教育国債が話題に上がった時に、当時の麻生財務大臣が「赤字国債と何が
違うのか。次世代への先送りになる」として否定的な姿勢を示したことで、大きく話がずれて
しまった。
 この麻生大臣の意見は、「教育に投資しても、借金を将来に先送りするだけだ」ということ
だ。要するに、「教育には投資効果がない」といっているも同然ではないか。教育関係者は怒
っていいと思うが、どうだろうか。
 いっておくが、教育には投資効果がないというのは誤りである。「知識に投資することは、
つねに最大の利益をもたらす」とは、ベンジャミン・フランクリンの名言だが、
データ的にも、教育の投資効果は証明されている

 教育国債は、もちろん借金である。だが、何度もいうように高等教育を施せば、そこで得た
知識やスキルによって、将来の所得増、失業減が見込まれる。その結果、社会全体でかけた費
用に対する便益が2.4倍になるとの試算がある
のだ。
 これは、現在の公共事業採択基準を、軽く上回る。
 逆にいえば、「教育には投資効果がない」といってしまっては、すべての公共投資も、効果
がないことになってしまうのである。

結局、財務省は「負債が大きいから増税」といいたいだけ
 前述したように、「統合バランスシート」で考えれば、「日本の財政は火の車」というのは嘘
だとわかる。誰が見ても明らかなことなのに、あまり知られていないのは、財務省が「知られ
たくない」思っているからに他ならない。
 財務省は、国民の目が、「資産」に向くことを恐れているのだ。だから、天下り先への出資
金、貸付金は政府の巨額な資産の一部にもかかわらず、国債の残高ばかりを強調する。まして
や日銀のバランスシートを統合した「統合政府バランスシート」で考えるなど、彼らにとって
は、もってのほかだ。
 財政問題がないということが、一目でわかってしまうからだ

 財務省は、要するに「政府の負債が大きいから増税が必要」といいたいだけなのである。
これが、見解や考え方の相違などではなく、彼らが天下り先を確保するために、ひたすら自分
たちの権限を保ち、さらに増したいがゆえである
ことは、まえに説明したとおりだ。
 政府の負債を大きくしたい(見せたい)がために、財務省は通常の感覚からすると、ちょっ
と信じられないことまでしている。
 政府の予算には、いろいろな勘定科目がある。どんなことにお金を使うかを、分けておく。
これは当たり前である。「国債費」もその一つだ。国債を発行したことで、政府が払わなくて
はいけない費用を計上してある。これも当たり前のことだ。
 ところが、その国債費の内訳をみると、おかしなことがわかる。財務省ホームページに載っ
ている政府歳出の概要を見ると、なかには「国債費」とあり、内訳として「債務償還費」が計
上されているのが見て取れだろう。じつはこれがおかしいのである。
 債務償還費とは国債を償還するための基金を作って、そこにプールしておきますよ、という
ことだ。すべての借金には返済義務があるから、一見、もっともらしく思えるかもしれない。
 だが、ここでいままで話してきたことを思い出してほしい。すべての借金には返済義務があ
る。国債も同じだが、国債は金融取引には欠かせない。だから、民間金融機関にとって、国債
はつねにたくさんもっておきたい債券であり、国債の償還と同時に、また新たに国債を買うと
説明した。だから、償還はあまり気にする必要がない。という話だっただろう。要するに、「国
債を償還するお金をプールしておくための予算」など、そもそも計上する必要がない
のである。
 ちなみに、国債を償還するための基金とは、「減債基金」という。これは毎年国債残高の1.6%
を繰り入れ、60年かけて償還する「60年償還ルール」に基ずく。
 しかし、先進国では、「減債基金」は今や存在していない。「減債基金」が存在していないの
で、もちろん「60年償還ルール」もない。そして、「減債基金」がなくても先進国では全く困
っていない。日本だけが例外としてあるのだが、その理由は国債償還のためではなく、予算の
カサ増しのために他ならない

