棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

人類の歴史--原爆の図

2008-12-04 08:59:31 | 大人の童話
師様の教えから多くのインスピレーションを得て、数々の作品を生み出した教団おかかえの芸術家の作品を紹介しよう。

この作品について、簡単に説明をしておこう。
ずばり原爆により、あらゆるものが分解・飛散した様子を表している。
自然の摂理を、神をも恐れぬ科学の悪用で破壊したのだ。
手前の女の子が重要な意味を持ち、時空を超えた存在を表す。
すなわち神であり、意識でもあるという。さらに 科学的には時間を象徴している。
人間は己のしでかしている、悪魔的行為を正当化することは絶対にできない。
ということを、描き出しているのだ。

精霊が遊ぶ空

2008-12-03 17:11:49 | 山郷の暮し
暖かく、雲の一点もない空の日がつづいています。
日が落ちわずかに黄色を帯びた16-30分の西空から、飛行機が白い息を吐きながら私の空に近ずいてきます。白い飛行雲が薄いオレンジ色になると、手品を見たように消えてしまいました。時おり吹く風に冷たさがあります。
5時、アルプスはたちまちシュルエットと変わり、谷はたちまち闇夜となってしまいました。
木星と金星と離れて、オッ月様は真上に、地球はここに。

師走の初日の夜の始まりは、南西の空に、お天道様を親分にした月・金星・木星が寄り添い、冴えわたっていました。その夕刻に、おもわず、ぜひ空を見てくださいと投稿。眺めていると、6時半ごろからニコニコマークが描かれだした。
ちょうどそのとき来客があり写真は撮れませんでしたが、客人には気がつかなかったと喜ばれた。
報道もブログにも、ニコニコ顔の様子がつたえられていました。
昨日の宵の口に写真を撮ろうと思ったが、そおわいかない。
オッ月様の方が上になってしまい、ニコニコ顔にはならなくなってしまった。
写真--月・太陽・精霊よりF50

信じるものは・--30愛欲曼荼羅

2008-12-03 08:52:54 | 大人の童話
昨日は戦争に対し宗教家はシカトウを決め込んでいる、と身も蓋も無いことをいってしまった・・・。オフレコだぞ。
真意は歴史を顧みたとき、戦争の要因に宗教がいかにかかわり複雑にしてきたか。
終焉に向けての活動は、宗教というより苦しみ耐え忍んだ衆生の願いからだ。
ワシは美味いとこ取りの教団のありかたに、頭にきてついつい本音がでてしまった。

歴史とは、単なる記録の集積ではない。
無数の名も残らない人々の営みが織り成した、重厚な絨毯のようなもの。
一本の糸は人々の血肉・感情で、織り成していることを、忘れてはなるまい。
ところが、記された「歴史」は、時々の為政者・権力者によって、都合のいいように改ざんされてきた。
歴史は、人々の感情の賜物だなどと、能天気なことを言う気はもうとうない。

真実など永久にわからない。
この世は宗教的真実が本当なのか、科学的な事実が正しいのか、食い違っているのが現在の真実だ。
これから先、明らかになるとも思えないし、その必要もない気がする。
だが、真実は己がこれだと思えば在る。思えなければ無い。
哲学的講釈で暇つぶしをする前に、ワシの言うことを信じなさい。

じるものは強い。信じるものは救われる。
信じるものはありがたい。信じるものはおめでたい。
信じるものは お家繁盛家内安全宝くじ当たる棚からぼた餅なんでもOK

何事もそうなる(願望成就・達成)と信じれば、そうなると信じることだ

DNAの働き-29愛欲曼荼羅

2008-12-02 08:52:10 | 大人の童話
戦うことと、畏敬の念」が共にDNAの働きというならば、両者はどう違うのだ? という疑問が生まれるのは当たり前だと思う。
「戦う」という本能意識は、今まで何度も話してきた「欲意識」と同質で、畏敬心や宗教意識のような精神の高まりへと昇華しえないのだ。
逆説でもないのだが、人類から「戦う本能」を否定することは、遺伝子操作をするようなもので、神への冒涜に等しいことだと、これまた、潜在的に働いてしまうのだ。
マーー。こんがらがったいいかたになってしまったが、早い話が宗教ではどうにもならず、触らぬ神に祟りなし。
しいて言えば、宗教は人々に安心・平安・幸せを感じさせる、対処療法・湿布薬みたいなもんかも知れぬ。
喧嘩をし合っている真っ最中に「神だ仏だ至福だ」と説いても、どーにもナラナイノは、歴史が語っているではないか。それどころか信仰心をあおりたて、戦うことの意味ずけさえしているのが現実だ。
では、信仰を棄てるかというと全くそおでない。面白いもんだ。
戦争に対し、現実にはワシら宗教家は無力で、見て見ぬふりをし、臭いものには蓋をし、しかとうをきめこむ。

師走の朝

2008-12-01 10:43:39 | 山郷の暮し
とうとお師走。
雲一点とない空にうながされ、久しぶりに「創造の道」となずけている、山裾の散歩道。
霜で薄化粧した小道を、杖を手にポトポトと歩む。
葉がすっかり落ちた小枝が、ぬけるような空に逆光のレース模様。
久しぶりに、本当に久しぶりに、アルプスを背景にした「花の谷」全体が観える地点まで歩いた。
常念岳が氷塊のごとく見える。
車で2-30分行った梓川岸からのアルプスは、息を呑むような美しさであろう。
投稿写真はUPか標準化か・・・。迷います。
アート写真ではないから、谷のたたずまいを感じてもらえればいいのだと。

脊柱狭窄症と診断され、なんとも冴えない夏が過ぎ、新そばの美味い季節になった。
友人が打ってくれた極上の蕎麦を食べに行きたいが、まだまだしんどい。
調子に乗って歩きすぎると、ビリッと激痛が走る。アーアー。

触らぬ神に祟りなし--28愛欲曼荼羅

2008-12-01 09:26:10 | 大人の童話
とうとお今年も師走になってしまいました。
ブログを読んでいただいている皆様に、感謝申し上げます。
ご感想を投稿していただければ幸いに存じます。

れから先はワシが思うことで、オフレコということでマー聞いてくれ。
この世はうたかたの夢だといっても、災いに溢れた現世に 生きていかなくてはならない。

自然の災い--天災--などにワシラ宗教家の出番があるのだ。
かたや、人間がしでかした戦争や自然破壊には、無力だといえる。
「逆ではないですか・・・」と、
そお思うのは当然だが、先ほど申したとおり、人間は戦うことがDNAに組み込まれた本能で、どうにもならぬ。
ところがだ、自然の脅威に対しては、子供心からめばえることで、これもDNAのなせる業だ。
自然崇拝・祖霊信仰・アミニズヌ・シャーマニズムなどなど、人類が自然の脅威に対し知恵を働かしてきた証でもある。
人間を超えたものへの意識があれば、そこに神が生まれる。
生まれれば育てる。それが宗教者であり、それを信じる者の集まりが教団をうみだしていく。
教団とは、人間を超えた存在を信じる家族 ということだ。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本