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日本の活性化 其の10

2023-02-21 18:42:58 | 日記
今の国債発行額では、足りないくらい?
 国債を発行するほど、政府が使うお金が増え、世の中に出回るお金が増え、結果的に
物価が上がる。
 これがデフレ不況の時には、景気回復を叶える財政緩和策となるが、インフレが進み
過ぎると、それはそれでよくない。したがって国債の適切な発行額は、インフレになり
過ぎない程度
、ということになる。
 こうして、「ほどほどの量の国債」が金融市場で出回るように保つことが理想だ。
 では現在の国債発行額はどうか。多すぎるのか、それとも少なすぎるのだろうか。
 「日本政府は借金が多すぎる」と目くじらを立てる人が多いようだが、結論からいえ
ば、もっと国債を発行してもいいくらいなのである。
 前に、現在の国債発行残高はGDPの200%くらいといった。しかし、そのうち半分
ほどを日銀が保有しており、金融市場に出ているのは、GDPの50~60%程度だ。
 これでは、じつは足りないくらいなのだ。
 すでに説明しているように、「統合政府バランスシート」で考えれば、日本の財政再
建はとっくに済んでいる
。だから、もっと金融市場に国債を提供するために、財務省が
国債を発行すればいい

 しかし財務省は、いまだに「財政再建が先」といって譲らず、日本政府は国債増発に
腰が重い。依然として金融市場では、国債が「品薄」状態が続いている。
 そこで2020年3月23日、日銀は「異例」ともいえる手を、3年ぶりに繰り出した。
「国債売り現先オペ」という手法で、約8000億円もの国債を、市場に供給したのだ。
 これは、一言でいえば、日銀が持っている国債を、「期間限定」で金融市場に放出す
るオペレーションだ。一定期間後に買い戻す条件で、日銀が国債を売るのである

 それまで日銀は民間金融機関から国債を買うという、金融緩和策(量的緩和)を続け
てきた。だが3月の決算期を前に、金融市場で国債需給が過度に引き締まるのを抑制す
ることを目的として、この異例の一手を出したのである。(中略)

 ただし、本来であれば日銀は、民間金融機関から国債をどんどん買って、世の中にも
っとお金が出回るようにしなければならない。
 今回の異例オペは、苦肉の策としては適切だったといえるが、国債を支給するのは、
本来、日銀の役割ではない。
 では誰の役割かといえば、先に答えはいってある。政府である。
 つまり、政府が国債をもっと発行すべきだったところ、それをしなかったから、日銀
が動かざるをえなかった

 いってしまえば、政府が国債発行をサボったツケが日銀に回ってきたというのが、こ
との顛末
なのである。

災害復興こそ、「超・長期国債」の出番だった

 国債を毛嫌いすると、「財源が必要なら増税すべし」というロジックに簡単にはまっ
てしまう。
 東日本大震災後の2014年の消費増税などは、その典型といえる
「東日本大震災の復興の財源が必要だ。ついては国民全体で痛みを分け合うべく、増税
を断行せざるをえない」
 こんなロジックに国会も国民も、まんまと乗せられてしまった。あの頃は、さかんに
「絆」といわれていた。東北の人たちを助けたい、そのための増税なのだから、甘んじ
て受けいれるべき、という空気が日本中を覆っていた。しかしこれは、個人の道徳や良
心につけこむという、財務省お得意の手段といわざるを得ない

 なぜなら、本当に災害復興を目指すなら、国債を発行するのが、もっとも効果的だか
らだ。災害時に増税するほどバカな話はない
のである。
 災害で特定地域が大打撃を受けているときに、増税をしたらどうなるか。人々の財布
のヒモは堅くなり、消費が冷え込む。本来ならば、災害が起こっていない地域の経済力
で被災地を支えなくてはいけないのに、その経済力を奪ってしまうのが増税なのだ。
 いってみれば、人助けに向かう人に足を引っかけて転ばせるようなことなのである。
 災害が起これば、当然、政府の税収は下がる。だからといって、災害時に増税をする
なんて話は、古今東西、聞いたことがない。
 災害時に税制をいじるなら、むしろ経済を活性化させるために減税するのが普通
だ。