 国債費の内訳には、「利払い費等」もある。これも前に説明したように、日銀から国庫納付
金(日銀に入る国債の利子収入を国に納めるもの)と政府資産の利子収入で、大部分がまかな
えてしまうからだ。
 このように、財務省は予算を積み増して、「ほら、今年もこんなにお金が必要で、政府は借
金まみれになるんですよ」といっている。

「半年先の借金を今する」というナンセンス
 財務省が「歳出」をカサ増しすることには、もう一つ理由がある。
 「補正予算」ということばは聞いたことがあるだろう。いったん予算が成立した後に起こっ
た事象に応じて、予算の内容修正したものだ。
 この補正予算まで見越して、財源を確保するために、財務省は最初に成立する本予算の時点
で、「歳出」を多く見積もる。それが、「国債費」の「利払い費」や「債務償還費」に化けてい
のだ。
 補正予算まで見越して、本予算の歳出が多く見積もられれば、本予算成立時の国債発行額も
多くなる
。要するに、「先々に必要になるかもしれないお金」を、先に確保しておくというこ
とだ。
 これほどバカな話はない
 民間の企業でも、ずっと先の資金を今から調達するなんてことはしない。
 借金をした時点から利払いが発生するのだから、必要になったその時に借金をするのが、も
っとも無駄がない。国債だって同じだ。補正予算が成立した時に国債を増発し始めればいいの
に、前もって余計に国債を発行することで、余計な利払いが生じているのである

 金融市場で国債が「品薄」になり、それが経済の不活性化につながっているような状況では、
政府はもっと積極的に国債を発行すればよいと思う。国債発行には、財政経由での世の中に出
回るお金を増やし、経済を活性化する効果がある。銀行や証券会社にも、つねにふんだんに必
要だ。
 しかし、必要もないタイミングで国債を発行するというのは、また別の話である。年の後半
に使うかもしれないお金を、年の最初に借りても、政府に余計な利払いをさせるだけだ。
 これは、国益にはまったくかなわない。つまり、減債基金のための借換債発行には否定的だ
が、教育国債のような投資のためなら、国債をもっとだしていいという立場である。

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日本の活性化 其の10

2023-02-21 18:42:58 | 日記
今の国債発行額では、足りないくらい?
 国債を発行するほど、政府が使うお金が増え、世の中に出回るお金が増え、結果的に
物価が上がる。
 これがデフレ不況の時には、景気回復を叶える財政緩和策となるが、インフレが進み
過ぎると、それはそれでよくない。したがって国債の適切な発行額は、インフレになり
過ぎない程度
、ということになる。
 こうして、「ほどほどの量の国債」が金融市場で出回るように保つことが理想だ。
 では現在の国債発行額はどうか。多すぎるのか、それとも少なすぎるのだろうか。
 「日本政府は借金が多すぎる」と目くじらを立てる人が多いようだが、結論からいえ
ば、もっと国債を発行してもいいくらいなのである。
 前に、現在の国債発行残高はGDPの200%くらいといった。しかし、そのうち半分
ほどを日銀が保有しており、金融市場に出ているのは、GDPの50~60%程度だ。
 これでは、じつは足りないくらいなのだ。
 すでに説明しているように、「統合政府バランスシート」で考えれば、日本の財政再
建はとっくに済んでいる
。だから、もっと金融市場に国債を提供するために、財務省が
国債を発行すればいい

 しかし財務省は、いまだに「財政再建が先」といって譲らず、日本政府は国債増発に
腰が重い。依然として金融市場では、国債が「品薄」状態が続いている。
 そこで2020年3月23日、日銀は「異例」ともいえる手を、3年ぶりに繰り出した。
「国債売り現先オペ」という手法で、約8000億円もの国債を、市場に供給したのだ。
 これは、一言でいえば、日銀が持っている国債を、「期間限定」で金融市場に放出す
るオペレーションだ。一定期間後に買い戻す条件で、日銀が国債を売るのである

 それまで日銀は民間金融機関から国債を買うという、金融緩和策(量的緩和)を続け
てきた。だが3月の決算期を前に、金融市場で国債需給が過度に引き締まるのを抑制す
ることを目的として、この異例の一手を出したのである。(中略)

