世田谷ボロ市へ出かけた。
なぜボロ市と言うのか気になって調べたところ、世田谷区ホームページに由来が載っていた。
-700店以上の露店が並び、1日に約20万人もの人出でにぎわうボロ市は1月と12月の15・16日の年2回、2日間ずつ、代官屋敷を中心に通称ボロ市通りで行われます。
その起源は、関東を制覇した小田原北条氏に吉良家7代目・頼康が願い出て、天正6年(1578)に楽市が開かれたことに始まります。その許可書が『楽市掟書』。毎月6回、5日目ごとに開かれた定期市が六歳市となり、特に戦国大名の保護を受けた市を楽市といいました。押し売り・喧嘩・口論などを禁止したこの楽市は、市場税などが免除され、商人が自由に交易できる場でした。その後、北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされると、年に1回、年の暮れに開かれるだけの歳の市になってしまいました。農具市ともいわれるように、この市では鎌・鍬・手桶・火打石も売られていました。
明治時代には、1月に初市も開かれるようになり、12月の市と共に年2回になりました。日清戦争以降、商品は、古着やボロが多くなり、特に着物のつぎやわらじの補強に使われるボロが盛んに売買されて、午前中に売り切れてしまうほどでした。このようなことから「ボロ市」の名がついたといわれています。-
以上、世田谷区ホームページより
掘り出し物を探しぶらぶらしたのち、小腹が空いたので、世田谷通りにある台湾肉まんの『鹿港-ルーガン-』へ。
台湾肉包『鹿港』
東京都世田谷区世田谷3-1-12
肉まんを買い帰宅
ボロ市で手に入れた、盃
トマト&ブロッコリー
帆立て貝焼き
牡蠣バター焼き
なぜボロ市と言うのか気になって調べたところ、世田谷区ホームページに由来が載っていた。
-700店以上の露店が並び、1日に約20万人もの人出でにぎわうボロ市は1月と12月の15・16日の年2回、2日間ずつ、代官屋敷を中心に通称ボロ市通りで行われます。
その起源は、関東を制覇した小田原北条氏に吉良家7代目・頼康が願い出て、天正6年(1578)に楽市が開かれたことに始まります。その許可書が『楽市掟書』。毎月6回、5日目ごとに開かれた定期市が六歳市となり、特に戦国大名の保護を受けた市を楽市といいました。押し売り・喧嘩・口論などを禁止したこの楽市は、市場税などが免除され、商人が自由に交易できる場でした。その後、北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされると、年に1回、年の暮れに開かれるだけの歳の市になってしまいました。農具市ともいわれるように、この市では鎌・鍬・手桶・火打石も売られていました。
明治時代には、1月に初市も開かれるようになり、12月の市と共に年2回になりました。日清戦争以降、商品は、古着やボロが多くなり、特に着物のつぎやわらじの補強に使われるボロが盛んに売買されて、午前中に売り切れてしまうほどでした。このようなことから「ボロ市」の名がついたといわれています。-
以上、世田谷区ホームページより
掘り出し物を探しぶらぶらしたのち、小腹が空いたので、世田谷通りにある台湾肉まんの『鹿港-ルーガン-』へ。
台湾肉包『鹿港』
東京都世田谷区世田谷3-1-12
肉まんを買い帰宅
ボロ市で手に入れた、盃
トマト&ブロッコリー
帆立て貝焼き
牡蠣バター焼き