人口2億のインドネシアの、ほとんどがイスラム教徒。
本場中近東の信者とは、かなりちがった印象があります。
緑の失せた、乾いた大地に生まれたイスラム教。
「絶対神」にすがって生きていかねばならぬ、過酷な自然です。
方や、緑溢れたアジアの人々の心情とは、ちがっていると思います。
私の研究テーマの一つに、自然の条件、とくに色彩からくる宗教観の相違があります。
それでも、原理主義者の過激な思いが、不幸なことになってしまうのは残念です。
「サマサマ(お互い様とでも・・)」と、のんびりとしたインドネシアの人々ですが、近年、爆弾騒ぎあったり、困ったことです。
偶像崇拝禁止のイスラムですが、遺跡には世界の遺産・国の誇りとして、修学旅行の子供たちが飛び回っています。
また、釣鐘型の仏塔に収まっている釈迦像にふれると、幸せになる・願いがかなうといわれ、必至で手を入れている姿は、平和でいい。
小難しい教理や原理を超えたところに、衆生の願いはあるのだ。
イスラムも佛教徒もないのだ、とかってに思ってはいるのですが。
本場中近東の信者とは、かなりちがった印象があります。
緑の失せた、乾いた大地に生まれたイスラム教。
「絶対神」にすがって生きていかねばならぬ、過酷な自然です。
方や、緑溢れたアジアの人々の心情とは、ちがっていると思います。
私の研究テーマの一つに、自然の条件、とくに色彩からくる宗教観の相違があります。
それでも、原理主義者の過激な思いが、不幸なことになってしまうのは残念です。
「サマサマ(お互い様とでも・・)」と、のんびりとしたインドネシアの人々ですが、近年、爆弾騒ぎあったり、困ったことです。
偶像崇拝禁止のイスラムですが、遺跡には世界の遺産・国の誇りとして、修学旅行の子供たちが飛び回っています。
また、釣鐘型の仏塔に収まっている釈迦像にふれると、幸せになる・願いがかなうといわれ、必至で手を入れている姿は、平和でいい。
小難しい教理や原理を超えたところに、衆生の願いはあるのだ。
イスラムも佛教徒もないのだ、とかってに思ってはいるのですが。