 ただし、本来であれば日銀は、民間金融機関から国債をどんどん買って、世の中にも
っとお金が出回るようにしなければならない。
 今回の異例オペは、苦肉の策としては適切だったといえるが、国債を支給するのは、
本来、日銀の役割ではない。
 では誰の役割かといえば、先に答えはいってある。政府である。
 つまり、政府が国債をもっと発行すべきだったところ、それをしなかったから、日銀
が動かざるをえなかった

 いってしまえば、政府が国債発行をサボったツケが日銀に回ってきたというのが、こ
との顛末
なのである。

災害復興こそ、「超・長期国債」の出番だった

 国債を毛嫌いすると、「財源が必要なら増税すべし」というロジックに簡単にはまっ
てしまう。
 東日本大震災後の2014年の消費増税などは、その典型といえる
「東日本大震災の復興の財源が必要だ。ついては国民全体で痛みを分け合うべく、増税
を断行せざるをえない」
 こんなロジックに国会も国民も、まんまと乗せられてしまった。あの頃は、さかんに
「絆」といわれていた。東北の人たちを助けたい、そのための増税なのだから、甘んじ
て受けいれるべき、という空気が日本中を覆っていた。しかしこれは、個人の道徳や良
心につけこむという、財務省お得意の手段といわざるを得ない

 なぜなら、本当に災害復興を目指すなら、国債を発行するのが、もっとも効果的だか
らだ。災害時に増税するほどバカな話はない
のである。
 災害で特定地域が大打撃を受けているときに、増税をしたらどうなるか。人々の財布
のヒモは堅くなり、消費が冷え込む。本来ならば、災害が起こっていない地域の経済力
で被災地を支えなくてはいけないのに、その経済力を奪ってしまうのが増税なのだ。
 いってみれば、人助けに向かう人に足を引っかけて転ばせるようなことなのである。
 災害が起これば、当然、政府の税収は下がる。だからといって、災害時に増税をする
なんて話は、古今東西、聞いたことがない。
 災害時に税制をいじるなら、むしろ経済を活性化させるために減税するのが普通
だ。

 もう一度いうが、災害復興の財源確保のためには、国債がもっとも適切だ。それも、
100年債や500年債といった超・長期国債がいい

 というと、また「借金を後世に押し付けるのか」という批判が上がりそうだが、ちょ
っと待ってほしい。じつのところ、災害が起こった世代だけで復興財源を出そうとする
方が、不公平
なのである。
 経済を大きく揺るがすほどの大災害が起こるのは、100年に一度、500年に一度のこ
とだ。そこで今から100年、500年をかけて、世代間で復興財源を出し合うというのが、
100年債、500年債の考え方だ。
 100年に一度、500年に一度、必要なお金なら、100年、500年をかけて返していけ
ばいいのである。
 これは私だけが勝手にいっているのではなく、「課税の平準化理論」という基本的な
経済理論に基づいている。「痛みを分け合え」というのなら、こちらのほうが、よほど
公平な分ち合い
といえないだろうか。

国債には将来世代への「投資」という側面もある

国債というと、どうも借金=悪いものというイメージが拭いがたいようだが、元をただ
せば、国債とは国を回していくのに必要な資金を集めるためのものだ。ここで「税収だ
けで国を回せ」というのは無理筋だ

