4月8日は母の誕生日だ!!と気がついてから、突然思い出したのが私が幼きころ「ニンジンのようだ」と言われたことだった。
当時ニンジンとはある小説の登場人物だとは認識はあったが、まったく気にもしなかったし読んでもみなかった。
そんなことが唐突に思い出すなんて不思議なくらいだ。
今回 初めて読み勝手に描いていたイメージとあまりにも異なるので、居場所が悪いと昨日書いた。
ウキペデァから抜粋しますと
日本では、1933年8月に白水社から初めて出版された岸田国士による日本語訳が有名である。
戯曲については山田珠樹の訳が有名であり、『赤毛』の題名で1926年に博文館から出版された。
1933年では母は29歳ですから読んでいたかもしれないが、1926年の戯曲の出版時は22歳と代用教師をしていたころだから、この方が読んだ可能性が高い。
さらにこの戯曲の題名は「赤毛」だった。
それによってなんとなくはっきりしてきたのは、私はチヂレッ毛で赤毛だった。自分で言うのもナンですが、かなりかわいいオボッチャンだった。
オネーサンなどから「かわいーーー」と頭をよくなでられたが実はテレもあり大変イヤだった。
そんなことを思い出しましたが、母は赤毛からのイメージがあったのではないかと推察していますが・・。
さて小説「ニンジン」ですが、今のところなんとも評しがたい・・・。
当時ニンジンとはある小説の登場人物だとは認識はあったが、まったく気にもしなかったし読んでもみなかった。
そんなことが唐突に思い出すなんて不思議なくらいだ。
今回 初めて読み勝手に描いていたイメージとあまりにも異なるので、居場所が悪いと昨日書いた。
ウキペデァから抜粋しますと
日本では、1933年8月に白水社から初めて出版された岸田国士による日本語訳が有名である。
戯曲については山田珠樹の訳が有名であり、『赤毛』の題名で1926年に博文館から出版された。
1933年では母は29歳ですから読んでいたかもしれないが、1926年の戯曲の出版時は22歳と代用教師をしていたころだから、この方が読んだ可能性が高い。
さらにこの戯曲の題名は「赤毛」だった。
それによってなんとなくはっきりしてきたのは、私はチヂレッ毛で赤毛だった。自分で言うのもナンですが、かなりかわいいオボッチャンだった。
オネーサンなどから「かわいーーー」と頭をよくなでられたが実はテレもあり大変イヤだった。
そんなことを思い出しましたが、母は赤毛からのイメージがあったのではないかと推察していますが・・。
さて小説「ニンジン」ですが、今のところなんとも評しがたい・・・。