 もう一度いうが、災害復興の財源確保のためには、国債がもっとも適切だ。それも、
100年債や500年債といった超・長期国債がいい

 というと、また「借金を後世に押し付けるのか」という批判が上がりそうだが、ちょ
っと待ってほしい。じつのところ、災害が起こった世代だけで復興財源を出そうとする
方が、不公平
なのである。
 経済を大きく揺るがすほどの大災害が起こるのは、100年に一度、500年に一度のこ
とだ。そこで今から100年、500年をかけて、世代間で復興財源を出し合うというのが、
100年債、500年債の考え方だ。
 100年に一度、500年に一度、必要なお金なら、100年、500年をかけて返していけ
ばいいのである。
 これは私だけが勝手にいっているのではなく、「課税の平準化理論」という基本的な
経済理論に基づいている。「痛みを分け合え」というのなら、こちらのほうが、よほど
公平な分ち合い
といえないだろうか。

国債には将来世代への「投資」という側面もある

国債というと、どうも借金=悪いものというイメージが拭いがたいようだが、元をただ
せば、国債とは国を回していくのに必要な資金を集めるためのものだ。ここで「税収だ
けで国を回せ」というのは無理筋だ

 現在の税収だけでは足りないことは明らかで、増税に直結する。税金は万人に等しく
課せられる。しかし、国債は「欲しい人」が買う。税金を払わないと違法になるが、国
債は買いたくないならかわなくてもいい
。現に誰も国債購入を強要されたことなどない
だろう。国にお金を貸したい人が貸す。それで国が回っていくのだ。それの何がいけな
いのかと聞いてみたいものである。
 国債は、その特質上、未来投資にも向いている。
 たとえば私が前々からいっているのが「教育(投資)国債」だ。
 一般的に、教育水準が高い方が、所得は高くなる傾向が強い。所得が高くなれば、当
然、納める税金が多くなり、国への貢献度が増す。そういう人材を育てるために、教育
を目的とした国債を設ければいいという提案だ。一言でいえば、教育国債は「出世払い」
で、投資効果が出る将来世代に働いて返してもらう、という考え方
だ。
 「教育の無償化」も、教育国債でまかなえばいいというのが、私の考えだ。
 国が行う投資というと、どうしても、ハコモノなどの公共投資に偏りがちだ。それは
それで雇用創出になるから、いい面もある。ただ有形資産である「物」ばかりではなく、
無形資産である「人の教育」にも投資したらどうかという話
だ。
 他国の例に目を転じてみれば、フランスの「サルコジ国債」が有名である。これは私
がいっている教育国債の考え方そのままである。
 一方には、税を財源とすればいい、という考え方もあるだろう。
 しかし、教育への投資は、イコール将来への投資であり、社会的に大きなリターンが
期待できる
。このように長期的な便益が見込めるものについては、国債のほうが理に適
っている。
 先ほども「出世払い」といったように、長い目で見て投資し、長い目で見て回収して
いけばいい
のだ。しかも、教育を受けて所得が高くなった人ほど余分に所得税を払うの
で、社会への恩返しという意味で理にかなっている

 財務官僚は「無形資産はうまく計れない」などと小言をいうだろうが、後でも見るよ
うに、教育の投資効果は、じつは有形資産を凌駕するほど大きい。有形資産と無形資産
を差別するなというのは、まったく異論のない正論
なのである。
 ただし、今の財政法では、有形資産に対してしか国債発行を認めていない。したがっ
て教育国債を実現するには、財政法の改正が必要だ。これは、つねに自分都合で物事を
動かしたい財務官僚が一番、嫌うところなのだが、必要とあらば、政治はそこにも切り
込んでいかねばならない。
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