 現在の税収だけでは足りないことは明らかで、増税に直結する。税金は万人に等しく
課せられる。しかし、国債は「欲しい人」が買う。税金を払わないと違法になるが、国
債は買いたくないならかわなくてもいい
。現に誰も国債購入を強要されたことなどない
だろう。国にお金を貸したい人が貸す。それで国が回っていくのだ。それの何がいけな
いのかと聞いてみたいものである。
 国債は、その特質上、未来投資にも向いている。
 たとえば私が前々からいっているのが「教育(投資)国債」だ。
 一般的に、教育水準が高い方が、所得は高くなる傾向が強い。所得が高くなれば、当
然、納める税金が多くなり、国への貢献度が増す。そういう人材を育てるために、教育
を目的とした国債を設ければいいという提案だ。一言でいえば、教育国債は「出世払い」
で、投資効果が出る将来世代に働いて返してもらう、という考え方
だ。
 「教育の無償化」も、教育国債でまかなえばいいというのが、私の考えだ。
 国が行う投資というと、どうしても、ハコモノなどの公共投資に偏りがちだ。それは
それで雇用創出になるから、いい面もある。ただ有形資産である「物」ばかりではなく、
無形資産である「人の教育」にも投資したらどうかという話
だ。
 他国の例に目を転じてみれば、フランスの「サルコジ国債」が有名である。これは私
がいっている教育国債の考え方そのままである。
 一方には、税を財源とすればいい、という考え方もあるだろう。
 しかし、教育への投資は、イコール将来への投資であり、社会的に大きなリターンが
期待できる
。このように長期的な便益が見込めるものについては、国債のほうが理に適
っている。
 先ほども「出世払い」といったように、長い目で見て投資し、長い目で見て回収して
いけばいい
のだ。しかも、教育を受けて所得が高くなった人ほど余分に所得税を払うの
で、社会への恩返しという意味で理にかなっている

 財務官僚は「無形資産はうまく計れない」などと小言をいうだろうが、後でも見るよ
うに、教育の投資効果は、じつは有形資産を凌駕するほど大きい。有形資産と無形資産
を差別するなというのは、まったく異論のない正論
なのである。
 ただし、今の財政法では、有形資産に対してしか国債発行を認めていない。したがっ
て教育国債を実現するには、財政法の改正が必要だ。これは、つねに自分都合で物事を
動かしたい財務官僚が一番、嫌うところなのだが、必要とあらば、政治はそこにも切り
込んでいかねばならない。

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日本の活性化 其の9

2023-02-20 22:54:59 | 日記
知っているようで知らない「国債」と「税」の話
― 結局、何をどうすれば経済は上向くのか ―
経済を「道徳」で考えると、大きく見誤る

私は大学で教鞭をとっているが、学生にマクロ経済学を教えるときには、一見、不道徳に見える
経済政策を理解させなくてはいけないことがある。
 そういうときに使うのが、其の2でも説明した「合成の誤謬」という経済学の考え方だ。個人レベ
ルでは正しいことでも、みんながやったら困る、という考え方である。経済を国全体、社会全体でと
らえるマクロ経済学では、この考え方を理解しないと話にならない。

個人の真面目さ、道徳心につけこむのは、財務省のもっとも得意とするところなのだ。実際、現職の
政治家のなかでも、すでに財務省の論法にからめとられていると見える人が、多数いる。
増税ロジックに乗せられないためにも、国債というものを通じ、金融政策、財政政策の知識をもっと
高めておくに越したことはないだろう。つねにミクロではなく、マクロで考えるクセをつければ、ど
ういう政策なら経済が上向くのかも、自分の頭でわかるようになる

 マクロ経済学では、とかく個人レベルの道徳心は邪魔になる。そう断言していいだろう。
そのためか、海外のマクロ経済学者は、たびたび「経済政策は無責任にやるものだ」といった言い方
をする。つまり個人レベルの道徳心など、経済政策に持ち込むなということだ。言葉尻だけとらえれ
ば「無責任では困る」となりそうだが、根っこでは、前に述べた「合成の誤謬」を考慮しているのだ。
個人レベルの道徳で考える人には無責任に見えても、本当はガチンコで真面目に経済政策を考えるの
が、マクロ経済学なのだ

国債にしても、「借金は悪」という道徳心に従えば、なるべく発行しない方がいいことになる。しかし、
国債の発行を少なくすることは、政府が使えるお金が少なくなるということだ。
経済は、「「需要と供給」で成り立っている。
世の中の需要すべてを「総需要」と呼び、これがより大きくなるほど、物価が上がる。デフレ不況の
中では、これが景気回復の糸口となる
。総需要には、「政府需要」も含まれる。モノやサービスを消費
する国民も需要者だが、公共事業などにお金を払う政府もまた、大きな需要者なのだ

