滞在中にイスラム教の断食月(ラマダーン)になってしまった。
以前に本場パキスタンで同じく断食月になり、日中は水も隠れるように飲まなければならず、そりゃーーもー辛かった。
なにごとも大様なインドネシアの人々。まーーたいしたことはナカンベーと思っていたが、さにあらず。
ミナンカバブ族は、最も敬虔なイスラム教徒の人たちだったのだ。
食堂で知り合った青年のバイクで、村々を案内してもらっていたが、いつもの気楽さで何も用意をしなかった。
ところが、どこへいっても店じまい。軒先食堂(ワルン)も火をおとしたまま。
なんと青年がパン・ジュース類を取り出し、食べろという。
彼は、慣れているから大丈夫。リュウは仏教徒だから問題ない。たたし、子供たちには見えないようにしてほしい。
いやーー感謝感激。私も断食のおつきあいなどと、絶対にいいませんでした。
ミナンカバブ族の地で、忘れられないことがあります。
大衆食堂での食事中、いつも公園の入り口にいた見慣れた盲人のオコモさんと、手を引く12-3歳の子供がやってきました。
「ああ門付けもやっているのか」と思いましたが、テーブルにつく。
店員も特別視することもなく、オーダーを受ける。
実に当たり前に、だった。インドでは絶対にない事だ。
日本だって(今はコジキもいませんが)考えられないことではないでしょうか。
イスラム教の原理主義者による、過激な行動で誤解されている面がありますが、私が知る限りイスラム教は、本当に相互扶助、平等主義なのです。
さらに、インドネシアのイスラム教徒は、南国の人々特有の能天気さと、明るさがあり「サマサマ」なんですねーー。
インドネシアでは、祈る女性たちも気軽に写真を撮らせてくれた。
以前に本場パキスタンで同じく断食月になり、日中は水も隠れるように飲まなければならず、そりゃーーもー辛かった。
なにごとも大様なインドネシアの人々。まーーたいしたことはナカンベーと思っていたが、さにあらず。
ミナンカバブ族は、最も敬虔なイスラム教徒の人たちだったのだ。
食堂で知り合った青年のバイクで、村々を案内してもらっていたが、いつもの気楽さで何も用意をしなかった。
ところが、どこへいっても店じまい。軒先食堂(ワルン)も火をおとしたまま。
なんと青年がパン・ジュース類を取り出し、食べろという。
彼は、慣れているから大丈夫。リュウは仏教徒だから問題ない。たたし、子供たちには見えないようにしてほしい。
いやーー感謝感激。私も断食のおつきあいなどと、絶対にいいませんでした。
ミナンカバブ族の地で、忘れられないことがあります。
大衆食堂での食事中、いつも公園の入り口にいた見慣れた盲人のオコモさんと、手を引く12-3歳の子供がやってきました。
「ああ門付けもやっているのか」と思いましたが、テーブルにつく。
店員も特別視することもなく、オーダーを受ける。
実に当たり前に、だった。インドでは絶対にない事だ。
日本だって(今はコジキもいませんが)考えられないことではないでしょうか。
イスラム教の原理主義者による、過激な行動で誤解されている面がありますが、私が知る限りイスラム教は、本当に相互扶助、平等主義なのです。
さらに、インドネシアのイスラム教徒は、南国の人々特有の能天気さと、明るさがあり「サマサマ」なんですねーー。
インドネシアでは、祈る女性たちも気軽に写真を撮らせてくれた。