棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

ジーザス・クライスト・スパースター

2008-09-19 11:39:14 | エッセイ・随筆
台風の影響が出てきたのでしょうか。10時ごろから雨がしとしとと降り出し、長袖上着をきました。
各地で被害が報じられていますが、無事であることを祈ります。

昨夜 何気なしに、9時からのBS映画劇場にチャンネルをいれる。
大評判だったこの作品を、当時映画館で観たときの衝撃を久しぶりにおもいだした。
当時(1974)の批評は賛否両論。特にキリスト教関係者からは非難の嵐だったと記憶している。
キリストに関係した映画は 数知れない名作があるが、ずばりイエスを現わした映画は無いような気がする。
イエスは後姿や影などで暗示させる映像の中で、ヒッピー(60年代以降の古い言葉ですが)スタイルのイエスが登場。
出演者はと酒場やゲームセンターにたむろした若者スタイル。
そんな彼らが歌い踊るロックミュージカルの、現代的な演出の大胆に度肝を抜かれた記憶がある。

昨夜の視聴で、改めてその現代性と、表現の巧みさを読み取ることができた。
何から何まで新しずくめでなく、古典を確りとベースにし、現代と無理なく融合・共鳴した表現であった。
もしかしたら、21世紀の現在だから、正しく理解できるのかもしれない。

神の子イエスを触れてはならない存在から、人間としての苦悩・矛盾を表し、かえってイエスが身近におもえた。
さらに、ユダの苦悩は正に私たちだ。
この映画の主役は、人間ユダだったんだと、はじめて理解ができた。

話は変わりますが、私の創作活動も、古典と現代をいかに溶け合わせていくか、大きなヒントを得た映画だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジーザス・クライスト・スーパースター
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジーザス・クライスト・スーパースター
写真は「愛欲曼荼羅」の一部

横取りだーー足元の世界

2008-09-19 08:31:04 | 山郷の暮し
2
こりゃーおもしれーやと、お茶を飲みながら観察をする。
フット以前に読んだ「フアーブル昆虫記」の一節を思い出す。
確か・・・私が草むらで何時間もじっとしていたとしても、おかしな人と思わないでください。
すぐに役立つことでもないし、お金にもならないことだが、たいせつなことです。
というようなことだったが、どうぞお読みになってください。楽しい本です。

さて、話をもどしましょう。
10CMほどの間隔でつくられたミニ蜘蛛の巣。互いに無干渉主義なのでしょう。
点ほどの体長ですが、良く観ると大きさに差があります。
明らかに捕獲量の違いが、残骸でわかります。

壁の隙間から出てきたのが、体長5ミリほどの「つめじむかで」
小さなクモノスなど見えないのでしょう。隅っこを這いずって行く。
足をとられてしまったのか。これまた、大騒ぎでクモノ巣がグシャグシャになる。
小さな小さなオニグモチャンは、気をうかがっては果敢に攻める。
相手がでかすぎはしないのかなーと思うのだが、「つめじむかで」は、見えない糸にひかかっていく。
しばらく戦っていると、なんと体長1センチ以上の蜘蛛(名前はわからないが、クモノスを張らない、じぐもやこもりくもあたりか)が出現。
大将は、ジーと様子をうかがっている。と、突然、もがいているムカデに飛びっついた。その距離は3cmはじゅうぶんにあった。
そんな動作をくりかえす。実に素早い。
なんと、オニグモのオチビチャンもまけずと、大将に攻撃をする。
この死闘が何度か繰り返される。
まだあばれていたムカデは、しだいに毒がまわってきたのか、動きが鈍くなってしまった。
大将はムカデを引きずり出す。
見えないほどのくもの糸だが、結構強いと見えて簡単にはいかないようだ。
一息入れながら、20CMほど移動させると、さすがにオニグモのチビチャンもあきらめ、ただ、ぶっ壊された巣の修繕をはじめた。
飛びつき攻撃で漁夫の利を得た大将、まずは安心をしたのか、休憩タイムなのか、獲物を置いて帰ってしまった。

20分以上たっても、取りに来ない。どうなってんだろう。

なんとスゲー家に住んでいるんだ、と思われてしまいますね。
あえて否定はしませんが、足元の世界に驚愕させられてしまいます。


ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本