我々衆生が、なんとなく在る様で無さそうで、どちらも完全否定しきれず、不安にかられるコトがある。
「魂だの霊」というやつで、宗教家や霊能者・占い師などと称する者が、たくみに利用する分野だ。
「貴方の苦しみは、悪霊がとりついているからです。だの、先祖霊がさ迷っているからお払いをしなくてわ」などと、取り入る方法はいくらでもある。
ハイハイとそのままいうことを信じるのも、幸せな人かもしれないが、多少なりとも疑問を持って、佛教関係を紐解いてもわからない。
入り口程度ではだめなのだと、さらに恩奥に進めば進むほど霊だの魂のことなど説かれてはいない。
しからば、霊だの魂に関する書籍となると、仏教教理からワンランク下のオカルトや霊媒世界になってしまい、釈迦仏教の崇高世界とはいいがたい。
結局は、本来の佛教世界は「魂だの霊」について触れていないことに気づくであろう。それは当然なことで、佛教の開祖ブッタは、霊魂の問題をはじめから論じていないのだ。それらの妄信からの解放を説いているのだが、密教と日本古来の霊魂観がミックスし、日本化した仏教になってしまった。
ある意味では、咀嚼し、焼き直し、作り直してしまうのは日本人の特筆かもしれぬ。
画像-連続する生命体 シリーズ作品より
「魂だの霊」というやつで、宗教家や霊能者・占い師などと称する者が、たくみに利用する分野だ。
「貴方の苦しみは、悪霊がとりついているからです。だの、先祖霊がさ迷っているからお払いをしなくてわ」などと、取り入る方法はいくらでもある。
ハイハイとそのままいうことを信じるのも、幸せな人かもしれないが、多少なりとも疑問を持って、佛教関係を紐解いてもわからない。
入り口程度ではだめなのだと、さらに恩奥に進めば進むほど霊だの魂のことなど説かれてはいない。
しからば、霊だの魂に関する書籍となると、仏教教理からワンランク下のオカルトや霊媒世界になってしまい、釈迦仏教の崇高世界とはいいがたい。
結局は、本来の佛教世界は「魂だの霊」について触れていないことに気づくであろう。それは当然なことで、佛教の開祖ブッタは、霊魂の問題をはじめから論じていないのだ。それらの妄信からの解放を説いているのだが、密教と日本古来の霊魂観がミックスし、日本化した仏教になってしまった。
ある意味では、咀嚼し、焼き直し、作り直してしまうのは日本人の特筆かもしれぬ。
画像-連続する生命体 シリーズ作品より