ここまでくれば、もうわかるだろう。
国債の発行を少なくすることは、政府が使えるお金が少なくなるということ、それはつまり政府需要
が圧縮されることを意味し、公共事業が減る。公共事業には、雇用を生み出す効果がある。つまり、
国債の発行を控え政府需要が減ることは、失業率アップにつながるのだ。 

では、道徳では悪とされる国債を「無責任」に発行するとどうなるか。今、話したこととちょうど反
対のことが起こる。つまり、財政経由で国民に直接ばらまかれて需要を生む。公共事業が増え失業率
ダウンにつながる

道徳心から「借金は悪」とし、「国債発行は無責任な政策だ」と主張する人は、この違いをどうみるの
であろうか。
私には、国債発行を減らして政府需要を減らすより、国債を発行して雇用を生み出す方が、よほど責
任ある政策であり、道徳的だと思える
が、どうだろう。
とくに、今のような超低金利の世の中では、日銀の金融政策の効果は、限定的にならざるを得ない。
日銀は、民間金融機関から国債を買い、その利子収入(通貨発行益)が丸々、国庫納付金として政府
に納められる。もし金利が高ければ、それだけ利子収入が増え、国庫納付金が増える。
これが政府需要の押し上げ効果となって、財政経由で国民にばらまかれ、物価上昇につながる。だが、
今のような超低金利では、それもままならない。だから、国が国債を増発し、政府需要を高めるとい
う財政政策と、日銀が民間金融機関から国債を買うという金融政策の「合わせ技」が必要
なのだ。
政府はせっせと国債を発行し、日銀はせっせと民間金融機関から国債を買えばいいのである。
公共事業には、いわゆる「ハコモノ行政」をはじめ、無駄使いをしているという批判がつねにある。
ただ、一方で、今も説明したように、雇用創出というメリットがあることも事実だ。
財政政策では、この両方を秤にかけて、より社会貢献度が高い選択肢を取っていくべきなのである。

政府がお金を使うということは、国内にお金をめぐらせること
個人でいえば、飲み食いのために借金するのはよくない。ただ、経済全体でいえば、飲み食いそのも
のは悪いことではない。誰かがお金を使えば、それだけお金が世の中を巡り、経済が動くからだ。ま
さに「合成の誤謬」で、マクロで考えれば倹約が全てではない、となる。
国における倹約は、歳出カットだ。それは政府需要の縮小につながるから、私は常に歳出カットには
慎重な立場である

倹約するか、借金をするか、どちらがいいかは、その時々の経済の状況による。 一概に歳出カット
がいいわけでもないし、国債を出すのがいいわけでもない。
たとえば、好景気に沸いているときには、少し経済を冷やすために歳出カットをするというのはあり
うる。世の中でお金がだぶつき、インフレが加速しそうなときに歳出カットをすれば、政府需要が下
がり、お金のだぶつきを押さえられる。その結果、インフレの加速を防ぐことができる。これは緊縮
財政の常道だ。
逆に、経済に元気がないときに歳出カットをすれば、経済はますます冷え込んでしまう。ここ数十年
来続いているデフレ不況など、まさにそうだ。歳出カットはしない、しかし予算をすべてまかなえる
だけの税収がない。ここで、ただでさえ不況で大変な国民の負担となる増税など、もってのほかだ。
したがって、とりうる政策は国債発行となる


国の借金は、広く世の中にお金を回すための借金だ。お金を貸せる期間や人から借りて、公共投資な
どの財政支出で広く国民にばらまく。歳出カットが緊縮財政である一方、国債発行は財政緩和策の常
道なのだ。
このように並べてみれば、どちらがいいかは、その時々の経済状況で異なることもわかるだろう。
 一概に「国債はダメ」「借金はけしからん」という人は、要するに政府が借金をした後、そのお金を
どのように使うかにまで考えが及んでいなのだろう。世の中には、「公共事業をすべてなくせ」など
と、極端なことをいう人もいる。
一方、私は国債発行や公共事業に肯定的なせいか、「高橋は政府の無駄使いを許している、甘い」など
といわれることも多い。
しかし私は、別に甘いわけではない。ただ国債を発行した場合の「費用便益」を考えているだけであ
る。つまり、国債を発行し、財政支出をした際に、どれくらいの便益が社会にもたらされるのかを見
ている
のである。
支出の効果を考えなくては、支出の良し悪しは判断できない。社会に対する便益に鑑みれば、国債発
行及び財政支出が最良策という場合は、山ほどある。
「ハコモノ行政」といわれようと、財政緩和が必要なとき(つまり世の中にもっとお金が回ったほう
がいいとき)には、迷いなく国債を発行すればいい
のである。

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日本の活性化 其の8

2023-02-20 15:10:46 | 日記
なぜ、そんなにうるさく「利払い」「償還」を気にするのか?
 利払いや償還があるから、国債発行は問題とする見方もある。
 国債は借金である以上、当然、借り手である政府は利子を払わなくてはならない。
 10年債なら10年、30年債なら30年というように、期限がきたら、借金の元本も耳を揃
えて返さなくてはならない。これらの費用が大変だから、国債をあまり出さないほうがいい、
というわけだ。ただ、じつはこれもたいした問題ではないのだ。

 まず、「利払い」から説明しよう。
 最初に、国債の「基本のキ」として、日銀は国債の利子収入を国庫納付金として政府に納
めている
と説明した。これが政府にとっては「税外収入」となる。
 さらに政府の資産は前項で見たように、金融資産が多くを占めているからその利子収入
も政府に入る

 じつはこの二つの利子収入で、国債の利払いはまかなえてしまうのだ。
 では償還費、つまり借金の元本の返済はどうか。
 その財源はどうするかというと、民間金融機関に新たに国債を買ってもらえばいい。
発行済みの国債の償還のために、新たに国債を発行するということだ。これを「借換債」
いうが、前に説明した「建設国債」「赤字国債」同様、政府内での便宜上の呼び分けだ。
 お金に色はついていない。金融市場ではやはり「国債」は「国債」である


 借金を返すために、別のところから借金をする。これを「自転車操業」というのはお門違
いだ。企業だって、ずっとお金を借りて経営を続ける。期日が来たら、自社のメインバンク
で借り換えをして資金を借りて返済に充てるなど、普通に行われているのだ。もし「もうこ
れ以上、お金を貸せません」といわれたら大変だが、借り換えができている限りは問題ない。

 政府の借金も企業の借金も、この点で同じである。そのうえ、国債は民間金融機関として
も「買い続けたい金融商品」だから、余計に問題ない
といえる。なぜなら、すでに説明した
ように、民間金融機関はお金をお金のままではもっておきたくないからだ。
 国債の利子収入はわずかだが、かといって、買うのが民間企業の株や社債ばかりでは心も
とない。破綻リスクという意味では、民間企業より国のほうが、はるかに信用できる
 企業はいつ倒産するのかわからないのに対して、国は大抵のことでは倒れない。
 民間金融機関は、ハイリスクハイリターンの株や社債より、ローリスクローリターンの国
債を、常に保有しておきたい
ものなのである。
 そして、何より国債は金融市場の「コメ」だ。これも前に説明したとおり「お金」のよう
な役割をする国債があるから、ほかの金融取引ができる。
国債がなくては、金融市場でやっていけないのだ。
 だから民間金融機関は、いつだって国債を買いたい。借金を返されるだけでは、じつは彼
らは困ってしまう
のである。

 個人レベルで考えれば「借金を重ねることは悪いこと」となるが、国レベルでは、借金を
返すために借金をするのは当然だし、何も悪いことはない
のだ。
 民間金融機関は、国債の償還を受けたら、そのお金でまた新しく国債を買う。
 政府は償還すると同時に新発国債を買ってもらえるのだから、借金の返済で首が回らな
い、という事態には陥らない。
 このように、国債の償還と新規国債の発行は、政府とあまたの民間金融機関の間で、つね
にグルグルと巡っている。

たとえば「永久債」ならどうか、と考えてみよう
政府はつねに、借金を返すために、別のところから借金をしている。
 それが何も問題ないということは前項で説明したが、まだ納得できない、借金のため
の借金はよくない、という心配性の人もいるかもしれない。そういう人は、例えば「永
久国債」ならどうか、と考えてみればいい。結論からいえば、これで償還は心配ないと
いう説明がついてしまうのだ。 (中略)
 永久国債と長期国債は読んで字のごとく「永久に続く国債」と「期間が長い国債」の
ことだ。嚙み砕いていえば、政府の借金を永久債と長期債にすれば、償還費の心配がな
い、といっているのである。たとえば償還が100年先に訪れる国債なら、少なくとも3
世代くらいは償還費の心配はない。さらに永久国債ともなれば、永久に心配ないとい
わけだ。
 ここで「元本が戻ってこない国債に、お金を出すところなんてあるのか」という疑問
が浮かぶかもしれないが、はっきりいって素人丸出しの考えである。
 投資で重要なのは、どちらかというと元本より利子である。償還がいつなのかという
のは、じつは大した問題ではない
のだ。
 これが民間企業の社債だったら、倒産のリスクも考えなくてはいけない。リスクがあ
る分、国債より利率は高いはずだが、元が取れないうちに倒産してしまったらマイナス
になる。だから社債の場合は、永久も超長期も成り立ちにくい。
 だが、国債は政府の借金だ。永久国債を買っても、国がつぶれない限り、永遠に利子
を受け取ることができる。償還がなくても、元が取れる時点を過ぎれば、何もしなくて
も利益が積み重なっていく。
 というわけで、改めて「元本が戻ってこない国債にお金を出すところなんてあるの
か?」という疑問に答えるならば、、もちろん「ある」
。それも償還期間が長い分、短期
や10年の国債より金利が高いのだから「喜んで買うところがある」
のである。
 さらに、「政府が借金返済のために新たな借金をしても問題ない」という前項の説明
も、よりはっきりとわかるはずだ。
 なぜなら、国債を償還するたびに新発債で借り換えるのは、永久債を発行しているの
と、じつはあまり変わらない
からだ。(違うのは、永久債はずっと同じ金利が続くが、
新発国債は買うごとに金利が変わるという点だ)。
 そして前に説明したとおり、国債の利払いは、政府資産の利子収入と、日銀の国庫納
付金(日銀が国債で得た利子収入)で事足りる。
 やはり利払いも償還も、財政的には何も問題は無いという結論しか出ないのだ。
 最後に、ずーっと借換債を発行して借り続けることを、自転車操業なのでまずいという
人のために、とっておきの方法も紹介しよう。
 「日銀引受け」である。借換債の一部を日銀に買ってもらうのだ。これは、財政法に
よって原則的に禁じられている。仮に政府が日銀に莫大な額の日銀引き受けをさせた場合、
世の中にお金が出回り過ぎる。つまりインフレになり過ぎる危険があるからだ。
 そのため、多くの識者が禁じ手としているのだが、私が大蔵省にいたころにも行われて
いたし、今も行われている。原則は原則であり、必要なら行っていいものなのだ。
 民間金融機関がつねに国債を欲しがっており、金融市場に一定量の国債を流す必要がある
ため、政府の新年度の新規国債発行計画のうち日銀引き受け分として毎年計上されている。
財務省の発行計画では、政府の外が市場なので、そこには日銀も含まれている。
 しかも、財政法に基づく予算総則では、日銀引き受け分は、「日銀の保有国債残高を
増やさない程度」と定められているため、日銀引き受けは過度なインフレを招かないよ
うに適正範囲に抑えられている。つまり、新規国債発行分につては、日銀引き受け分が
その範囲内になっているため、それ以上日銀が引き受けたくても無理なのだ。
 識者が心配するような、「日銀引受けのやりすぎ」は起こらない。
 この話は、新規発行国債分についてだが、既発国債を日銀が買いすぎると心配する向
きもある。しかし、インフレ目標があるので、新規発行国債も既発国債も日銀が買いす
ぎる心配は無用である。要するに政府は、民間金融機関から新たにお金を借りるか、日
銀からお金を借りるかで、国債の償還に充てればいいのである。
 しかも、日銀保有分の国債は、国債発行残高と「相殺」されるので、この部分は全く
財政問題を生じさせないのだ。

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